第12話 不知火


 親父が学生の頃に入っていた改造バイクサークル(暴走族)の人が大阪でキャバクラの社長をしていた。

 高校三年になっての警察沙汰に停学、おまけに住む所が無い私を雇ってくれた。

 大阪の繁華街に近い今宮に寮が在り、卒業後すぐに入寮させてもらった。

 キャバクラ、クラブアンジェルーチェは難波にあり、とても派手な店だ。

 仕事は黒服で、高卒にしては良い給料だった。

 しかし思ったよりも体力仕事で立って走って足がパンパンになり、氷を砕くのに腕は疲れ、手は豆だらけになった。

 十九時にオープン。

 女の子の送迎、後片付けをするともう朝で、近くの定食屋で食事をするともう九 時を回っている。

 十時頃、寮に帰り寝る。

 気がつくと十六時、下手すると十七時を回っていて、慌てて身の回りの事をするともう出勤時間。

 働いて寝るだけの生活。

 休みの日は寝ている事が多くなった。

 世界はどんどん狭くなっていく。

 


 夜とネオンと倦怠感に慣れた頃にはもう一年が過ぎていた。

 ほとんど店に来ない社長が他の職員には見せないでね、と言って渡してくれた給料明細には『謎手当て 二万円』という項目があった。

 親父のお陰だろう。

 貯金は少しずつ増えていく。

 何故お金が必要なのかを考えもせず貯めた。



 更に一年が過ぎた。

 客と女の子の機嫌をとるのが上手くなり店長補佐になった頃、事件がおきた。新人黒服と堀川とナンバーワンのキャバクラ嬢、秋吉さん(源氏名は沙織で本名は原田香織。何故秋吉さん、と呼ばれているか不明)が恋仲なのがばれた。

 勤務中バックルールでキスをしているのを、運悪く口の総合火力演習(こちらは字の如く)の美貴さんに見られてしまった。

 業務終了後職員全員で緊急ミーティングとなった。

 お姉さん達は私より、二つ、三つ、年上なのだが今日は店長が休みなので私が纏めなくてはならない。

 通常は二人とも辞めてもらわなくてはならないのだが、秋吉さんが辞めてしまうと店は大打撃になってしまう。

 秋吉さんには残ってもらわないと困る。 

 店長に投げても良いのだが連休を取っていて明日も居なく電話をして指示を仰いだら任せる、とだけ言われた。

 何か国家資格を取って来月退職の予定だから気楽なものだった。

 ミーティング冒頭から美貴さんがうるさくて、このままでは二人とも辞めかねない感じだった。

「秋吉も今日で退職ね」

 ナンバー2の美貴さんは秋吉さんに辞めてもらいたくてしょうがないらしい。

 総合火力が絶好調だ。美貴さんの取り巻きも無言で頷いている。

 まぁまぁ、と宥める私に対し、

「うるせー」

 おしぼりを投げつけてきた。

 もう手に負えない。

 火力は更に増す。

 秋吉さんは俯き堀川は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 これは駄目かな、二人とも退職かな。もう諦めた時だった。

 堀川に向かって、

「身分違いの恋なんかしてんじゃねーよ」

 怒鳴る美貴さん。

 身分違い……。

 気がつくと、私は立ち上がっていた。

 足が勝手の様に動き美貴さんの目の前に立つ。

「何よ、下僕」

 怒鳴る美貴さんに、


「恋に身分なんか関係ない」


 気がつくと怒鳴り返していた。

 まず動じる事の無い美貴さんがビクッとした。

 スタッフ全員驚いた顔をして私を見る。

 美貴さんの目を見続けながら言葉を続けた。


「男の方はそんな事、とっくにわかっています。つりあっていないという事くらい。でも好きなのです。好きで仕方がないのです。お願いです。お願いですから、そんなことを言わないであげて下さい」


 気がついたら泣いていた。

 私の様子を見て美貴さんも他のお姉さんやスタッフも驚き黙ってしまった。

 秋吉さんは泣いていた。



 次の日から私を見るみんなの目が変わった。

 こちらを下僕の様に見ていたお姉さん方や、若いくせに店長補佐の私を小ばかにしていた年上の後輩黒服が尊敬の目で見るようになった。

 特に美貴さんが柔らかくなった。

 少し女らしくなった様な気もする。(店長補佐の前でだけですよ、と他の黒服から言われた)

