第2話 夏雨
高校二年生の頃クラス替えが有り、その時たまたま彼女と席が隣になった。
一番後ろで窓際から二番目の席。
いいポジションだな、と思っていたら私の左隣窓際に彼女が座った。
背が高く、手足も長く、顔が小さく色白で、髪が長く、どこか大人びた感じの美人、挨拶をするととても綺麗な目でこっちを見て返してくれた。
その時はこんな綺麗な人もいるんだな、位にしか感じなかった。
だってどう考えても私に縁が有るとは思えない。
バイクをいじりながらそんな事を中山と話していたら、飛田さん(彼女の名字)は上級生から告白されまくっているらしい。
でも全部断っているらしい。
そして同級生は話しかけても男女問わず相手にもしてもらえないし、口もあまり聞いてもらえないらしい。
その為同級生は男女問わず、上級生は女子だけではあるが、頗る評判が悪いらしい。
と言う訳で縁も無いだろうがあまり関わるな、と言われた。
ふうん、そんなものか。
それからは彼女のことなど忘れて毎日を過ごしていた。
学校に内緒でバイクの免許を取りに行ったり、サーフィンを始めたりでとても充実していた。
学校に行けば友達とバイクや車の話、女の子のことよりもそっちの方が私にとって重要だった。
登校してドアを開ける。
うーす、と挨拶しながら入る。
おっすー。
席に向かう途中で挨拶が返ってくる。
おはよう、と隣の席の彼女にも声を掛ける。
こちらを向き微笑みながらおはようございます、と挨拶してくれる。
別に噂みたいに相手にされてない感じは無い。
ただ口数は極端に少なく、休み時間友達と話しているのを見るとほとんど聞いている方が多い様な気がした。
しかし聞き上手という感じで相槌をうったり、笑ったり、友達も楽しそうに話していた。
とても噂どおりには見えない。
だが告白されまくっているというのは本当の様で放課後、教室の入り口の所に上級生が何人かかたまっていると大抵彼女が目当てだった。
少し戸惑いながら連れて行かれる彼女を見ていると受験勉強しろよ、と中山が上級生に対して観想を言った。
私も同感だった。
七月のある日台風が来た。
みんな学校休みだと思ったのか、勝手に休んだのか、ほとんど誰も居なかった。私は友達から、今日古いサーフィン雑誌を貰う約束をしていたのでこの雨の中気合で登校した。
しかしそいつは来ていなかった。
何だよ、と悪態をついていると先生が入ってきた。
「すまん連絡が遅れて。今日は休校」
えー、と教室内に半分しか居ない生徒から声が上がる。
せっかく来たのに半分、休みになってよかった半分の声。
みんな三々五々と帰る。
ふぅ、この雨の中またバイクで帰らなくちゃならないのか。
私も頑丈なレインコートを着て帰る事にする。
結構面倒なんだよな、このレインコート。
隣を見ると彼女もレインコートを着け帰る所だった。
ふと気づいたが、机の横のフックに可愛いらしい袋が掛けたままになっていた。
置いていくつもりなのかな、とも思ったのだが、グリーンスリーブスの幻想曲の楽譜が入っているこの袋からは、財布らしい物が見えていた。
一応声をかけてみる。
「おーい。財布とレイフ、忘れているよ」
教室を出て行こうとする彼女の背中に語呂よく語りかけた。
弾かれた様に止まりゆっくり振り返る彼女。
「ありがとう」
そう答え袋を取りに来た後、以外な言葉が返ってきた。
「クラシック、お好きですか」
唐突に振られた私は、えっ? という変な顔をしてしまったと思う。
「グリーンスリーブスの幻想曲、の題名でレイフ ボーン ウィリアムスの名前が出てくる位ですから。結構詳しいのかな、と」
ああ、そういうことね。
まぁ詳しいというか変な曲名だから覚えていただけなのだが、いい機会なので素直に私の思う所を彼女に聞いてみた。
「なぁ、この作者頭おかしいだろ。三人の緑色のブスって何だよ」
少しの間の後、彼女は可笑しそうにケラケラ笑い出した。
「確か、緑色の袖の服を着た女性って意味なんですよ」
この時の恥ずかしさといったらなかった。
彼女はよほど可笑しかったのかお腹を抱えて笑っている。
