第14話 舞風


 彼女の家は八LDKという途方もない大きさの家の為、泊まらせて頂くには何の問題も無い。

 当初ホテルから通う様にしようと思ったのだが帰ろうとした時、彼女の方からこれだけ大きな家で部屋も余っている、嫌でなければ一室お使いになりませんか、と申し出が有り当然固辞したのだが、かなりしつこく彼女から勧められ、ありがたく使わせて頂く事にした。

 仕事どころでは無くなったので、美貴さんに電話をして社長は急病の為何日か入院する、すぐ退院するからお見舞いは一切不要、と言う事にしてもらう。

 毎日業務報告だけはしてもらう様にした。


 朝、柔らかな日差しが差し込み目覚める。

 何だか判らぬが良い香りがする部屋。

 大きなシングルベッドから出て窓の外を見る。

 懐かしい地元の風景。

 心地良い風、雀のさえずり。   

 ああ、戻ってきたのだなと感じる。

 時計を見ると八時少し前を指していた。

 部屋を出て階段を下りるとダイニングに人の気配があった。

 味噌汁の香りが漂ってくる。

「おはようございます」

 ドアを開けダイニングに入るとテーブルにサラダが置かれていた。

「おはようございます」

 キッチンの方から彼女の声がした。

 そちらに目を向けると彼女が目玉焼きを作っていた。

「もうすぐ朝食が出来ますので座ってお待ちください」

 こちらに少し振り返り微笑みながら言う。

「やや、これは恐縮です。ありがとうございます」

 椅子に座り姿勢を正す。

 そういえば久々にちゃんとした朝食というものを食べる気がする。

 ダイニングからリビングが見え、大きな窓から庭が見えた。

 綺麗に整っている庭の木々や芝生を夏の涼風が撫で、そよそよと揺らいでいた。

 日差しは早くも強くなりかけていた。

「お待たせしました。お口にあうかどうかわかりませんがどうぞ」

 お盆に載って運ばれてきた。

 ご飯に味噌汁、魚に大根の葉の御浸しが乗っていた。

 正に日本の朝食といった感じの献立だ。

「いただきます」

 そう言って箸をとる。

 家庭の味とはこういうのをいうのだろうなぁ。

 外食ばかりの生活の私にとって得がたい幸せである。

 みっともないががっついてしまった。

 それを見て対面で微笑んでいる彼女に食べ終わってから気づく。

「これは失礼。久しくこの様な……美味しい朝食など食べていなかったもので」

「お口に合って何よりです。寝室に不具合は無いですか」

「ええ、全く。まるで一流のホテルに泊まっている様ですよ」

 素直な感想を述べた。

「そうですか」

 そう言ってニッコリと笑う。

 これだけ見るととても病人には見えない、が彼女は紛れも無い病人である。

 額の絆創膏が痛々しかった。

(任せろ必ず治してやる)

 声に出すことなく心に誓った。


 早速行動を開始する。

 ゴルフ仲間の有名医師に電話をして、関東で紹介出来うる一番の眼科医を紹介してもらう。

 癲癇の治療も一流の所を知っていたのでそこに行く事にする。

 指の義肢も最高の物を求めた。

 お金などいくら掛かっても良い、本当にそう思った。

 

 昨日は眼科に行く所だった様なのでまずは眼科から行く事にする。

 香水の臭いを漂わせ金髪に近い髪に腕にはロレックス、ブランド物のシャツを着た私がロードスターで通院の運転手をする。

 病院の待合室で治療室に入っていく彼女の後姿を見送った時、少し滑稽になり自虐的に鼻で笑ってしまった。

 本当はもっと早くに、私が彼女にとって渡邉だった時代、一緒に過ごせなかった時間に乗りたかった車に乗り、付けたかった物を付け、着たかった服を着ている。彼女とつりあう様に。