 さすがに堀川は退職だが秋吉さんは元気に出勤してくれた。

 数ヵ月後店長に昇進した。



 若い店長ではあったが何とか店は順調だった。

 秋吉さんも美貴さんもまだこの店に残ってくれて、色々と手助けしてくれた。

 秋吉さんは相変わらず店の売り上げに多大な貢献をしてくれていたし、女の子同士のトラブルの時などどうしようもない時、美貴さんのフォローが凄く有難かった。

 スタッフ間の仲も信じられない位に良くなった。

 夏になるとみんなで花火に行ったりもした。

 順調な毎日だった。

 擬似恋愛の世界、偽物の恋、嘘を重ねていく世界。

 しかしその様な中にも幸せを見つけていけた。

 客と一緒になるお姉さんもいた。

 私は心から祝福した。


 営業終了後レジ金を数えて袋に入れて持ち帰る。

 外に出るともう空が白み始めていた。

 少し寒さが和らぎ暖かい風が私を包む。

 就職してから三年目の春を迎えようとしていた。

 そんなある日、社長が逮捕された。



 大阪拘置所に秋吉さん、美貴さんを連れて面会に行く。

 大拘の面会室で見る社長はいつもと変わらぬ表情で、

「よう」

 なんて言っていてやけに明るかった。

「ここから出してくれー」

 無理な注文を言ったりしている。

 悲壮感はまるで無い。

「まあ、掛けてくれ」

 自分の家の様に言っている。

 まぁ暫く別荘として住むことになるのだからあながち間違いでも無い。

 苦笑いしながら三人共腰掛ける。

 店の調子はどうだ? など普通の会話の後普通じゃ無い事を言い出した。

「暫くなべチャンがオーナーで仕事してよ」

 私は驚いてしまったが、秋吉さんと美貴さんは笑って頷いている。

「秋吉や美貴からなべチャンがしっかり纏めてくれている、と聞いているからな。俺は少し長くなりそうだからその間頼むわ。好きにやってくれていいからさ」

 でも……と躊躇していると、

「別にあの店は趣味でやっていた物だから。潰してもいいんだけど、秋吉や美貴達の職が無くなるだろ。税理士にも頼んでおいたからさ、頼むよ」

 社長、秋吉さん、美貴さんが私に手を併せる。もうしょうがない。

 よしやるか。

 みんなの拍手を聞きながら私がオーナーとなった。



 一応オーナーになった訳で寮に住んでいる訳にもいかず、七道に一DK家賃三万円のアパートを借り住む事にした。

 当初は苦労の連続だった。

 若くしてオーナーなものだからこちらを舐めてかかる客、業者も沢山いた。

「まけてーや」

「もうチョイ安くならんの」

「なりません」

 毅然と言い放つ。

「今日お金無いんだけど」

「じゃあ来るな。帰れ」

 怒鳴りつける。

 業者もこっちが若造だと思ってか、平気で汚いドレスやタオル、賞味期限が切れているつまみを持ってきた。

「馬鹿野郎、ふざけんな」

 突っ返した。

 


