第3話

 木曜休校、金曜日になった。

 強い光が室内に差し込み目が覚める。

 台風は過ぎ去ったらしい。

 蝉が猛烈に鳴いている。

 日が高い。

 親父は昨日またマージャンだったのかまだ起きてこない。

 パンを焼きコーヒーをポットに入れる。

 そしてレコードを適当に何枚か袋に入れ、外に出る。

 店の駐輪場に銀色のカフェレーサー風バイクが停めてある。

 セル一発、エンジンを掛ける。

 少々暖気しながらポットに淹れたコーヒーを飲み、パンをかじる。

 朝の涼風が心地良い。

 エンジンの回転が落ち着いて、暫くたってから飛び乗り学校へ向かう。


 うーす。

 いつもの様に挨拶しながら教室へ入る。

 おーす、と何人かが挨拶を返す。

 席に着き隣の彼女におはよーさんと声を掛ける。

 おはようございます、とこちらを向いていつもより笑顔で返してくれる。

 いつもならこの後はバイク雑誌か車雑誌を広げ、授業が始まるまでそれを見ているのだが今日はいつもと変わったことをする。

「はいレコード持って来たよ」

 彼女に紙袋を渡す。

 一瞬動きと表情が止まった。

 しかしすぐにこっちに体ごと向き直って、

「ありがとうございます」

 嬉しそうにお礼を言われた。

 そんなに嬉しそうにされるとこっちまで嬉しくなってしまう。

「中見てもいいですか?」

 と聞かれたので、

「どうぞ。お気に召すかどうか分かりませんが」

と恭しく答える。

 クスッと彼女も笑い紙袋を開ける。

 見ないで三枚入れてきたので正直何が入っているか私も分からない。

 ビバルディ、シベリウス、まあ良い所だな。

 最後の一枚は何とレイフ ボーン ウィリアムスだった。

 思わず二人で笑ってしまった。

「あの訳はひどいよ」

 笑いながら彼女が言う。

「いやたしかにね」

 私も苦笑いで返す。

 そんな様子をクラス中が不思議そうに見る視線を感じた。

 同い年の男子とも話すんだ、なんて女子の囁きも耳をかする。

 彼女はちゃんと相手してくれますよ、そして感じ良い人なんですよ、と宣伝するかの様に少し大きな声で話をした。

 そして彼女と話をしているととても楽しく、すぐ授業開始の時間になってしまった。

 こうやって仲良くしてれば噂が噂だったんだな、と思われる日も来るのでは。

 そしてそれは近い、ごく近い未来の様な気がした。



 うちは喫茶店をやっている。

 一日中クラシックを流しているだけで「音楽喫茶」なんて言っている図々しい店だ。

 しかし音響設備は一流らしく雰囲気も良い。

 どっから持ってきたのかグランドピアノなんかも置いてあり、それっぽくはなっている。

 しかし田舎の喫茶店の常というか、うちもご多分に洩れず、午前中から午後三時くらいまでは年寄りしか来ない。

 しかも結構な音量でレコードを流しているのでババアはあまり来なく、違いが分かる、みたいな顔したジジイばかり来る。

 そしてコーヒー一杯で何時間も粘っていく。

 朝十時過ぎにもなるとジジイで半分くらいは席が埋まる。

 ありがたい話ではあるのだが、外から見るとあまり見栄えは良くない。

 近所からはジジイの詰め合わせ、なんて呼ばれている。

 以前モーニングとかランチとかやれよ、と提案した事がある。

 それなりに人通りが有るのだから、やったらジジイばかりじゃなくなるし儲かっていいだろ、と言ったのだが、親父曰くコーヒーの香りが阻害されるから食べ物は作らないそうな。

 多分面倒くさいだけだろけど。

 三時過ぎにもなると若い大学生風が来たりもするが、それまでは毎日こんな感じだ。

 故に友達を喫茶店側に呼ぶなんてあまりした事が無い。

 特に午前中になんて一度もしたことが無かった。

 今日は日曜日、昨日はサーフィンで朝早かった上にその後ダラダラと夜まで遊んでいたので、本日は大人しく死んでいる日と決め込みずっと寝ることとする。

 目が覚め時計を見ると十時だった。

 外を見ると緑に勢いが有り夏を感じさせるが、木々がそよいでいてどこか涼しげな感じだ。

 クーラーを消し窓を開けると心地よい風が舞い込む。

 これは寝るのにちょうど良い。

 またベッドに倒れこむ。

 ゴンゴンゴン

 ドアをノックする音が聞こえる、何だ?

