第6話 夏風



 トランクの様なお弁当箱が机の上に載った。

 いやこれは……

「男の子なんだから、食べられるでしょ」

 平然と言ってのける。

 いや郁美さん物事には限度というものが。

「中山君や生井君も一緒にどうぞ」

 満面の笑みを私に向ける。

 ちょっとほっとした。

 結局あの後高居先輩達からのお礼参りも無く、平穏無事な日々が続いた。

 高居先輩は大学進学を考えている様で(!)あまり騒ぎにしたくなかったのだろう。

 学校の処分はお互い訓告処分で済んだ。

「何々、あーおいしそう」

 中山が隣のクラスからやって来た。

 外は天気も良い。

「外で食べるか」


 生井も誘って外に出た。

 もうテストも返ってきた後なので、出席日数が足りていればもう終業式まで登校しない奴も居るくらい。

 このまま午後はサボることにした。

 まるはしで生井と郁美さんを乗せる。

 中山のSRには生井が後ろに乗り、私のクラブマンの後ろには郁美さんが乗った。

 ヘルメットを渡す。

 もうこの白いヘルメットは郁美さんのシャンプーの香りがした。

 夏の新緑が眩しい道を駆け抜けて川辺に向かう。

 川辺でシートを引いてお弁当箱(トランク大)を開ける。

 中山が缶コーヒーを買ってきた。

「飛ちゃんはマックスコーヒーだよね」

 郁美さんに下投げで渡す。

 私と生井には相変わらず上投げの剛速球で投げてくる。

 二回に一回は取れない。

 生井は上手くキャッチしたが私は鳩尾に当たって激しく咳き込んだ。

 それを見て生井は大笑いしている。

 郁美さんは少し怒った表情で言う。

「中山君は力が有り余っている様だから、一食抜いたほうがいいんじゃない」

 ごめんなさーい。

 大げさに私と郁美さんに謝る中山。

 それを見て郁美さんと目が合い二人して笑ってしまった。

 四人で手作りのお弁当を囲む。

 夏で少し暑かったが風が心地よくそれ程気にはならない。

 中山も生井もあの後、郁美さんと普通に接してくれた。

 この二人に共通する所だが、一度仲良くなったらいかなる理由があっても裏切らない。

 こういう所が一番好きな所だ。

 郁美さんの茨城での事件は聞かないことにしよう、と二人には話した。

 話す気になれば私から話すだろうから、それまでは聞かないでくれと。

 快く了解してくれた。 

 さて明日から夏休み。

 川のせせらぎは気持ち良いが、時間だけはこのまま止まって欲しい気もした。



 朝夢うつつで起きる。

 時計を見ると七時前。

 そろそろ起きるか、もう少し寝るか、で迷ったが、よく考えたら今日から夏休みだった。

 じゃあ寝るか。

 仰向けに倒れる様にしてベッドに体を沈めた。

 ん、階下から嗅ぎなれない、しかし懐かしい香りがしてきた。

 ゆっくりと体を起こす。

 確かにしてくる。

 隣の家か? 

 いやっ、確実に我が家だ。

 オカシイ。

 ベッドから出てドアを開けるとそれは我が家で確定だった。

 ?

 階段を下りて台所に向かう。

 台所の暖簾をくぐると、

「おはようございます」

 エプロン姿の郁美さんが居た。

 聞きたいこと、突っ込みたいところがいっぱいあったがとりあえず、

「どうやって入ってきたの?」

 とだけ聞いてみた。

 親父は喫茶店が今日休みなので、昨日は徹マンだからまだ帰って来ていないはずだが。

「朝食を作ってあげたいと申し出ました所、お父様から合鍵を頂きました」

「……」

「もうすぐ出来ますから、テーブルで待っていて下さいね」

 

