第18話
人の家のキッチンというのは、どうしてこうも性格が出るのか。
とても綺麗に整理整頓されていたので汚すのが躊躇われ恐る恐る米を研ぐ。
土鍋を見つける。
梅干も発見した。
卵もあったので入れてみる。
今日の朝頂いたスープの残りがあったのでそれを温める。
お盆に載せると一応らしくはなったので彼女の部屋へ持っていく。
部屋の前で三回ノック。
どうぞの声を聞きドアを開ける。
お待たせしました。
時間が掛かりすいません、と断りながら入室する。
「そんな、早すぎたくらいですよ」
気を使ってくれているのかそんなことを言ってくれる。
また無理に起きようとするといけないので優しく抱き起こす。
「じゃあ食べましょうか」
二人でお粥を食べ始める。
お粥は多分誰が作っても不味くならない唯一の食べ物だと思う。
彼女は喜んで食べてくれた。
食後お茶を飲み終わったのを見計らって、彼女を寝かすことにした。
「ではそろそろ寝るとしましょう。今日は私が隣で寝ますので、患部が痛む様なことがあったら遠慮なく起こして下さい」
驚いた顔の彼女。
「秘書さんご予定よろしいのですか」
こんな時まで人の心配をしている。
家族に気を使い、周りに気を使い、ずっとこうしてきたのだろうな。
「何も心配はいりません。ケガした初日は痛いし、疲れるから早く寝た方がいいですよ」
彼女を仰向けに寝かせ毛布をかける。
私も寝ることにする。
別に夏だから毛布もいらないが床がフローリングなので、台所からダンボールを持ってきて敷いてその上に寝る。
そして部屋の灯りを消した。
「秘書さん」
目を瞑りながら彼女が話しかけてきた。
「何でしょうか」
「こちらの家に一人で住む様になってからも、父だけは会いに来てくれていました。来れば色々な所に連れて行ってくれました。でも母と妹は……。父は必ず連れてくる、と言い続けていました。私も必ず連れてきてね、と言い続けました。しかし一向に来ませんでした。そのうち父も中々来なくなりました。それはそうですよね、仕事を持っている訳ですから。だから私は必ず来てね、絶対だよ、とは言えなくなり、待っています、という言葉を使う様になりました」
いい口癖だと思っていたが、この様な寂しい経過を得てのものだった。
「秘書さん、先程帰ってしまわれるかと。さすがに少し、心細かったものですから。帰ってきてくれて嬉しかったです。待っています、と言い続けても駄目な時の方が多いのに秘書さんは必ず来て頂けるので……嬉しいです」
彼女の方に顔を向ける。
ベッドの上の彼女の表情は窺い知れないが、寝息が安らかなものであった。
窓から月光が差し込んでいた。
それは彼女の方には当たらず私の上に降り注いでいたが、寝るには何の支障も無くむしろ心地良いものであった。
「ゆっくりお休み下さい、良い夢を」
はい、と小さく答えが聞こえると優しい気持ちの中寝気が訪れた。
心地良い朝日を感じ目が覚める。
何故か体の上にタオルケットが掛かっている。
体を起こしベッドを見るともう彼女は起きているのか居なかった。
ドアを開けリビングに向かうと調理する音が聞こえてきた。
痛みは大丈夫なのかな。
リビングに入り彼女に向かって声を掛ける。
「おはようございます。昨日の夜、痛みませんでしたか」
味噌汁を作っている彼女が振り向き、私を視界に入れると火を止め、無言でこちらに向かってくる。
私の前に立つと申し訳なさそうな顔をする。
何だろう、少し身構えてしまう。
少しの間の後、
「本当に申し訳ございません」
突然謝りだした。
何のことだか判らず固まってしまう。
「秘書さんをダンボールの上などに寝かせてしまって」
ああ、何だそんなことか。
気が抜けてしまう。
いや大丈夫ですよ、と言おうとしたが彼女の言葉の方が早かった。
「私なんかの為に、隣で寝て頂いているのに気が回らず」
私なんかの為に?
