6.孤立した少女


 今日の朝、教室に入って麻帆まほにあいさつをしたら反応がなかった。そのときは聞こえなかっただけだろうと思ったけど、三分後に教室に入って来た愛香あいかにも無視されたところで、私がハブられていることに気付いた。


 愛香は私のすぐ横を通り過ぎて、麻帆の席へ近づいた。楽しそうに笑っている麻帆と愛香を見て、私は足元がぐらつくような感覚にとらわれた。


 原因はわかっていた。

 私は、正しすぎるのだ。そして、正しすぎるがゆえに間違ってしまう。

 この世界は、私のような真面目な人間に対して厳しかった。


 女子高生というのは、集団で行動する生き物である。クラス内でグループを作り、トイレに行くのもご飯を食べるのも常に一緒だ。


 私と愛香と麻帆と由芽ゆめの四人グループに、昨日、ちょっとした事件が起こった。

 昼休みに、いつも通り四人で昼食を食べていたときの出来事だった。

 由芽が、とあるロックバンドをけなす発言をしたことに対し、愛香の表情が曇った。


「そのバンド、私は好きなんだけど」

「あ……ごめん」

 由芽は愛香の表情を見て、顔を真っ青にした。

 愛香は、私たちのグループのリーダー的存在だった。


「由芽と私たち、明日から別々だから」

 愛香にそう告げられた由芽は、今にも倒れてしまうのではないかというくらい、絶望的な表情をしていた。

 高校生にとってその一言は、死刑宣告に等しい。


 授業の始まりを告げるチャイムが鳴っても、由芽はうつむいて微動だにしなかった。

 大人からすれば、そんなささいなことで……と思うだろう。しかし、社会に比べたら、高校生の世界はとても狭いのだ。


 私は次の休み時間、それまで通り、由芽に話しかけた。不安そうにうつむいている彼女が放っておけなかったのだ。

「私と話してたら、伊澄まで仲間外れにされちゃう」

 弱々しい声で由芽は言った。


「大丈夫だって。きっと、またみんなで一緒に遊びに行けるよ」

「……うん、ありがと」

 由芽はそう言って、ぎこちなく笑った。今にも泣き出しそうな笑顔に、私まで悲しくなってきた。


 由芽にどんな言葉をかけるべきかを考えていると、後ろから肩を叩かれた。

「伊澄、ちょっと……」

 私は麻帆に連れられ、女子トイレに向かった。何を言われるのかは大体予想がついていた。


「ねえ、何でアイツのこと無視しないわけ?」

 トイレで待ち受けていた愛香に、そう聞かれた。壁に寄りかかって、腕を組んでいる。高圧的な態度。


「由芽だって、悪気があったわけじゃないし、謝ってたじゃん。だから、許してあげてほしい」

 睨むような愛香の目を、真っすぐに見返して私は言った。正義の味方を気取っているとか、そんな気は全然なくて、それは私の正直な思いだった。


「わかった。許すよ。はぁ、伊澄は本当に優しいね」

 愛香の声が、突然優しいものになる。彼女は麻帆を連れてトイレから出て行った。


 こんなに呆気なく仲直りできると思っていなかったので、拍子抜けしてしまった。

 私は安堵して教室に戻る。


 昨日はそれ以降、愛香たちと話す機会がなかったために気付かなったが、この時にはすでに、私と由芽の立場は入れ替わっていたのだろう。


 私はただ、みんなで仲良くしたかっただけなのに。愛香の目には、私は偽善者に映ったのだ。

 気に食わない。彼女がクラスメイトを嫌いになる理由なんて、それだけで十分だったのだ。


 すっかり気落ちしてしまった私は、自分の席に座って手持無沙汰にしていた。何も考えずに黒板を見つめていると、由芽が登校してきた。

 私は、おそるおそる由芽に近づいて話しかける。

「……由芽、おはよ」


 か細い声だったが、聞こえているはずだ。しかし、彼女からの反応はない。

 その瞬間、この教室に私の居場所がないことを、痛いほどに思い知った。


 二人に無視されていると気付いた時点で、予想はしていたことだった。しかし、実際にそれがわかるとやはりこたえる。

 自分を守るためならば、思春期の女子はどこまでも残酷になれるのだ。


 由芽は、愛香と麻帆に合流し、喋り始めた。

 彼女は、チラッと私の方を見て、すぐに目を反らした。私を見ないようにして、少しでも罪悪感にさいなまれないようにしているかのようだった。


 ――伊澄は真面目だよね。

 私はよく、そんなことを言われていた。その裏には、堅苦しすぎるという非難のニュアンスがあることも理解している。決していい子ぶっているつもりはない。性格は、なかなか変えられないのだ。


 真面目な人間が損をする世界。ずる賢くないとやっていけない。そんなことをよく耳にする。


 誠実に、真面目に生きていれば絶対にいいことがある。父は、私が小さい頃に何度もそう言い聞かせた。私はその言葉を信じて今まで生きてきたのだけれど……。そんなことはないのではないかと気づき始めていて。