 テーブルに着き、目玉焼きを作る郁美さんの後ろ姿を見ていることにする。

 妙に手つきが良すぎた。

 皿に盛り付けをしてお盆に載せる。

「お待たせしました」

 お味噌汁に白いご飯、刻みキャベツに目玉焼きほうれん草の御浸し。

 母親が亡くなってから、久しくこの様な朝食は食べたことが無かった。

「いただきます」

 手を併せお箸を持つ。

 どうぞ、と正面から声がする。

 郁美さんはニコニコと笑っている。

 お味噌汁の椀を持つ。

 お味噌汁の味はとても美味しくまた懐かしく感じた。


「ご馳走様でした」

 食べ終わると絶妙なタイミングでお茶が出てきた。

 何だか夫婦みたいだね、と言うと郁美さんは嬉しそうに笑った。

 お茶を飲み終えると洗い物を始めた。

 そんなの私がやるよ、と声を掛けたが物凄い手際の良さで片付けてしまった。

 さてまだ朝早いがどうしようか、と聞く私。

「渡邊君と一緒でしたら何処へでも」

 少しはにかんで昭和の奥さんみたいなことを言うので、

「よしじゃあ出掛けるか、郁美」

 昭和の旦那みたいに返したら、

「はい、あなた」

 嬉しそうに微笑み掛けられた。

 人生で一番輝く時間はこうして始まった。



 次の日も郁美は我が家に朝食を作りに来てくれた。

 親父もまんざらじゃない様でいい娘が出来て良かった、なんて言っている。

 それを聞いて郁美もまんざらじゃない様で、

「聞きました?」

 私の耳元で囁く。

 傍からみれば家族に見えることだろう。

 親父も、そして私もそれを望んでいた様に思う。



 次の日はサーフィンだった。

 郁美も見に行きたいと言うので小森谷さんに承諾を得たが、サーフィンには連れて行きたくなかった。

 男が波に乗っている間、彼女は待っているだけなので暇だからだ。

 しかも朝早いし大体付き合い始めで連れて行くと、ろくでもない事が発生するサーファーが多かった。

 付き合い始め?

 あまり考えない事にする。

 しかし小森谷さんはサーフィンのベテランなので、その辺の事情も分かっている様で、今回は奥さんも連れて来てくれる。

 話し相手がいれば、大抵大丈夫だからだ。


 朝五時十分前、水タンクを満タンにして玄関前に置く。

 板を物置から出していると、

「おはようございます」

 後ろから郁美の声がした。

「おはよーさん。随分早いね」

「何だか寝られなくて」

「そう。しかし俺たちみたいな下手サーフィンなんて見ていても、あまり面白くないよ」

 板に軽くワックスを塗りながら言うと、

「茨城県久しぶりなんだ」

 少しトーンダウンした声が返ってきた。

 あっ、そうか。もうこれ以上言わないことにする。

 夏とはいえまだ周囲は暗かった。

 雀の囀りが少しずつ聞こえてくる。

 朝日が少しずつ昇り始めていた。

 五時十五分過ぎいつものハイエースの排気音が聞こえてきた。

 手を振って答える。

 私のまん前を滑るようにして車が止まった。

「おはよー。板積んで」

 いつもの挨拶の後、後部ドアのロックが外れる。

 後ろを開けて板を天井に滑り込ませ、後部スペースに水タンクを置いた。

「郁美は荷物何か無いかい?」

 一応聞いてみた。

 聞いて正解だった。

 トランクみたいなお弁当箱が。

 しかも二つ。

「今日はセブン寄り無しで大丈夫ですよ」(コンビニに寄ること。いつもはそこで 軽く朝食を買って行く)