 一年後順調で貯金も増えていった。

 少し余裕が出来たので車を買った。

 当初ミニバンを買おうと思って中古車屋に向かう。

 しかし中古車展示場で一際小さくしかし外車の様相を呈している白の車体が視界に入ると、何かを思い出した様に見入ってしまった。

 よく観察するとクリーム色の屋根は幌で出来ていて折りたたみが可能。オープンカーだ。

 かっこいいなぁ。

 確かにそう思った。

 しかし説明出来ないその他の感情が渦巻く。

 何だろう、と考えていると、

「運転席乗ってみますか」

 不意に店員に話しかけられた。


 売約済みの札が車に貼られた。

 仕事場でその事を話したら、

「つぶしの利かない車を買ったね」

 美貴さんに笑われた。それからまた身を粉にして働いた。



 また一年が過ぎた。

 住之江でマンションを借りた。

 オートロック、一階に小さな日本庭園風の庭、十階建てのちょっと古いが立派な建物、バブルの頃に建てられたと不動産屋が言っていた。

 仕事も忙しくなり人を更に雇った。

 店舗も大きな所に移った。

 ここで満足しておけば良かったと思う。

 この頃になると遊ぶお金も結構出来たので、美貴さんや秋吉さん男性職員と色々な所に遊びに行った。

 サーフィンもまた始めた。

 キャバクラに行けばもてた。

 飲み屋を散々はしごしていると悪い友達も出来た。

 美貴さんに彼氏が出来たのもこの頃だった。

 キャバクラには芸能人崩れや読者モデルもいた。

 友達になり色々な所に遊びに行った。

 彼女達と一緒にブランド物の服や靴を買った。

 格好も派手になっていった。



 そこから一年後二店舗目のキャバクラを出した頃、美貴さんの彼氏が独立したいと相談してきた。

 彼氏は美容師で美容院を私の思うようにやりたい、出資してもらえないか、と言う話だった。

 景気が良かったし美貴さんの彼氏の頼みとあっては断れない。

 快く出してあげうちの系列店となってもらった。



 一年後、美容室は途轍もない赤字となっていた。

 私が甘かった。

 キャバクラの方も売り上げに少し陰りが見えてきた。

 くそっ

 悪態をつきながらバーのカウンターで飲んでいると悪友が隣に座った。

「大麻やらない?」

 いつもの挨拶代わりの言葉だ。

 この男とは難波の場外で知り合った。

 有馬記念をお互い当てた時、知り合いでもないのに抱き合って喜び、そのまま飲みに行ってそれからの縁だ。

 なにやら悪い事をしているらしいのだが詳しくは聞いた事が無いし、聞きたくも無い。

 ただなんとなく馬が合い年も近いのもあってよく飲みに行ったり、朝までカラオケをしたりした。

 薬さえしなければとても良い奴なのだが。

「だから、俺は薬はやらないって言っているだろ」

 面倒くさそうに言い放ったと思う。

 しかし、不意に頭に閃いてしまった。

 俺はやらないが……。

「なぁ、少しまとまった量、手に入るか?」

「ああ、いけるよ」

 そうか、と答えたと思うが酔っていたのもあってか思い出せない。

 ただしっかりと覚えているのは悪魔と握手をした、という事実。



 美容室に新メニューを追加した。


 ヘアリラックスコース


 なんてことは無い。

 大麻を吸わせるだけなのだが、髪に艶が出る他にもストレス解消にもなるという触れ込みで始めた。

 美容室はあっという間に立ち直った。

 口コミが口コミを呼び、美容室は連日満員となった。

 宣伝などはする必要はなかった。

 否、してはまずいので口コミと紹介、それと人を見て勧める様徹底指導した。

 髪を切りに来る人よりもこのヘアリラックスコースをやりに来る人の方が多くなった。

 当初美貴さんの彼氏は不平を言っていたが、じゃあこれをやらずにこの大赤字を返せるのか、と問い詰めたら沈黙し、これによる多額の報酬を渡すと迎合する様になった。

 美貴さんに一つ内緒が出来てしまった。

 どうして黒字になったのかわからない、と嘘をつくのにそう時間はかからなかった。



 また一年が過ぎた。

 美容室は二件に増えた。

 二件目は割と辺鄙な所に作るから、 最初は客なんか来ないがすぐに口コミで一杯になった。

 キャバクラ嬢、芸能人崩れ、読者モデル、私の人脈や友達の紹介、その友達の紹介、またその友達の紹介で客はどんどん増えた。

 この人脈を使い、クラブやピアノバーの経営を始めた。

 この頃更に人相が悪くなったと石川に引っ越して住む所が近くなり、たまに遊びに来る中山に言われた。

 


 それから月日が流れた。

 キャバクラは三店舗、美容室は四店舗、クラブとピアノバー、各一店舗を擁するグループに成長した。

 この頃になると案外社長業は暇になってきた。

 専務となった美貴さんと、その彼氏の藤本(常務)がほとんどの事をやってくれるからだ。

 役員報酬はふんだんに与え常に褒め称えていた。

 今年は私より高いボーナスを与える予定だ。


 今日も本部事務所で書類に目を通した後、十七時から悪友と飲みに行く予定があるだけ。

 昨日も帳簿を見た後は本部社員を昼飯に連れて行き、夜は芸能事務所の社長と警察のOBとキャバクラに行っただけ。

 もう現場には久しく出ていなかった。

 インターネットを見ながら暇を潰しているとあっという間にお昼になる。

 今日はうなぎの出前を取ることにする。

 美貴さんや本部職員と輪になって食べていると、


 ラジオからあの曲が流れてきた。


 グリーンスリーブスによる幻想曲 レイフ ボーン ウィリアムス

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