エピローグ

エピローグ


 これは、大学を卒業した後の、僕と明李あかりさんの話だ。


 明李さんは卒業後、保険会社に就職した。

 その一年後、僕は大学院の修士課程に進学する。


 そして、僕が修士課程を修了し、とある会社の研究職に就いたタイミングで、二人は籍を入れた。


 親戚だけを読んで、簡単な結婚式も挙げた。

 純白のドレスに身を包んだ明李さんの破壊力は、僕の予想をはるかに超えるものだった。


 そういえば、僕が卒業するタイミングで、大学が移転することが決定した。数年後には、駅の近くに新しいキャンパスができるらしい。


 元々大学のキャンパスがあった場所は、大きな公園になるようだ。隣に高校も建つという。

 世界は目まぐるしく変わっていく。


 そして、僕たちの間にも大きく変わったことが一つ。


 明李さんが新しい命を身ごもったのだ。すでに八ヶ月目に入っている。


「子供の名前、どうしようか」

 ある日、彼女がお腹をさすりながら聞いてきた。


 名前……か。親からの最初のプレゼントになる。きちんと考えなくてはならない。


しかし、


「……伊澄いずみ


 口から、聞き慣れない名前が滑り落ちてきた。読みだけでなく、漢字の表記まではっきりと。


 自分でも、どこからその名前が出てきたのか理解できなかった。けれど、なぜか不思議としっくりくる。うん、悪くない。

 その名前を、昔から知っているような、そんな気がした。


「あら、もう決めてたの?」

「いや、今思いついた」

「へぇ」

 明李さんが意外そうな顔をする。


 自分でも驚いていた。過去を振り返ってみても、子どもの名前なんて考えようとしたこと自体、今日が初めてだ。伊澄なんて名前の人に会ったこともなかったはず。


「で、どう思う?」

 広告の裏に、ボールペンで漢字を書いて見せる。

「うん、いいね!」


 微笑んだ僕の最愛の人が、愛おしそうにお腹を撫でた。




 職場で、上司から紹介されたある求人に応募したところ、高い倍率の中、なんと僕は最終候補に選ばれた。

 とある国を拠点にして、宇宙の神秘に迫る壮大なプロジェクトだ。


「宇宙に行こうと思う」

 伊澄が寝静まったタイミングで、明李さんに切り出した。


「宇宙?」

 明李さんが目を丸くする。宇宙に行くことを、人生における一つの目標として話したことはあったけれど、求人に応募したことはまだ言っていなかった。


「うん。ちょっと、詳細は言えないんだけど……」


「すごいじゃない! おめでとう! でも、ちょっと寂しくなるね」


 悲しむより先に、僕の夢を喜んでくれた愛する人を、これから先も愛し続けよう。僕は改めて心に誓った。


「帰って来るのが、十年先くらいになると思う。もしかすると、もっとかかるかも」


 これを聞いたら、やっぱり反対するだろうか。伊澄もまだ小学生になったばかりだ。


 もしも明李さんが少しでも反対するようなら、僕はプロジェクトを辞退することを決めていた。

 緊張して彼女の反応を待つ。


「じゃあ私たち、次に会うときは四十歳くらいね」


 彼女は笑った。

 何の迷いもなく言う彼女を見て、僕の頬を涙が伝った。

 さんざん悩んだのがバカみたいだ。


「ちょっと、何で泣いてるの?」

「愛想尽かされたらどうしようって思ってて」


「何言ってるの。……じゃあ、もし私が、ミステリー作家になりたいって言ったら、あなたはどうする?」


 相変わらず明李さんは本を読むのが好きで、最近では趣味で小説を書いているみたいだ。僕はまだ読ませてもらっていないけれど。


「えっと、応援する……かな」

「でしょ? ほら、そういうこと」

 彼女は僕の肩をバンバンと叩く。


「ちょっと違うような気もするけど……」

「細かいことは気にしない!」


 明李さんが、そう言って僕を抱き締めた。

 大好きな人の匂いを感じながら、幸せに包まれる。


「うん。ありがとう」

 この人には一生勝てそうもない。




 プロジェクトに携わって五年が過ぎた頃。

 宇宙で、僕は不思議な石に出会った。


 目の前に突然、白い石が現れたのだ。

 空間を飛び越えてワープしてきたかのように。


 漂っていたその石を手にした瞬間、電撃のようなものが頭に流れた。


 一瞬だけ、大切な何かを思い出した。


 が、次の瞬間には全てを忘れていた。


 石は、出発直前に娘に渡したお守りにとてもよく似ていた。

 娘はもうすぐ、小学校を卒業する。

 学校は楽しめているだろうか。勉強にはついていけているだろうか。部活はどうするのだろうか。


 基本的に家族との連絡は取れない状態だったが、命に関わる事態が会ったときにのみ、例外として知らされることになっている。便りがないのはよい便りだ。


 そんなことを考えていたら、手の中の感覚がなくなった。

 手を開くと、さっき拾ったはずの石は忽然と消えていた。


 驚きはそれほどなかった。

 宇宙空間は、地球の物理法則が通用しない特別な場所だ。


 きっと石は、必要な人のところへ向かったのだろう。




 長期にわたる極秘任務が終了した。 

 物理法則の通用しない場所、まだ知られていない物質など、宇宙に関して、公になっていない新事実がいくつか発覚した。


 そのうち世間にも発表されるだろう。

 僕自身も、幼い頃からの夢を叶えることができ、非常に満足だ。

 家族と会えなかったことは少し、いや、かなり寂しかったけど。


 早く会いたい。

 そんな気持ちで、駅から家までの道を早足で歩く。まだ、帰るという連絡はしていない。

 妻と娘は、突然返ってきた僕を見て、どんな反応をするだろうか。


 僕は、約十年ぶりに我が家の玄関をくぐった。

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君と僕のキセキ 蒼山皆水 @aoyama

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