 トランクの様なお弁当箱を叩きながら言うと、車の中は歓喜につつまれた。


 道中は約三時間。

 いつもと違い、女性がいる車内が何故か心地良かった。

 序所に日が昇り周りが明るくなっていく。

 国道から県道へ、そして川沿いの細い道に入る。

 その時だった。

 郁美が突然ガタガタ震えだした。

「どっどうしたの? 具合悪いの?」

「大丈夫です。ちょっと車に弱いんで」

「本当? 急になったんでしょ。具合悪かったら無理しちゃ駄目だよ」

「じつは川が苦手で」

 右手を指差す。

「見なければ大丈夫なんで。……すみません、着くまで寝ていていいですか?」

 運転している小森谷さんに聞く。

「いいよー。着いたら起こしてあげるからねー」

 その声を聞くと私の肩に頭を預け、すやすやと寝始めた。

「ちゃんと運転者に許可を取るあたり、良く出来た子ね。お弁当は沢山作ってきてくれるし可愛いし、渡邉君は素敵な彼女を見つけたわね」

 小森谷奥さんは感心していた。

 本当だぞ、と中山も言う。

 私はあははー、とだらしなく笑いながらも急にどうしたのだろう、と考えてしまっていた。

 色々心の中に有りそうだが守ってあげないと、郁美の寝顔を見ながらそれだけはしっかりと思った。


 川沿いの道を抜け県道に入る。

 道は大きい四車線だが田畑が一面に広がり、お店はたまに大きなレストランがあるだけののどかな道になる。

 暫く走って細い道に入る。

 少し行くとコンビニがあり、その横の車一台何とか入れる細い道へ入る。

 道なりに行くと森があり、曲がりくねった物凄い下り坂の入り口となる。

 その入口からハイエースは速度を落として入っていく。

 ガタン

 ハイエースが揺れる。

 対向車の為に小森谷さんがクラクションを鳴らしながら下っていく。

 急に車が傾いて驚いたのか、郁美がゆっくりと目を覚ます。


「おはよう」

 声を掛ける。

 郁美がゆっくり起き上がるのと森を抜けるのが同時くらいだったと思う。

 色白の顔に光が射した。

 夏の朝の海が眼下に広がる。

 青の空、濃い青の力強い海。

 砂浜にはもう何台か車が並んでいた。

「綺麗」

 郁美は懐かしむ様な目で見ていた。


 凸凹道を進んで砂浜に到着。

 エンジンを切って暫しのんびりとする。

 そしていつもなら軽くコンビニで買ったおにぎりなんかを食べるのだが、今日はトランクみたいなのが二つもある。

「外で食べるか」

 小森谷さんの提案で全員外に出る。

 ビニールシートを敷いて、みんなで座って開けてみた。

 一つ目は可愛いサイズのおにぎりが所狭し、と並んでいた。

 二つ目はから揚げやポテト、ハンバーグ、サラダ、揚げ物などが入っていた。

 どれも美味しかった。

 量が多すぎるので朝食では食べきれなかったが、波乗り休憩の時などにつまんでいたらどんどん無くなっていった。


 いい波が来て乗る。

 ゲットしたぜー、郁美見ているかー。

 岸に目をやると小森谷奥さんと何か熱心に話し込んでいた。

 アチャー、ドボーン。

 海に落ちる。

 あれっ、車の物陰に隠れたぞ、と思ったらラッシュガードを着て現れた。

 パドルのやり方を小森谷奥さんに教わっている。

 おっ、まさか。

 後部座席からロングボードが出てきた。

 あー、やっぱりなー。

 やりたくなったといったとこだろう。

 一応こういう可能性も考えて小森谷奥さんに話を通しておいて正解だった。

 やりたそうにしていたら声掛けてひっぱりこもうとしていた位だから、この展開は理想的だった。

「あれっ、飛ちゃん来るね」

 中山がパドルでこっちに寄ってきた。

 砂浜で体操を始めた郁美を見て、

「見に行ってやったらどうだ」

 生井もこっちに寄ってきた。

 丁度いい波が来たので岸に戻る。


「お帰りなさい」

 海岸でリーシュコードをつけている郁美が私に声を掛ける。

「ただいま。郁美氏。乗り方も教わったかい?」

「うん、でも初めてだから、色々アドバイスしてね」


 まかせとけ、とは言ったもののアドバイス不要だった。

 綺麗にパドリングして、スッと立った。

