27.世界で一番大事な人


 息を切らしながら小屋へ入り、すぐにバッグからお守りを取り出す。

 巾着越しでは光っているかどうかわからないほどに、石の発する輝きは弱くなっていた。


「伊澄、そこにいるの?」

 お守りから石を取り出して、口元に持っていき、僕は問いかける。

 頼む。間に合ってくれ。


〈……いるよ〉

 小さい声ながらも、応答があったことにホッとする。


「よかった」胸を撫で下ろして「伊澄、バカなことはやめろ!」

 僕らしくない、はっきりとした強い口調で言った。


〈……バカなことって?〉

 答えまでの微妙な間が、僕の予想が当たっていたことを物語っていた。


「だから、その……とにかく、大丈夫だから。今はつらいかもしれないけど、これから絶対いいことあるから。……って、ありきたりな言葉だけど、そういうんじゃなくて。伊澄はすごく真面目で優しいから、心の底からそう思ってて。それで、こんなこと言ってるわけであって……」


 焦るあまり、自分でも何を言いたいのかわからなくなってくる。

 それでも、僕が思うことはただ一つ。

 伊澄にはちゃんと、前を向いて生きていてほしいということで。


〈そっか、全部わかっちゃったんだね〉

「ああ」

〈安心して。キミが心配してるようなことは起きないから。そんな勇気もないし〉


「本当に?」

〈うん。そもそも、キミにあんなことを言った一番の理由は、キミが考えてるようなことじゃないよ〉

「え? なら、なんで……」


〈そもそも昨日、私がキミに、片想いは諦めた方がいいなんて言ったのは、どうしてだと思ってるの?〉

 いつも通りとまでは言えなかったが、少なくとも昨日のようなとげとげしい感じはなくなっていた。


「じゃあ、一応確認するよ。伊澄は、僕と明李さんの……あー、えっと」

 その先にある言葉を口に出すのは恥ずかしくて、つい躊躇ってしまう。


〈何照れてんの。バカじゃないの⁉〉

 伊澄のいつもの調子が戻ってきて、罵倒されているにも関わらず僕は嬉しくなる。


 コホン、と咳払いをして続ける。


「伊澄は、僕と明李さんの子供ってことでいいんだよね?」


〈うん〉

 僕の娘は躊躇うことなく、凜とした声で答えた。


「つまり、僕と伊澄は――」


 


〈二十年と、ちょっとだと思う。今こっちは二〇三七年だから〉


 


「こっちは二〇一五年。うん、僕たちは、二十二年の時を超えて繋がってるわけか」


 遠く離れていたのだった。


〈だから私の読んでる少女漫画だって、キミは知らないわけだ〉

「まだ作品自体が存在してないからね。当たり前だ。それに、何の音楽グループかは忘れたけど、こっちではまだ解散してないし」


〈ああ、そんな話もしたっけ〉

 僕と伊澄の間に生じていた齟齬は、時間的な隔たりを考えれば、全てが納得できるものだった。


「じゃあ、昨日どうしてあんなことを言ったのか話してもらおうかな」

 ――その、明李さんって人のこと。もう諦めた方がいい。

 伊澄に告げられた台詞が、頭の中で響いた。


 僕が明李さんを諦めるということは、当然結婚などしないということで。

 すなわち、僕と明李さんの間には何もなく、伊澄が存在しない未来がやって来るのだ。


 つまり僕は、伊澄があんなことを言ったのは、生きることが嫌になったからだと思っていた。しかし、彼女はそうではないと言う。


〈うん。まず、キミは夢を叶えて宇宙飛行士になる〉

「そっか」

〈何、その反応。もっと喜ばないの?〉

 僕の素っ気ない反応が気に入らなかったらしく、伊澄が怪訝そうに尋ねる。


「嬉しいけど、こうして話したことはどうせ忘れちゃうし。あと、実感が湧かない。未来のことだから当たり前だけど。それに、これから色々と頑張ることになると思うから、喜ぶのはちゃんと夢が叶ったその時にする」

 伊澄の、脈絡のない切り出し方に戸惑ったという理由もあった。


〈本っ当に真面目だよね〉

「伊澄に言われたくない」

 呆れたように言う彼女に反論する。


〈それはこっちの台詞なんですけど。キミの遺伝子のせいでこんなにクソ真面目になったんだからね〉

「ああ、たしかにそうかも」


 僕と伊澄の真面目なところは似ていると思っていたが、父娘おやこなのだから当然なのかもしれない。


〈今から十年前、つまりそっちだと十二年後、になるのかな。私が小学一年生のとき、キミはとある研究チームに配属されて、遠くへ行ってしまった。極秘任務みたいな仕事で、内容は私はわからないんだけど〉

 伊澄が、当時を懐かしむように言った。


〈とにかく、宇宙について調べたり宇宙に行ったりするの。でも、地球との連絡はなし。いつ帰れるかもわからない。安全もたぶん……保証されてない〉

 彼女の話を、僕は黙って聞いていた。


〈もう十年間、キミは帰って来てない。もちろん連絡もない〉

 この話は、伊澄が僕と明李さんを引き離そうとした理由と関係あるのだろうか。そんなことを考えた次の瞬間、答えが出た。


〈お母さんがね……最近すごくつらそうな顔をしてるの〉

 なるほど。そういうことか。ここまで聞いて、ようやく話が見えてきた。簡潔に言ってしまえば、僕のせいで明李さんが寂しい思いをしているということだった。


 つまり、僕と明李さんが恋人同士になることを阻止すれば、伊澄の世界、つまり僕から見れば未来の明李さんは、ずっと帰って来ない夫を待ち続ける必要もなくなるというわけか。


「寂しい思いさせてごめん! 先に謝っておく。でも、僕はちゃんと帰る」

〈でも――〉


「僕がどれだけ明李さんのことが好きか、伊澄が一番良く知ってると思う。だから、僕を信じてほしい!」


〈……本当に、信じていいの?〉

「うん。約束する」


 今の僕が、勝手にそんなことを約束してしまっていいのだろうか。

 伊澄との記憶は全て忘却の彼方へ消え去って、未来の僕は今交わした約束など一ミリたりとも覚えていない。そのことを、とても不安に思う。


 それでも、明李さんへの気持ちはきっと、未来の僕も負けていないはずだ。

 世界で最一番大事な人は、何年後かに二人に増える予定で、彼女たちに寂しい思いをさせたくないから――。


「だから、僕を信じて、元気で待ってて」


〈わかった。あの……ごめんね。あんなこと言って〉

 昨日のことだろう。理由がわかった今、彼女を責める気にはなれなかった。

 むしろ、無自覚とはいえ、伊澄のことをこんなに悩ませてしまっていた自分が情けない。


「うん。僕は大丈夫」

〈実はね、消えてしまいたいとか、もうどうにでもなっちゃえって、そういう気持ちも、実はちょっとだけあったの〉

 申し訳なさそうに、彼女が言った。


 まだ学生の僕には、こんなとき、高校生の娘にどんな言葉をかけてあげればいいのかわからない。大人になっても、わからないままかもしれない。

 だから僕は、思ったままを口にする。


「伊澄はさ、何も知らない僕から見ても、すごく素敵な人だって思った。だから、そんな伊澄を育てた未来の自分を褒めてあげたい。あと……もっと、自分を大事にしてほしい」

〈うん……ごめん〉

 

「そうだ。僕、明李さんにちゃんと伝えたよ」

 あえて、付き合うことになったことは言わない。


〈そっか。おめでとう〉

 伊澄も、結果を聞くことなく祝福の言葉を口にした。昨日、反対していた人間とは思えないほどに、優しい声音で。

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