待っています
今村駿一
第1話 初夏
目が覚める。
心地よいアロマの香りのベットルームから出ると二十畳の広さがあるリビング。 そこからベランダに出る。
十二階建てのマンションの最上階から景色を眺める。
軽く体を動かし中に入る。
顔を洗いトーストを焼きコーヒーを淹れる。
軽い朝食を食べ終わると、髪をセットし香水を軽く吹きかけブランド物のスーツに着替える。
鏡に自分を映す。
金髪に近いが爽やかな髪型、白いシャツに細身の黒スーツ、今風の外見に満足する。
行ってきます。
誰の返事も無いがとりあえずそう言って家を出る。
地下にある車庫にはエレベーターで一直線。
黒い外車のセダンが待っている。
それに乗って地上に出る。
梅雨も終わり初夏を思わせる日差し、熱を帯びた風、緑色の木々。
閑静な住宅街も夏の到来を感じさせる。
ハンドルを左に切り道に出る。
車で二十分もすると会社に着く。
会社の横にある立体駐車場に車を停める。
雑居ビルの四階、私の会社、私が社長だ。
うーす。
いつもの様に挨拶しながら入る。
おはようございます、全社員一斉に立ち上がり大きな声が返ってくる。
席に着くなり専務が今月の業務成績の報告をする。
おおっ、今月も売れたなぁ。
三十歳前だがデザイナーズマンションに住み、ブランドスーツを着て、外車で出勤出来るくらい儲かっている。
しかしここまでお金持ちになるには随分悪いことをした。
そして爽やかで今風の外見には随分お金を使ってエステに行き、服を買い、整形こそしなかったが、歯の矯正やホワイトクリーニング、美容室も知り合いの芸能人から紹介された所で綺麗にやってもらっていた。
もっとお金を稼がなくては、もっとかっこよくならなくては、もっと、もっと。ずっとその様に思ってやってきた。
もっと、もっと。
ふと思い出した。
何故お金を稼がなくてはならなかったのか、何故かっこよく、お洒落にならなくてはいけなかったのか。
昼に出前を食べながら何気なく聞いていたラジオから流れる曲を聴いた時。
あっ、と声が出てしまった。
肝心な事を忘れていた。
カレンダーを慌てて見る。
こんなに大事な約束を忘れていた。
こんなに大事な約束を忘れる程、忙しい中にも充実した毎日だった。
お金を稼ぐ為にはいろんな嘘をつき、約束を破ってきた。
しかしこの約束だけは破る訳にはいかない。
よし、行くか。
今日はもう帰る、と専務に一声掛ける。
「はい、お疲れ様」
余計な事を聞いてこないのがこの専務の良い所だ。
快く後を任せられる。
社員全員立ち上がり、お疲れ様です、の大きな挨拶に見送られながら事務所の扉を閉めた。
一旦マンションに帰る。
出張用の鞄に着替えを入れた後、地下の車庫に向かう。
私が借りているスペースには三台の車がある。
会社出勤用黒いセダンの外車、遊び用の銀色ワンボックスカー、そして小さく白い古い年式だが綺麗にしてあるオープンカー。
キーボックスを開けオープンカーのキーを出す。
ドアを開けシートに滑り込む。
この車の整備をする度に説明出来ない感情に包まれていたのだが。
エンジンを回す。
心地よい排気音。
アクセルを踏み地上に出る。
そしてハンドルを右に切り目的地に向かう。
住之江から高速に乗り関東を目指しひた走る。
高速に上がって三時間、亀山SAで少し休憩。
東京のホテルを予約する。
そしてまた走り出す。
夏の暑い日差しが急かす様に車に差し込んでいた。
八時間後、東京に着いた頃には夜になっていた。
高速から見る東京の景色は光る金砂の海の様にも見え、タワーはその海を満たす噴水の様にも見えた。
綺麗ではあるが偽りの海、その海に入る様に下道へ降りる。
朝を向かえまた走り出す。急がなくては。
国道六号線をずっと道なりに下っていく。
ずっと、ずっと下って行くと目的地付近にたどり着く。
ハンドルを握りながら色々と思い出す。
思いだすが、一番思い出してしまうのは相手をだいぶ待たせてしまったこと。
さあどうやってあやまろう。
県境の橋を渡る。
川沿いは緑の草木がとても綺麗で初夏の装いを感じさせた。
橋を渡りきり更に真っ直ぐ下っていく。
車からの景色は都会から徐々に田舎へと変わっていく。
走りながら心が落ち着かないのに気づく。
どちらかというと確認作業みたいなものだ。
近くまで来た、もう少しだ。
ここから三本目の十字路を左に入って四件目だったよな。
なんだかドキドキしてきた。
気持ちを抑えつつハンドルを左に切る。
一件目、二件目、三件目、そして四件目。
ああ、思わず声が出てしまった。
彼女は玄関先に立っていた。
あの時と一つも変わらぬまま。
静かに誰かを待っている様な姿だった。
まさか私を待っていてくれたのかと錯覚する様な。
車を止め、震える足で降りる。
ゆっくりと一歩、一歩近づく。
高鳴る鼓動。喉が渇く。
彼女の姿が鮮明に見える。
ついに彼女の前に着く。
しかし言葉が出ない。
なんて言えばいいんだ?
待たせてごめんね?
ただいま?
約束どおりになって戻ってきたよ?
どの言葉も足りない。
足りる訳がない。
彼女の前に立ち、ずっと言葉が出ない。
喋れない時間が続いた。
一時間にも感じたし、ひょっとしたら一分にも満たなかったかもしれない。
とにかく言葉が出なかった。
夏の照りつける様な暑さは木々の間から流れる涼風によって感じなかった。
ただ、どういう訳か背中は汗を感じ続けた。
彼女が口を開いた。
「あの」
どくっ、と心臓が飛び跳ねた。
「どちら様でしょうか?」
ああ、十年以上たったのだな、と感じた。
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