26.もう一度、キミと


 強烈な虚無感がこみあげてきた。

 私は、母親に嘘をついて学校をサボった。そして、昼休みに公園に行って宗平そうへいに酷いことを言った。


 明李さんのことは諦めろなんて、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。


 決して、悪意を持っていたわけではない。本当は、二人に幸せになってほしいはずなのに……。

 誰よりも幸せを願っているからこその選択だった。


 しかし、もっといい方法はなかったのだろうか。私の選んだ方法は、あまりにも短絡的すぎた。

 けれども、考える時間が足りなかったのも事実だ。明李さんに告白をする前の彼と話せるのは、このタイミングしかなかった。


 公園から帰宅した後は、できるだけ何も考えないようにしていた。

 ベッドに寝転がりながら、ボーッと天井を見上げていた。

 時間の流れに身をゆだねながら、ただひたすらに呼吸だけを続ける。


 上の空で夕食を食べ、お風呂に入る。

 再びベッドに横になって、布団をかぶった。

 このときにはすでに、罪悪感が心に芽生えていたが、私は気づかないふりをしていた。




 いつの間にか寝てしまっていたらしく、普段よりも早い時間に目が覚めた。

外はまだ暗い。もう一度寝ようかとも思ったが、眠れそうになかった。

 そんなことよりも、自分がしてしまったことについて猛省していた。昨日のことを、全てなかったことにしてしまいたい。


 激しい自己嫌悪に打ちのめされながら、学校に行く支度を始める。

 自分なりに考えてしたことではあったが、今思うと、半分くらいは八つ当たりだ。振り返ってみると、そのことが痛いほどよくわかった。

 私なんて、消えてなくなってしまえばいいんだ。


 本当に、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。昨日から何度も自問を繰り返しているのだが、答えは明確だ。それでも、まるで正当な言い訳を探すかのように、私は自らに問いかける。


 もう少しで、彼は幸せになることができたはずなのに。

 色々と積み重なったものがあったのは確かだったけれど、きっかけはささいなことだった。


 私は、重い荷物を持っていた。荷物はどんどん増えていくが、私は支え続けた。荷物を下ろしてしまえば楽になる。そのことはわかっていた。

 あと数秒だけ我慢すれば、何事もなく平和な世界が訪れる。


 しかし限界寸前の状態で、最後に乗せられたたった一粒の砂によって、重さに耐えきれなくなり、膝をついてしまう。

 私にとってその一粒の砂は、母の悲しげな表情だった。


 外を見ると、うっすらと明るくなっている。

 今日も、いつも通りに朝が来た。

 私はたしかに、今ここに存在していた。


「もう体調は良くなったの?」

 母が心配そうに、トーストをかじっていた私を見る。


「うん。バッチリ」

 もともと体調なんて悪くなかったから、良くなったも何もないのだが。上手く笑えていただろうか。後悔を背負ったまま、私は学校へ向かう。


 教室では授業が行われていて、生徒はテストに向けて必死に勉強している。

 私の机には、昨日配られたであろうプリントが無造作に突っ込まれていた。いったいどれくらいの人が、私が昨日休んでいたことに気づいていただろうか。


 私がいなくても、世界は正常に動く。そんな当たり前のことを、改めて思い知らされる。


 昼休み、愛香あいかたちは私に目もくれず、三人で集まってお弁当を食べ始めた。

 そんな彼女たちを横目に、私は教室を出て行く。


 学校の校門を出て、道路を渡った先にある星野公園。この場所で昼休みを過ごすようになってから、すでに二ヶ月以上が経過していた。入ってすぐの場所にある、いつものベンチに腰を下ろす。


 雲が空を覆っていて、太陽が隠れてしまっていた。かなり厚着をしているが、冬の寒さは容赦なく染み込んでくる。それでも、教室で一人でいるよりはこっちの方が気楽だった。


 ……宗平はどうするのだろうか。

 今日は、彼が明李さんに告白をするはずの日だ。

 昨日、私は彼に酷いことを言ってしまった。その結果、未来が変わってしまうかもしれない。


 彼の選択次第で、もしかすると私は――。


 弁当はすでに半分以上食べ終わっていた。

 考えることに疲れてしまった私は、流れく雲を眺めて、頭の中を空にする。


 じわりじわりと、悲しみが押し寄せてきた。胸にあった後悔と混ざり合って、陰鬱な気持ちが全身にのしかかる。私の周りだけ重力が強くなっているような、そんな感覚さえ覚える。

 存在したはずの幸せを、私は奪ってしまったのかもしれない。


 不思議な彼との出会いは、私に何をもたらしたのだろう。

 一週間前の会話でさえも、すぐには思い出せずにいる。出会った頃の記憶はもう、夢の中の出来事のように不鮮明だった。


 バッグに付けられた石を手のひらに乗せた。石にはひびが入っていて、今にも割れてしまいそうだった。


 そのひびが、私と彼の関係を象徴しているように思えて、鼻の奥がツンとする。両手で強く握りしめた。


 来週にはもう、この石の不思議な力はほぼ完全に失われてしまいそうな気がする。私は直感的にそう思った。

 

 もしかすると、もう二度と彼の声が聞けないかもしれない。あれが最後の会話になるなんて嫌だった。


 もう一度、彼と話がしたい。都合が良すぎるのはわかっている。突き放したのは自分なのに。


 箸の扱いも満足にできないほどに手もかじかんでいる。そんな寒さの中、このベンチにいるのは、何かを期待しているからだろうか。


 もう一度話したかった。

 彼に謝りたかった。

 そして、私と彼の関係を打ち明けてしまいたかった。


「……ごめんなさい」

 弱々しく呟いた瞬間、


 ――石が淡く光った。


 見間違いかと思って目を擦ったが、やはり石は微かながらも輝きを発していた。

 今日は金曜日。宗平は今日、彼女と食事をしているはずなのに……。


〈伊澄、そこにいるの?〉


 聞こえた声は、確かに彼のものだった。


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