「友達来ているぞ」

 親父の声がする。

 こんな時間に誰だ。

 中山も生井も昨日居たけどもう起きたのか。

 元気な事だ。

 親父と共に階段を寝ぼけ眼で下る。

 玄関側のドアに向かおうとするとそっちじゃ無い店側に来ているぞ、と言われる。

 店側? 友達は全員玄関側から来るんだが。                  

 寝ぼけ眼に不振顔が加わったひどい容貌で店側に向かう。

 一発で目が覚めた。

「こんにちは」

 涼やかな声、学校で隣の席の飛田さんがいた。

 白のシャツにデニム地のスカート、白い靴。ありきたりな格好だが、制服姿とはまた違い新鮮に見えた。

 一昨日は休み時間中、ずっと彼女と話をしていた。

 席隣なのに今まで挨拶くらいしかしなかったのが、勿体なかったと感じるくらい楽しかった。

 口数は少ないが聞き上手で時々大笑いしてくれた。

 店の場所聞かれて、

「日曜日、本当にレコードお借りに行ってもいいですか」

 なんて言っていたので、ああ来てよ、一日中家に居るからコーヒーくらい奢るよ、とは言ったものの本当に来るとは思わなかった。

 しかも午前中に。

 午前中、特に日曜日はジジイの数が多く、六つあるテーブル席五つあるカウンター席が半分以上常に埋まってしまう。

 正にジジイの詰め合わせである。

「突然すいません」

 はにかみながら言う彼女。

 珍しい客の登場にみんなこっちを見ている。

 根間さんとこのおじいちゃんなんか息止まっているの? という位凝視して動かない。

 親父も物珍しそうに眺めている。

「ちっ、ちょっと待って」

 特等席、と勝手に私が呼んでいる窓際の席が空いていたのでそこに案内し、急いで身だしなみを整え、服を着替える為に部屋に戻る。

「おまたせ」

 着替えが終わって戻るともうコーヒーが出ていて、親父が彼女と話しこんでいた。

「今度はいい子だな」

 そう言い残してカウンターに戻る。

 一年の頃、付き合っていた彼女を家に連れてきたことがあり、そのことを言っているのだろうか。

 顔だけは良かったが、派手で、挨拶はまともに出来ない、親父にもタメ口だったし、大声で下品に笑い、ここが一番引っかかったみたいなのだが、高校生なのに厚化粧過ぎたので、