「飛田さん、それは違いますよ」
思わず語りかける。
彼女の声が止まる。
「私なんかの為に、などと仰らないで下さい。貴方が素晴らしい女性だから、私もここに居る訳ですから」
俯きがちに顔を上げる。
「素晴らしい? 私が? 発作が起きて、身体障害者……何かやる度に周りを不幸に落としめている私が、ですか」
私はゆっくり首を横に振ってから答える。
「飛田さんは私がどんな境遇でも、人の事を考えて行動されますよね。それに一つ夢が、不幸な形で失ってもまた見つけ出し、努力されるではないですか。こういうのを素晴らしいというのです。少なくても私はそう思います。今は……休養中なのですよね。休養が終わったらまた、ご活躍されると私は信じています」
気がつくと見つめられていた。
優しく見つめ返した。
「それにね、私はダンボールの上で寝るのが大好きなのですよ」
いたずらっぽく言った。
見詰め合っていた彼女が吹きだす。
「どんな趣味ですか、それ」
大笑いし始めた。
それにつられて私も笑い出した。
朝の夏風が心地よくリビングに入ってきた。
朝食の後、ケガの治療を行なう。
包帯を取り患部を見ると内出血はひどかったが腫れは収まっている様に見えた。 良かった、一安心する。
「骨折は大丈夫そうですね。体を温めると良くないと思うので湯船はやめた方がよさそうですが、シャワーくらいなら浴びてきても大丈夫じゃないでしょうか。昨日一晩お風呂に入っていなくて気持ち悪いでしょうから。それから包帯を巻きましょう」
「そうですか、ではすいませんが。直ぐ出ますので」
急ぐ背中にごゆっくり、と声をかける。
あっ、このメーカーのメンタームはちょっと効きすぎるんだよな、でもまだ内出血すごいからこれの方がいいか、など考えている私は何時までここにいるつもりなのだろう。
綺麗な庭を見ながらぼんやりと考えているとリビングのドアが開いた。
「お待たせしました」
いや、早かったですね、と声を掛けようとして声が詰まってしまう。
下はスウェットだが上はバスタオルを巻いている。
「あの、下着は着けていますか」
「いえ、包帯巻きづらいだろうと思って取ってきました」
平然と言う飛田さんは湯上りだからか幼く艶やかに見えた。
「いやっ、別に巻きづらくないですから。いや、して頂かないとかえって巻きづらいというか」
驚き戸惑う私を見て少し可笑しそうにしていたがわかりました、とリビングを出て行く。
良い残り香が室内を満たしていた。
そういう気遣いは必要無いです。
まだドキドキしている。
少しすると下着を着けタオルを巻いて戻ってきた。
「お待たせしました。今度はしてきましたので」
「……では、始めましょう」
咳払いを一つしてから湿布をして、包帯を巻く。
包帯を巻かれながら飛田さんが口を開く。
「余計な気を使ってしまいごめんなさい」
目を合わせずこちらを窺う様に、少し含み笑いをしながら謝る。
私は困った顔のまま包帯を巻いていたと思う。
「いえ。しかし、飛田さんは本当に人に気を使われますよね。怪我している時くらい、何も考えないでも」
少しため息混じりに、諭すように呟く。
「本人そんなつもりは無いのですよ。まぁ私なんかが」
しまった、という顔をして言葉を止めた。
そしていたずらした子供の様な目でこちらを見る。
それを聞いて私はため息混じりに、しかし優しく言う。
「このような時くらい、多少甘えても宜しいのでは。何なら我侭の一つ、二つ聞きますよ」
包帯を巻き終わったら大阪に帰ろうと思う。
最後に何でも叶えてあげたい。
しかし、
「何故秘書さんに、そんなことをしても良いのですか」
至極当り前と言えば、当り前の返事が返ってきた。
最後に本当の事も言っておこう。
「私は、飛田さんのファンですから」
「私の?」
「はい。優しくて、気遣いが出来て、料理が出来て、私の事よりも人の事を考える飛田さんの大ファンですから」
今に始まった事では無く、昔から知っていた事を言ってあげる。
しかし彼女から返ってきたのは、呆れた様な苦笑いだった。
「秘書さんも変わっていますね」
「そうですかね。それに実は、飛田さんがピアニストだった頃からファンだったので。私を散々癒してくださったり、勇気づけてくれた人の我侭を聞くのは、それ程変わった事ではないと思いますよ」
「秘書さんも、コンサートに来ていただいた事があるのですか」
少し意外そうな顔をされる。
「はい(貴方がプロになる前にうちの店で)。CDも持っていますよ(貴方から送られてきた物です)」
いつの間にか包帯は巻き終わっていた。
「やっぱり秘書さんは変わっています。私のファンと言って近づいてくる男性は、私の事が好きというよりも……」
水滴の音が響く位の静かな部屋に、悲しい一言が響いた。
「私の体が好きな様で」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます