22.混乱
〈やっぱり諦めなよ〉
光った石から聞こえてきた言葉は、要領を得ないものだった。
だから僕は、
「何を?」
そう聞き返したのだが、次に伊澄が口にした台詞は、僕を大いに驚かせた。
〈その、明李さんって人のこと。もう諦めた方がいい〉
「……どうして。そんな……いきなり」
戸惑いながらも、僕は問いかける。
伊澄はずっと、恋愛初心者の僕のうんざりするような相談に、真剣に応じてくれていた。
彼女がいなければ、僕は明李さんに何も伝えることができなかった。確実にそう言える。
〈今まではちょっと無責任に応援してきたかもしれないけど、ちゃんと考えてみたら、やっぱり無理だと思う〉
伊澄らしくない発言に、僕は一層当惑する。
「それでもいい。だけどせめて、気持ちは伝えなきゃ――」
〈バイト先の後輩、キミのことが好きなんでしょ。その子にしておけばいいじゃない!〉
僕の発言を遮るように返ってきたのは、筋違いな意見だった。
「いや、まだそうと決まったわけじゃないし……。それに、今僕が好きなのは明李さんで――」
〈全然好きでもない人から好意を向けられても迷惑なの!〉
僕との会話の中で、伊澄がこんな風に声を荒げたのは初めてのことだった。
「どうしたの、伊澄。今日、何か変だよ。体調でも悪いの?」
明らかに、様子がおかしかった。
〈とにかく、その子の気持ちもちゃんと考えてあげて。しっかり向き合って〉
先ほどとは異なり、切実さをはらんだ声で彼女は言った。
伊澄の言っていることはもっともだ。何事にも誠実だからこその見解とも言える。
だけど……。キミの恋はきっと叶う。諦めないで。大丈夫。そんな風に応援してくれていたのも伊澄だ。
それなのに、今このタイミングで、他の女性に対しても向き合え、というのは矛盾しているような気がする。
彼女らしいようでいて、彼女らしくない。何だか不自然だ。
それに、彼女自身が、自暴自棄になっているようにも思える。
いったい、伊澄は何を思っているのだろうか。
彼女の言葉の裏に隠された真意は、このときはまだ、僕には読み取れなかった。
「うん。ちゃんと向き合う。それはわかったけど、伊澄はどうしたの? 何かあった?」
文月さんの件はいったん置いておく。それよりも、伊澄の様子が心配だった。
例の、伊澄と気まずくなったという友人に何かされたのだろうか。もしそうだとしても、僕にはどうすることもできないのはわかっている。しかし、伊澄をこのまま放っておくこともできなかった。
辛抱強く待ったが、石から返ってきたのは、
〈……ごめん。私、今日はもう帰るね〉
彼女の弱々しい声で。
申し訳なさそうな謝罪の言葉。それは同時に、僕が差し伸べた手を拒絶するものだった。
明李さんへの片想いは諦めた方がいい。そんな伊澄の言葉は、きっと彼女の本心でない。僕はそれを理解している。だから、謝る必要なんてどこにもない。それよりも、どうしてそんなことを言い出したのかを教えて欲しかった。
「……うん」
言いたいことはたくさんあったけれど、その全てを飲み込んで、僕は呟いた。これ以上は何を聞いても、彼女は口を閉ざしてしまうだろう。
手元の石を見つめる。
僕と伊澄を引き合わせたお守りからは、出会った頃に纏っていた輝きは失われていた。明るい場所ではわからないほどの微弱な光は、徐々に消えていく僕と伊澄の記憶を象徴しているようで、思わず僕は両手で強くその光源を握り締めた。
やっぱり、このままじゃ嫌だ。僕は、握り締めた石に向かって問いかける。
「また明日、会えるよね?」
しっかり届くように、大きめの声で。
〈明日は、明李さんとご飯でしょ?〉
伊澄のレスポンスは冷たい声。もう私に関わらないで。そう言われているような気さえした。
「あ、うん。でも……」
伊澄のことが心配で、なんて言ったら、きっと彼女は大丈夫だと答える。
〈それじゃ〉
結局、二人の間に生まれた不穏な空気を払拭できないまま、僕たちは通話を終えた。
臆病な僕の背中を押し続けてくれていた伊澄に、今は肩を掴んで引き留められている。
その手を振り切って、僕は進んでいいのだろうか。
伊澄は何かに苦しんでいる。それだけはわかった。
しかし、その正体がまったく見えてこない。
一体、彼女に何があったのだろうか。どうして教えてくれないのだろうか。
彼女に不満が募っていたし、それ以上に、あまりにも無力な自分に対して苛立ちを感じていた。
伊澄と会話を終えたあとも、僕は小屋にいた。彼女と話していた時間はわずか数分で、昼休みが終わるまではまだ時間があった。
伊澄の不可解な態度はもちろんなのだが、僕の懸念していることは他にもあった。明李さんに気持ちを伝える日が、明日に迫っているのだ。今日は伊澄にそのことを相談しようと思っていたのに……。八方塞がりだ。
いっそ、明李さんに気持ちを打ち明けるのはやめにしてしまおうか。
どうせ上手くいくはずなんてないし。伊澄にも止められている。せっかく仲良くなったのに、今の関係を壊したくない。
そんな風に言い訳を並べてみても、明李さんへの想いが影をひそめるわけではなかった。告白しない未来を僕が選んだとしても、後悔することは簡単に予想できる。
胸の内で悩みを転がしていると、ポケットのスマホが震えた。
取り出して画面を見ると、バイト先の店名が表示される。
「もしもし」
通話状態にして、耳に当てた。
『ああ、時光くん』
店長の声だ。来店を示すベルの音や、客たちのものと思われる話し声も、かすかにではあるが聞き取れる。
「はい。どうしました?」
『急で悪いんだけど、今日バイト入れるかな』
申し訳なさそうな声音。
「えーっと……」頭の中で今日の予定を確認する。特に何もないはずだ。「はい、大丈夫です。どうかしたんですか?」
『文月さんが風邪みたいで、来れなくなっちゃって。じゃあ、申し訳ないんだけど頼めるかな?』
文月さんという名前を聞いて、心臓が跳ねる。
――バイト先の後輩、キミのことが好きなんでしょ。
「わかりました」
僕は、平静を装って答えた。
『ありがとう。助かる。いつもの時間でよろしくね』
「はい」
通話を終了させ、スマホをポケットにしまう。
まだ昼食をとっていなかったけれど、食べる気は起きなかった。決してお腹が空いていないわけではない。無力感に
押し寄せてきた空虚な気持ちが、熱意だとか活力だとか、そういった類のものを全て飲み込んでしまった。
親しくなったと思っていたのに、伊澄の心の中は何一つとしてわからなかった。
けれども、僕は着実に、真相に向かって近づいていたのだった。
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