 これにはビックリした。

 ロングは大抵一日で立てる様になるが、ものの五分で立っていた。

 またパドルも上手く、私達はもとより小森谷さんより早く沖に出られた。


 十二時近くになり、そろそろみんな岸に上がり着替える。

「気持ちよかった」

 上機嫌の郁美。

「飛田さんサーフィン上手いね」

 小森谷さんも褒める。

 それ程でも、と照れ笑いの郁美。

「いや、相当なもんだよ。パドルも早いしね。あっ、ひょっとして水泳やっていた。あのパドルの上手さだと県大会、いやっ全国大会レベルだな」

 小森谷さんが更に褒めた。

 すると郁美の表情が急に曇った。

 何故かは解らないが、この話題にはもう触れない方が良い様な気がした。

「セーバー亭行きませんか?」

 話を変えてみた。

「あっ、私行ってみたいです」

 郁美がまた笑顔になって言った。

「よーし、じゃあ行きますか」

 小森谷さんの掛け声でみんな車に乗り込んだ。



 夏休みに入りずっと郁美と一緒にいた。

 今日は夏休みの宿題を二人でやっていたら、部屋にコーヒーを運んできた親父が心臓発作を起こしそうになった。

「七月中に宿題をやっている……」

 それだけ言い残し部屋から出て行った。

 その後ろ姿を見て二人で笑った。

 宿題すらも楽しかった。



 八月に入り茨城県で花火があったので行くことにする。

 夕方五時に土浦駅で待ち合わせ。

 一緒に行こうと言ったのだが、今日は何か用が有るらしく駅で待ち合わせることとなった。

 花火の見物客か駅には人が溢れかえっていた。

 みんな楽しそうに会場に向かう。

 浴衣や甚平の若い男女の姿が夏の夕空に映えた。

 浴衣の女の子可愛いなー、なんて思いながら通行人を見ていた。

 やけに綺麗な浴衣美人が歩いていたので、ずっと見ていたら目が合い睨まれた。 あわてて目を逸らす。

 今日はそこら中に浴衣美人がいる。

 着物好きの私にはたまらない。

 また、やけに綺麗な浴衣美人が歩いてきたのでずっと見ていたら目が合い、今度は微笑まれた。

 えっ、と驚いてしまったが、よく見たら郁美だった。

 いやーわからなかった。

 紺を基調とした浴衣、黒髪を後ろに束ね、巾着袋を持っている。

「お待たせー」

 とたとたと駆け寄ってくる。

 そして、

「変じゃないかな」

 浴衣姿の手を広げる。

「うん、似合うね」

 笑顔で言えたと思うがドキドキするくらい綺麗だった。

 夜店が点々と並ぶ道を二人寄り添い歩く。

 まだ日は高く、周りは夕日で明るかった。

 沢山の人がいてみんな楽しげに会場に向かっていた。

「花火久しぶり」

 郁美も上機嫌だ。

 いくつか会場があってそのうちの一つの陸上競技場の中に入る。

 そろそろ人が集まり始めていたが、まだ開始時間まで時間があった。

 ちょっと早かったかな、と聞いてみるが、

「いや、このくらいに来ておかないといい場所とれないよ」

 地元茨城が言うのだからこれで正解なのだろう。

 バックからビニールシートを出して広げ二人で並んで座ると急に雨が降ってきた。

 そんなに凄い雨では無くぱらぱら雨だが、会場にいた人達は半分半分ほど雨宿りに走る。

「どうする?」

「少しくらい濡れたって大丈夫だよ。すぐ止むと思うし、このまま居よう」

 雨脚が強くなってきた。

 ほとんどの人が雨宿りに走る。

 これは今日中止かな、なんて言いながら雨宿りに走る人がいた。

「どうする?」

「濡れたって夏だし風邪引かないからこのまま居よう。多分もう止むよ。せっかくいい場所とったんだからさ」

 笑顔でこっちを見る。

 濡れた首筋が妙に艶やかだった。

 やがて郁美が言った様に雨は止んだ。

「ほら止んだ」

 どうだ、と言う様な目でこっちを見る。

 何故か愛おしくてたまらなかった。

「そうだね」

 静かに口を併せる。

 周囲はいつの間にか暗くなっていた。

 遠くから一発目の花火が上がり華々しく音を鳴らした。


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