第9話 朝風

 


 朝日が差し込み次の日になったことを気づかせる。

 体を起こし周囲を見ると人気が無かった。

 隣のダンボールの上には手紙と鍵が置いてあった。

 もう郁美の姿は無かった。

 手紙を開封する。

(とりあえずやってみよー、が出来なくなるのでもう行きます。向こうでしっかり勉強してきます。早く迎えに来て下さいね。帰ってきたらこの家で何時までも待っています)

 末尾には向こうの住所も書いてあった。

 そうかもう行ってしまったか。

 ゆっくり起き上がりあたりを見回す。

 主人を失った立派な家具達が寂しそうにも見えた。

 玄関に向かい靴を履き外に出る。

 涼しい風が寂しさを膨らませる。

 しかし悲しんではいられない。

 郁美に釣り合う様にならなくては。

 そう思いドアに鍵を掛けた。



 二学期になり、そろそろ進路を考えなくてはならなくなった。

 うちは本当に普通の学校なのでだいたい大学進学と、専門就職が半々くらいに分かれた。

 何とか大学にそして一流の所に合格してやる、と思い勉強を始めた。

 学校で教科書を開いている私を見て、中山や生井はおかしくなってしまったのかと心配そうな目で見ていた。  

 親父は本当に私がどうかしてしまったのかと思ったのか、病院に連れて行こうとした。

 しかし私は本気だった。

 バイクにカバーを掛けた。

 サーフィンも月一回になった。

 初の手紙が届いたのは九月の終わり位。

 向こうでの生活が落ち着いた、見るもの全て目新しい、そして元気でやっています、渡邉君はどうですか、変わりないですか、相変わらず楽しくやっていますか、という内容だった。

 すぐに返事を書いたが、エアメールの出し方が解からないので郵便局で聞く。案外安く二百円でおつりが来るとは思ってもみなかった。



 秋も深まり木々が紅葉する頃、郁美の手紙内容は充実を増す様に明るいものになっていった。

 友達が沢山出来た事、ピアノが更に上達した事、色々な所に遊びに行ったり、いろんな事を教わったりと様々なことが書いてあった。

 私はというと相変わらずなのだが、予備校に通い出したこと、大学は六大学に行こうと決めたこと、中山も生井も変わらず元気だということを書き綴った。



 秋が終わり冬を告げる様に北風が髪を揺らす。

 短い髪に挑戦しようかなと呟いたら似合わないから止めとけ、と中山に言われた。

 そのことを手紙に書いたら郁美も同意見だったので止めた。

 こちらの髪型すら変わらない生活と違い、郁美の生活は更に勢いを増していた。 地元のピアノのコンクールで賞を取った事、色々な人脈が広がった様で、色々な人物の名前が書いてあった。

 私の知らない人物の名前が。



 冬が本格化し寒さを強く感じる様になってきた。

 向こうからの手紙は相変わらず来たが、こっちは受験勉強ばかりしているのでとりたてて書くような事も無く、また忙しさから段々すぐには返事を出さなくなった。

 忙しいのは郁美の方が数倍上だろうにも関わらず。


 どこか味気ない大晦日を親父や中山、生井と過ごす。

 遠くで除夜の鐘が鳴り響く。

 イギリスではどんな正月なのだろう、などと考えながら。


 向こうから一通来るとこっちも遅れて一通返すペースで文通が続いていた三年生になった春先、相変わらず受験勉強の日々であった。

 その甲斐あってか合格E判定だった某有名大学がD判定に上がった。

 判定表を中山、生井に見せると驚愕していた。

 親父に見せたら全くの無駄金にはならなそうだな、と鼻で笑われたが少し嬉しそうにも見えた。

 すぐに手紙で郁美に知らせる。

 しかしいつもすぐに来る返事が今回は遅かった。

 焦りにも似たイライラが募る。

 少し遅れて返事が来て地元のピアノコンクールで優勝した旨が書いてあった。

 そのことより先に合格判定おめでとう、が書かれていた。

 私はなんてちっぽけな存在なんだろう。

 そう感じてしまった。



 初夏の風がまとわりつく季節になった頃合格判定がCになった。

 喜び勇んで予備校から出る。

 帰り道、偶然、といえば偶然だし、予想出来なかった事かと聞かれるとそうでもないが、いきなり左のわき腹を蹴飛ばされる。

 ガードレールまで吹き飛ばされ、鈍い音がして止まった。

 振り向くとやはりというか、今まで無かったのが不思議というか、今更かというか、大学落ちてニートになられた高居先輩とその仲間がいた。

 卒業してからも家にいるらしいからいつかこんなこともあるかな、とは思っていたがだいぶ時間が経っていたので少々不意打ちの感は否めない。

 反撃に移ろうとして拳を握り締めたら右手首がおかしいのに気づく。

 あれ、変な方向に曲がっている。

 私も驚いたがやった当人はもっと驚いていた。

「ざまあみろ」

 捨て台詞をはいてどこかへ行こうとする。

 その背中に向けて思い切り蹴りを入れた。

 場所が悪かった。

 道路に飛ばされた高居先輩は車に跳ねられてしまった。


 人の悲鳴、喧騒、手首の痛み、倒れている高居先輩、全てが遠く感じた。

 血の気が引いてしまい座る様に倒れた。

 そしてそのまま意識を失った。



 目が覚めると病院のベッドの上だった。

 壁の時計を見ると朝の七時前。

 何度か目が覚めた様な気がするがよく寝たものだ。

 右手のギプスを気にしつつ、うつら、うつら、としていると病室をノックする音。

どうぞ、と声をかけると中年の二人組が入ってきた。

 黒い手帳を見せられる。

 警察だった。

 昨日の夜、高居先輩の母親が警察署まで怒鳴り込んできて大変だった、と苦笑しながら語る。

「そして君のこと、逮捕して下さい、って言われたんだがねぇ。どうも向こうから手を出したみたいだし、あっちは打撲だけだけどあなたは骨折で重症だし」

 頭を掻きながらこちらを見る。

「喧嘩の相手は骨が折れています、って教えてあげたら今度は顔を青くして、息子を逮捕しないで下さい、って。高居君も反省しているみたいだし、今回だけは厳重注意だけで終わろうと思うのだけど、どうする?」

 話が大きくならないならそれに越したことは無い。

「それで結構です。ご迷惑をお掛けしてすいませんでした」

 しっかりと頭を下げた。


 刑事さん達が帰ったのと入れ違い位で親父が病室に入ってきた。

 怒られるかな、とも思ったが、

「またイタズラしてきたな」

 そう言ってニヤッとするだけだった。

「帰るぞ」

 特に深くも聞かれなかった。ひょっとしたら原因も知っていたかもしれない。そういう所が昔からあった。

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