第8話 照月
「海外行くの?」
夜、家に来た郁美に出会い頭で聞いてみた。
弾かれた様に驚き、
「……うん。だいぶ前から決めていて、用意していたの。私に目を掛けてくれていたピアノの先生がいてね、音楽留学を勧めてくれていたの」
覚悟を決めた様に語りだした。
「どのくらい前から決まっていたの?」
「渡邉君と同じクラスになる前からかな」
そうか……
「もっと早くに言えれば良かったんだけど、中々言えなくて」
申し訳なさそうに笑う。
あまりにも急すぎて、少し怒りにも近いものがこみ上げてきて、下を向く。
「ねぇ」
声を掛けられ顔を上げる。
綺麗な、透き通る双眼が私を見つめる。
「渡邉君は私の事、どう思っているの?」
少し、少しだけ、声を震わせながら言う。
好きにきまっている。
夏休みに入ってから更に好きになった。
嫌いなら一緒にいないし、第一こんなに楽しくもないだろう。
しかし好きだなんて言っていいのだろうか。
私がつりあっているのかどうか自信がなさすぎた。
そして全てが急すぎて、怒りや恥ずかしさ、照れくささもあったと思うが答えがすぐには出なかった。
沈黙の中時間だけが流れる。
窺う様にこちらを見ていたが、いつまでたっても声を出さない私から目を逸らす。
残念そうに肩を落とす姿に、声が掛けられない私が本当に情けなかった。
「そう……そうだよね、私なんか……。今までごめんね。迷惑ばかりかけて。でも私は楽しかったよ。ありがとう」
頭を深く下げ、こちらに背を向けて走り出した。
止める間も無く。
ああ終わったな。
それだけはよく解かった。
次の日、いつも朝一で家に来るのに来なかった。
その次の日も来なかった。
いい夢を見ていたんだな、と思うことにする。
外国ではしょうがないし、第一私ではつりあわない。
そうして何日かはあっという間に過ぎてしまった。
夏休みももうすぐ終わるなぁ、などと考えながら中山の家の前でバイクをいじることにする。
少し錆が出ている。
普段はあまり気にしないが今日はやけに気になる。
錆落としでもするか。
しかし白いヘルメットを掛けていたメットホルダーは錆びていなかった。
やはり好きなんだな。
自分の気持ちは隠せない。
ウエスを出して錆落としをしていると中山が来た。
「おい、何か飛田家の前に引越し車が停まっていたぞ」
「家知っているの?」
「徒歩三分だよ。しょっちゅう会うよ。庚申塚の金持ちエイト(豪華な八件の家)のとこだろ。なあ、飛ちゃん引っ越すのか」
ウエスを放り出して走り出す。
家の前では引越しの荷物を積んだ車がちょうど走り去ろうとしている所だった。
それを見送った長い黒髪の後姿が、門柱に吸い込まれる様に消えようとする。
「おい、待ってくれ」
振り向き、流れる黒髪、ちょっと驚いた顔。
その顔に向かってありったけの声で、
「しゅきだ」
……最悪。
噛んでしまった。
その場に立ち尽くす。
言われた方はぽかん、とした顔が数秒続いたがそのうち段々笑い顔になり、大声で笑い始めた。
最初に話しかけた時よりゲラゲラ笑っている。
「忘れようと努力していたのに」
笑うのがひと段落してから呟いた。
綺麗な双眼が真っ直ぐこちらを向く。
そんな寂しいこと言うなよ、という風に私も笑顔の抗議をした。
少し考える素振りをした後、
「良かったら入らない」
手招きされた。
先導する後ろから供奉する様にゆっくり着いて行く。
初めて中に入る飛田家の中。
そこには大事な物、というか無くてはならない物、否、居なくてはならない者が居なかった。
「生活感無いでしょ。私物は今送っちゃったから」
少し寂しそうにため息をつく。
うすうす感じてはいたが家族が居なかった。
何処にも居なかった。
しかし、何故? と聞くところではないし聞くべきところでもなかった。