「頼むから、結婚しないでくれ」

と、半分真面目に懇願された。

 去年の冬別れたと告げた時は大層喜んで、ステーキハウスに連れて行ってくれた。

 そりゃあいつと比べたら雲泥だと思う。

 長い黒髪、綺麗な目、育ちの良さが滲み出てくる様な容姿。

「すみません、レコードお借りしたらすぐ帰るつもりだったのですがコーヒーまで頂いて」

 席に着くなり恐縮された。

「まぁ気にしないで」

 私がそう言うと静かに口元に笑みを浮かべた後、

「素敵なお店ですね」

 楽しそうにこちらを見た。

「そっ、そうかな」

 なんだか照れてみる。


 常連客から好奇の目が向けられたが、無視して彼女と色々な話をした。

 音楽、学校、バイク、友達の噂話。学校とは違い、結構良く喋る子なんだな、という印象を受けた。

「渡邉君って本当に面白いですよね」

 ケラケラ笑っている。

 喋っているうちに彼女の言葉のイントネーションが変わっていることに気づいた。

 あと良く分からない方言らしき物も出てきた。それを指摘するとハッとした表情になり、

「学校では出ないようにしているんだけどね。沢山話すとやっぱり出てしまいますね」

 寂しげに呟いた。

 彼女の口数が少ないのは方言や訛りが出てしまって、それが恥ずかしいからだそうだ。

 なるほど、謎が解けた様な気がした。

「でも、そんなだと口をあまり聞いてもらえないって言う評判になっちゃうのでは?」

 彼女も私がその様に言われているのは知っていたし、友達からも高くとまっているとか言われているらしいよ、という情報は得ていたが、どうしようもなかった様だ。

 昔、誰かが言っていたことを伝えてみる事にした。

「訛りなんて気にしなくてよくない? 可愛い子の訛りは可愛いんだから」

 すると小首を傾げながら、

「じゃあ私駄目じゃないですか」

と言う彼女。

 いやその仕草だけでも十分可愛いから。

「とにかく気にせずこれからは少しずつでもいいから、飛田さんから話しかけてみれば? そうだ、あなただけにやらすのは悪いから俺も話しかけてみるよ。クラスの女子や先生に」

 俺もサーフィン仲間やバイク仲間は大丈夫だが実は結構な人見知り、特に女子は苦手だったことを告げる。

 以外そうな顔をされる。

「一緒にやろう」

 誘ってみる。

 少し微笑んだ後、凄く爽やかな表情で、

「やってみます」

 真っ直ぐ私を見て彼女は言ってくれた。

「そうさ、何でもやってみればいいのさ、見切り発進、とりあえずやってみたらいいんだ」

 私がそう言うと何かが琴線に触れたのかいつもより大笑いし始めて、止まらなくなった。

 結構笑い上戸なんだな、と思った。

 店内にはショパンのレコードが流れていた。

 親父が何曲目かで弾かれた様に気づき、切りの良い所で音を止める。

 変わりに流れたのがエルガーだった。

 親父のやつ余計な気を使いやがって。

 あっ、と飛田さんが小さく声を上げる。

 店の隅にあるグランドピアノに気づいた様だ。

 飾りとして置いてあるというのもあるが、年に何回か音大生がミニコンサートをするので調律はしてある。

「一曲弾いてみる?」 

 聞いてみる私。

「迷惑になりませんか」

 上目遣いに私を見る飛田さん。

「全くならないよ。生演奏はボケ防止になるって知っていた? ここにいる人間には丁度いいよ」

 親父にレコードを止めてもらう。

 クスッと笑いじゃあ、と言って彼女がピアノのある方向に向かう。

 ピアノの前の椅子に座り、軽く鍵盤を撫でた後、弾き始めた。

 モーツアルトピアノ協奏曲第二十番を弾く。

 レコードよりも透き通った音。

 客の動きが止まる。

 そして演奏が終わると割れんばかりの拍手、アンコールの声が。

 照れくさそうに別の曲をもう一曲弾いてくれた。

 客からは前曲以上の拍手と歓声が挙がった。


 何曲か弾いてくれた飛田さん。

 弾き終わる頃にはお昼になっていた。

 しかしうちは食べ物が出ない。

 だからランチやろうって言っていたのに。

 仕方ない高くつくが外に行く事にする。

 素晴らしい演奏のお礼にご飯くらい奢らないと失礼だ。

「おいしいパスタを出す高級店が御座います。演奏のお礼にお昼ご飯を是非ご招待したいのですが」

 恭しく聞いてみる。

 えーそんないいですよ、と遠慮する彼女。

「さいぜーりや(激安ファミレス)という超高級店で御座います」

 私がそう言うと高級じゃないし、と小声で言いながら彼女は笑い出した。

 そして、

「それじゃ、是非」

 笑顔で快諾してくれた。

「では馬車を取ってきますので少々お待ち下さい」

 執事の様に礼をして立ち上がる。

「はい、待っています」

 バイクを取りに店を出る。

 外は暑かった。

 照りつける様な日差しを浴びながら、姫を乗せる鉄馬を取りに走った。



 

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