いつの間にか教室には私と彼女二人だけになっていた。
ひと段落したのか、漸く呼吸を整え始めた。
「こんなに笑ったの、久しぶりです」
彼女は言った。
こんなに笑われたのは初めてです。
私は思った。
憮然とした顔をしていたのだと思う。
はっと気がついた様な表情になった。
「ごめんなさい、あんまりにも可笑しくて。別に渡邉君を笑った訳じゃなくて、その訳し方が面白かったからつい」
こちらを伺う様な表情で、済まなそうに謝る。
綺麗な目が伏し目がちになる。
「いいよ、こっちも疑問が解けたしさ。音楽喫茶の息子なのに無知で情けないわ」
笑顔で答える。
彼女もほっとした表情になり、笑顔になる。
綺麗な目が真っ直ぐこっちを向いた。
ちょっとドギマギして、目を逸らす。
帰ろう。
彼女を促し教室を出た。
廊下に出て一緒に階段を下る。
あのー、と遠慮がちに聞いてくる。
「何」
「お家、音楽喫茶なんですか?」
「ああ、一日中、古いクラシックのレコードを流しているだけの店だよ」
何でもない様に答えた。しかし興味を持った様で、
「レコード、素敵ですね。私の家にもレコードプレーヤーは有るんだけど枚数少なくて。良かったら今度何枚かお借りに行ってもいいですか?」
私レコードの暖かい音が好きなんです、と素敵な笑顔で言う。
「あなたの様な美人が来る様な所じゃないよ」
照れもあってぶっきら棒に答えた。
すると彼女の表情が一気に曇る。
言い方がまずかったか。
うちの店の現状を説明してあげることにする。
「死にそうなじじいが朝から何人も来て、コーヒー一杯で何時間も粘っている、地元のやつらからはじじいの詰め合わせなんて呼ばれている様な店だよ。若くて綺麗な飛田さんみたいな人が来たらじじい達の半分がビックリして死んじゃうよ」
言い終わるか終わらないかで、また大笑いしはじめた。
「じじいの詰め合わせって。渡邉君悪いこと言いますね」
いやっ、僕が言ったんじゃありませんよ、と否定しようとしたが止めといた。
彼女は笑顔が一番似合うと思う。
下駄箱の所まで来たがまだ笑っていた。
この笑顔を曇らせて悪かったな。
なんとなくそう思ってしまう様な笑顔だった。
彼女と初めてこんなに長く話したが噂みたいに感じの悪い子では無い、と言うことがはっきりした。
席が隣なのだから噂を聞いて毛嫌いするのでは無く、仲良くしてみようかなと思った。
あの、と靴を履いている彼女に話しかける。
長い髪が流れ、小さな顔がこちらを向く。
「よかったら、今度暇な時にでもおいでよ。レコード貸してあげるよ。それと、よかったらコーヒーくらい飲んでいきなよ」
何気なく言ってみた。
「ぜひ、お願いします」
元気の良い大きな返事が返ってくる。
雷の光と共に轟音、その後に熱を帯びた風が入ってきた。
ああ、外は台風なんだっけ。
今更思い出した。
二人で外に出てみる。
道が川の様になっていた。
「飛田さん、どうやって帰るの?」
とりあえず聞いてみた。
「今日は歩きです。普段は自転車ですが、この雨風ですので。後輩に今日楽譜を渡す約束をしていたもので無理して登校してみたんですけど、やっぱり休んだみたいで無駄になってしまいました」
苦笑いの飛田さん。
何だ、凄くいい人だぞ、誰だ、悪い子だなんて言っている奴は。
なんだか悪く言っている奴ら全員に対し腹がたってきた。
ひょっとして彼女は単に噂の被害者なのではないだろうか。
だったらせめて、私だけでも味方でいて良いのでは。
そう思い聞いてみる。
「これじゃあ歩きづらいでしょう。良かったらバイク近くのアパートの駐輪場に止めてあるから送ろうか」
少しの間の後、
「では、迷惑でなければ家の近くまでお願いしてもいいですか」
綺麗な声が返ってきた。
雨は多少おさまってきて風も弱まってきた。
「取ってくるからまるはし(田舎のコンビニ)で待っていて」
そう言い残し走り出す。背中に彼女の声が届く。
「はい、待っています」
初めて彼女の素敵な口癖を聞いた日だった。
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