第二章 君と僕の軌跡

8.再会


 知らない少女と石を通して会話をするという、不思議な出来事が起こった翌日。

 あれはやはり夢だったのではないか。そんな思いが強くなっていた。


 数合わせにとった興味のない授業を適当に聞き流し、昼休みにいつも通り小屋へと向かう。

 木製のドアを開くと、キィ、という耳障りな音が響いた。内側は今日も相変わらず雑然としていた。まあ、それがかえって落ち着くのだが。


 早速、バッグからお守りを取り出してみるが、何も反応はなかった。

 お守りを膝の上にのせ、菓子パンの袋を開封してかじりつく。


 十分ほどで食事を終えた。しかし、その間もお守りが光ることはなかった。

 中から石を取り出して、手の中でもてあそびながら考える。やっぱり、昨日の出来事は夢だったのだろうか。自然と大きなため息がこぼれた。


 伊澄いずみという女性は、この世に存在しない。僕が作り出した幻想だった。

 石を通じて遠く離れた場所にいる人間と会話するなんて、そんな不思議なことがあるはずがない。


 そういえば、孤独な子どもが空想の友達を作り出すというような話を、小説で読んだことがある。イマジナリーフレンドと呼ばれる現象だ。

 僕は自嘲気味に笑う。二十歳すぎのいい年した男が、寂しくて空想の友人を作るなんて、情けなくて笑えてくる。


 しかしそれ以上に、残念だと思う気持ちが芽生えていて、僕は驚いた。

 伊澄とは仲良くなれそうな予感があった。たった一回話しただけなのに、そんな気がしていた。まあ、それも当たり前か。僕が作り出した都合のいい存在なのだから……。


 それとも、あれはやはり現実で、昨日だけ起こった特別な現象だったのだろうか。決まった時間にしか繋がらないなんて、いかにもありそうな設定ではないか。

 そうでなくても、何らかの理由があって、石が不思議な力を発揮できていないという可能性だって考えられる。


 まだ伊澄が現れる可能性に縋りついている自分に気付いて、みじめな気持ちになる。どうしても、僕の妄想で終わらせたくなかった。

 彼女の存在が嘘であるという仮説を認めたくなくて、必死で抗って、強く願った。


 もう一度、彼女の声が聞きたい。


 そう思った瞬間――石が淡く光った。


 そして、凜とした声が聞こえる。


〈すみません。先生を手伝っていて遅くなりました〉

 少し息が荒かったが、透明感と芯の強さを併せ持つその声は、たしかに、昨日聞いた彼女のものだった。


「伊澄さん……ですか?」

〈はい。そうですよ〉

 なぜだか僕は安心して、体から力が一気に抜けた。


 緩みそうになった涙腺を慌てて制御しつつ、口を開く。

「……昨日のこと、夢じゃなかったんですね」

〈私も、同じことを今思ってます〉

 なんだかおかしくなって、僕たちは同時に笑った。


 昨日初めて話した相手なのに、今こうして、もう一度話せたことが無性に嬉しかった。


「じゃあとりあえず、ご飯でも食べながら話そうか」

〈はい〉

「って言っても、僕はもう食べ終わっちゃったんだけどね。あ、ごめん。急がなくて大丈夫だよ」


〈ありがとうございます。宗平そうへいさんは、毎日その小屋でお昼を食べているんですか?〉

「うん」友達もいないし、という情報は言わないでおく。「伊澄さんは?」

 昨日、伊澄が昼休みに一人で公園で過ごしていることを疑問に思ったのだ。


〈私は、昨日からです。ちょっと、クラスの友人と喧嘩してしまって……教室に居づらいんです〉

 彼女は言いづらそうに答えた。以前はきっと、その友達と一緒に昼食を食べていたのだろう。


「それは……大丈夫なの?」

 落ち込んでいる様子が声から伝わってくる。そんな状態は、決して大丈夫とは言わない。しかし、あまり人と会話をすることが得意ではない僕には、それくらいしか、かける言葉が思い浮かばなかった。


〈喧嘩といっても、今のところ直接的な危害は受けてないですし、こうして宗平さんとお会いすることもできたので、まあ、結果オーライです〉

 僕と出会えたことを暗に嬉しいと評してくれていて。たったそれだけで、僕は幸福感に包まれる。


「そっか。早く、仲直りできるといいね」

 喜びを隠して、僕は言った。

「はい。ありがとうございます」

 先ほどの彼女から感じた陰鬱な雰囲気は、すでに消えていた。


 もちろん、心配でもあった。その友人とは、同じ教室にいれないほど気まずくなってしまっているわけで。今もきっと、無理をしているのだろう。

 何か、僕にできることは……。


 昨日初めて話したばかりの、声だけで繋がった少女。姿を見たことはなく、住んでいる場所も知らない。そんな彼女が悲しんでいることに対して、見返りを求めることなく、力になりたいと心から思った。それは傲慢だろうか。


 しかし、声だけの関係ではどうすることもできないのも事実で。このときの僕は、ただひたすらに無力だった。


 沈黙を間に挟みながらも、僕たちはぎこちなく言葉をやり取りした。そうしているうちに、昨日彼女が去って行った時間になる。


〈そろそろ戻ります〉

 伊澄が言った。その声に、名残惜しそうな雰囲気を感じ取ったのは、僕の都合のいい思い込みだろうか。


「また明日」

 気づくと、自然とそんな台詞が僕の口をついて出ていた。


 今日は、この不思議な現象について確かめるという大義名分があった。しかし、それが果たされてしまった今、僕と伊澄がこうして会う理由など、どこにもないのだ。

 目的のない約束は、果たして許されるのだろうか。


 ところが、そんな僕の心配など吹き飛ばすかのように、

〈はい。それでは、また〉

 彼女はすぐにそう答えた。


 石から発されていた光がだんだんと弱くなり、やがて消えた。伊澄がベンチから離れた証拠だ。

 石を巾着に戻し、丁寧な手つきでバッグの内ポケットにしまうと、僕もパイプ椅子から立ち上がって小屋を出る。


 ――ちょっと、クラスの友人と喧嘩してしまって……。

 もし彼女が、その友人と仲直りをしたら、昼休みに公園に来る理由もなくなってしまうのではないか……。


 ほんの一瞬だけ、喧嘩が長引けばいいな、などという最低なことを思ってしまった。そんな自分に嫌悪感を抱きながら、僕は次の授業が行われる教室へ向かった。


 こうして、僕と伊澄は再会した。

 光る石が、遠く離れた僕たちをつなぎ合わせる。

 そんな不思議な現象は夢でも妄想でもなく、たしかに現実だった。

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