 昼休み、私はスクールバッグを持って教室を抜け出した。一人で昼食を食べることに、また、他のクラスメイトにその様子を見られることに、耐えられそうになかったのだ。

 校門を出て学校の近くの公園へ向かった。


 道路を挟んで高校の反対側にある星野公園は、それなりに広く自然豊かな場所である。季節ごとに様々な種類の花を見ることができ、県内でも有名な観光スポットとなっていた。


 適当に歩いていると、コスモスが一面に咲いているのが見えた。景色が薄いピンク色に染まって、心が奪われる。

 綺麗な秋を眺めながら、人が歩くために整備された道を一周すると、少しだけ、気持ちが軽くなったような気がした。


 そろそろお昼ご飯を食べなくては、授業に間に合わなくなってしまう。どこか落ち着ける場所はないかと、座れる場所を探すうちに、ちょうど良さそうなベンチを発見した。私はそこに座る。


 果たしてこの日、私がクラスで孤立したことは、昼休みにこの公園へやって来たことは、広い公園の中でこのベンチに座ると決めたことは、ただの偶然だったのだろうか。そう疑ってしまうような、驚くべき出来事が待ち受けていた。


 バッグから取り出した弁当箱を開けながら、泣きそうになる気持ちを必死に抑えて、鼻歌でお気に入りの曲を歌っていた。

 すると突然〈誰か、いるんですか?〉という男の声が聞こえた。


 慌てて周囲を見回した。しかし、誰もいない。怖くてベンチから動けなかったが、話しているうちに、彼は大学にいるということがわかった。


 私の知る限り、この公園の周りには大学など存在しない。そもそも、声はすぐ近くから聞こえるのだ。何かを媒介として声をやり取りしているような感じだ。


 その男は、石が光っているというようなことを言った。石、という言葉に反応し、私もキーホルダーが光っていることに気付いた。そのキーホルダーは白い石で作られたもので、父親から渡されたものだった。昔からなんとなく、特別な力を感じる不思議な石だと思っていた。


 男の声は、その石から聞こえていた。どうやら、彼も同じような石を持っていて、離れた場所にあるはずの石が互いの声を伝えているらしかった。


 彼は、宗平と名乗った。

 その名前を聞いた瞬間、もしかして……と思った。が、宗平という名前はそれほど珍しくない。きっと偶然だろう。


 しかし、話せば話すほどに、私の知っている彼なのかもしれない……という予感も募る。自分から教えるのは下の名前だけと提案した手前、名字も教えてくださいなんて言えないし、答えを聞くのも怖かった。

 

 明日もまた昼にこの場所に来る約束をして、彼との会話は終わった。

 結局、お昼ご飯は食べ損ねてしまった。


 学校に戻り、午後の授業を受けている間も、私の頭の中は先ほどの出来事に対する疑問で占拠されていた。

 休み時間は一人だった。愛香たちは、私を除いた三人で楽しそうに話している。


 いつの間にか放課後になっていた。明日からクラスでどう過ごして行けばいいのかという不安と、不思議な出来事に対する戸惑いを引きずったまま、私はバイト先の書店へと向かった。


「おはようございます」

 パソコンに向かい合っている店長に向かってあいさつをする。

「おはよう、伊澄ちゃん」

 店長は年齢不詳の美人だ。


「何かあったの?」

 黙々とエプロンを付けていると、店長が話しかけてきた。

「いえ、別に。どうしてですか?」

 びっくりしたが、他人に心配をかけることが嫌いだった私はそう言った。


「ううん、ただの勘。なんとなく、いつもより暗い気がして。何かあったら遠慮なく言ってね」

「はい。ありがとうございます」


 いちいち落ち込んでいたら、お店に迷惑がかかってしまう。店長に全てを相談したい気持ちをグッと抑えて、店内に出た。

 私は無心で本棚の整理を始める。たくさんの文庫本が、紹介ポップ付きで並べられていた。


 とある有名な小説が今年で発売から五十年経つらしく、店舗内の一等地の棚ではその作品が前身となって築いたジャンルを大きく展開している。最後に見たのが二日前のバイトのときなのだが、そのときよりも全体的にかなり減っているような気がする。順調に売れているようだ。


 母がこういった小説をよく読んでいたような気がする。私も本は読む方だが、小説は軽く読めそうな恋愛ものがほとんどで、どちらかと言えば漫画の方が好きだった。


 レジに列ができているのを見て、サポートに入る。この店には自動レジが導入されているが、図書カードやクーポンなどはそちらでは処理できず、結局私たち店員が会計を行っていた。


 私が働き始めてから三十分後、先輩が出勤してきた

「おはようございまーす」

 穏やかな少し高めの声。さりげない風を装って、少し離れた場所から挨拶を返す。


「あら、ソウちゃん」

「店長、ソウちゃんは止めてくださいって言ってるじゃないっすか」

「いいじゃない、可愛くて。今日もよろしくね」


 店長と先輩の会話を聞きながら、本棚の陰で深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

 私は最近、先輩のことを妙に意識してしまうのだ。おそらくこれが、恋というものなのだろう。


 余計なことを考えていると仕事に支障が出る。働き始めて二ヶ月が経過し、かなり慣れてきたものの、まだミスをしてしまうことがある。そのたびに店長や先輩が優しくフォローしてくれているが、早いところ心配をかけずに働けるようになりたかった。


 なんとかミスなくバイトを終え、帰宅した。

 家で湯船につかりながら、今日の不思議な体験を思い返す。果たしてあれは、現実だったのだろうか。全てが私の妄想だという可能性もあるのではないだろうか。


 考えてみれば、まるでファンタジーの世界の出来事なのだ。よく落ち着いて会話をしていたなと、我ながら感心する。

 明日も公園に行って確かめてみよう。どうせ教室には、一緒に昼食を食べる相手もいないのだから。

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