「いつ出発するの?」
「明日」
「また急だな」
「うん」
「もう引越しの用意はいいの? 手伝うけど」
「もう私物は持っていってもらって、あと残っているのは家族で住む為用に買った 大きな家具と、使わなかったダンボールだけ。それと」
「なに?」
「花火。去年大量に買ったのだけど、使わなくて」
「そうか。よし、それ今やっちゃおう」
「うん」
玄関先に出て塀の影にロウソクを用意し火を点ける。
空は夕日から夜の幕が下りようとしている所だった。
庭から水を入れた大きなバケツを持ってきた。
「まだ少し明るいけど始めようか」
手持ち花火を一本取り出し点火する。
火の川が光となって流れる。
ドラゴン花火を五つ並べて次々点火する。
光のカーテンが出来火花を散らす。
郁美はそれを見てニコニコしているだけ。
「やれば?」
「うん。でも見ているだけでも楽しいけどね。去年他の家が家族でやっているのを見て羨ましいな、と思っていたの。で、それを見るたびに花火を買うんだけど……一人でやるのもねー、と思って」
辺りはすっかり暗くなってきた。
煙が天に昇る。
少し秋を感じさせる涼風が火花を揺らす。
全部の花火をやり終えた。
ロウソクの火を消す。
周りが闇と静寂に包まれる。
あっ、と郁美が何かに気づく。
「布団も持っていっちゃった。失敗したな。今夜どうやって寝よう」
苦笑いをこちらに向ける。
「ダンボールはあるんだよね」
「うん」
じゃあ。
二人で家の中に入る。
リビングのフローリングにダンボールを敷く。
そこに寝転がり、体の上にダンボールを被せる。
「夏だしこれで大丈夫」
「そっか。頭いいね」
リビングの電気を消して寝転がる。
郁美も私の隣にダンボールを敷き、体の上にダンボールを被せた。
月光が窓から差込み、周囲はそれほど暗くない。
顔の表情が解かる位の光量がある。
隣からゆっくりと手が伸びてきたのでしっかりと握ってやる。
どのくらいこうしていただろう。郁美が小さく声を出す。
「渡邉君は私の事聞かないよね。こんな特殊な環境だし……噂もあるし。周りの人は結構色々聞いてくるんだけど」
心配そうな目が月光に照らされてこちらを心配そうに伺う。
だから言ってやった。
「聞かれたくない事は誰にでもある。言いたくなったら言えばいいし、言いたくなかったらそのままでもいい。大事なのは今、どういう人なのかじゃないかなぁ」
しっかりと目を見て言った。
「素敵な考えね」
「そう?」
「二年になってからはどうせ留学するし、誰とも深く付き合わない予定だったの。それなのに肩抱き寄せて、俺たち付き合っているんだけど、なんて言って。あれはずるいよ。あんなことされたら」
そこまで言うとふと笑った。
そして意を決した様に言う。
「ねぇ」
「何?」
「渡邉君はもてるから……かわいい彼女を作ってね」
「……どういうこと」
「二年以上は、向こうで暮らすと思うの」
「うん」
「私なんかの事、そんなに待っていられないでしょ」
「そうか、そんなに長いんだ」
「うん」
「じゃあ、待たないよ」
「……うん」
「そのかわり待っていてよ」
「えっ」
俯むきがちの瞳がこちらを真っ直ぐ見つめ、動きを止める。
「俺が郁美につりあう男になるまで、待っていてよ。そうなれた時、迎えに行くから。いつまで掛かるかはわからない。でも、必ず迎えに行く。だから待っていて」
月明かりに照らされた大きな瞳から、一筋の透き通った綺麗な流れが出来る。
「待っています。いつまでも待っています」
月下に唇を重ねた。
そして体が重なった。
夜風が一陣二人を撫でた。
闇と静寂の中とても暖かだった。
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