 そして私にとってはこれも大切な時間だった。

 彼女の病院の世話が終わったら私は去るべき人間である。


 病院が終わった頃にはもう夕方だった。

 脳神経外科は明日、義肢の方は三日後に行く予定なので今日は此処まで。

 彼女をロードスターに誘導する。

 エンジンを掛け、心地良い排気音を奏でながら病院を後にした。

 夕暮れの中千葉に帰る為高速に乗る。

 夜に向かいつつある景色の中で東京タワーが鮮やかに光を放っていた。

 やや渋滞していた為、そちらを見ることが出来た。

 綺麗ですね、と言いかけて止めた。

 彼女はよく見えないだろうから。

 かわりに事務的な事を話す。

「今日は待ち時間が長くてお疲れでしょう。知り合いの一番良い医者を紹介致しましたのできっと良くなると思います」

 長い髪が揺らぎこちらを見る気配がした。

「いいえ、大丈夫です。一日中お付き合い頂きありがとうございました」

 丁寧な挨拶が返ってくる。

「私は……貴方を治す様に言われて、こちらに来ただけなので。どうかお気になさらずに」

 沢山話したい事があった。

 しかしそれは渡邉としてであり、見知らぬ人間の秘書としてはさほど話す事など無かった。

 もうすぐ千葉県に入る時彼女が口を開いた。

「すみませんが、下道に下りてもらっても宜しいでしょうか。買い物をしたいので」

「わかりました」

 四つ木出口の看板が見えてきた。

 ウインカーを出しハンドルを切って下道に下りる。

 少し行くと大きなスーパーが見えてきた。大きな駐車場に車を停める。

(こんなの出来たんだな)時間の流れを感じた。

 三階建ての大きなビルで一階がスーパー、二階はショッピングモール、三階には映画館まであった。

 買い物カゴを取ろうとする彼女より早くカゴを持つ。

「お持ちします」

 否、持たせて下さい。

 心の中で思う。

 彼女は少し困惑した様な表情になる。

「でも……私いつも物凄い量買いますよ」

「大丈夫です。鍛えていましたから」

「そうですか、それではお願いしても宜しいですか」

 笑顔でカゴを渡される。私も笑顔で頷く。

 甘かった。

 彼女は次々とカゴに放り込んでいった。

 カゴはすぐ一杯となる。

(かなり重いぞこれ)

 よっ、という掛け声が聞こえてしまった様だ。

 はっとした表情でこちらを振り返る。

「ごめんなさい。重いですよね」

 気づかれてしまった。

「いえ、全然大丈夫です」

 引きつり笑顔で答える。

「先に会計に行って下さい。私はもう少し買っていきます」

 小さくて可愛らしい財布を取り出し私に一万円を差し出す。

「お金は結構です」

「えっ、そんな、困ります。その様な事までされては」

「昨日泊めて頂いたお礼です。どうかお気になさらずに」

 振り返らず小走りにレジに向かった。


 やがて買い物も終わり再び車に乗り込む。

 2シーターの車なのでこの大量の荷物はトランクに入れた。

「いつもこんなに買われるのですか」

 興味を持ってしまい聞いてみる。

「はい。今日は特に多く買ってしまいましたが、いつもこの様なものです」

「しかしよく持てますね」

「ほとんど片腕しか使わないので、筋肉がついてしまいました」

 力無く微笑む。

 そうか、左手は……。

 任せろ、また動かせる様にしてやるからな。

「ところでお金、本当に宜しいのですか」

「ええ」

 お金なんていくらでもつぎ込んでやる。

 お金で治るのだったら貯金もマンションも手放していい、と続けたかったが言えない。

 こんな見栄っ張りで、気が短く、金で薄汚れた人間になってしまった私が、よくよく考えたら彼女の前に今更名乗り出て良い訳がなかった。


 車は中川を横切る橋を軽快に疾走する。 

 千葉に入った。

 空気が懐かしいものに感じる。

 あと二日で大阪に帰らなくてはいけない。

 そしてまた里帰りするのはいつになるだろうか。

 若しくは一生来ないかもしれない。

 今度は帰る理由も無いし。

 県境から三、四十分も走ると飛田家に着いた。

 トランクから荷物を取り出し玄関に運ぶ。


「では、また明日。明日は脳神経外科に行きましょう。少し早いですが朝八時にお迎えにあがりたいと思いますが、宜しいでしょうか」

 彼女の横顔がゆっくりとこちらを向いた。

「あら、良かったら今日も泊まっていかれませんか」

 思わぬ返事が来て戸惑う。

「いえ、二日連続で……一人暮らしの女性の所に泊まるのもどうかと」

「別に構いませんよ、大きな家で部屋も余らせていますし。それに今日スーパーでお金出して頂いたのにご馳走しないなんて失礼ですし」

 そう言って笑いながら大量の買い物袋を見る。

「しかし、それは昨日泊めて頂いたお礼です。それで貸し借り無し、と言う事で。いくらなんでも厚かましすぎるから今日は失礼します」

 慌てて車に逃げ込もうとするのを、大きくて明るい綺麗な声が制した。

「私、今日の運転と荷物を持って頂いたお礼していないですよ」

 動きが固まってしまった。

 ゆっくり後ろを振り返る。

 玄関に立つ彼女がニッコリと微笑んだ。

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