第1章 君と僕の輝石
1.流れ星に願いをかけて
真夜中の街からは、人工的な音は消え失せていた。断続的な虫の鳴き声と、時折吹く風にあおられた草木のそよぐ音だけが、この夜を支配している。
街灯は少ないが、ほのかな月明かりのおかげで、視界はそれほど悪くなかった。
なかなか寝付けずに、こっそり家を出て辺りを歩いてみることに決めたのが十分ほど前。スウェットに厚手のコートを羽織っただけの格好で、いつもは通らない道を進む。もうそろそろ日付が変わる頃だろうか。
寒さが体に染み込む。秋の夜は、思ったより冷え込んでいた。
吐き出された白い息が消えていくのをぼんやり眺めながら、寝付けなかった原因を思い返して心が沈んだ。
今日の放課後、一ヶ月ほど前に受けた模試の結果が返却された。第一志望の大学の判定は、非常に悪かった。最悪とまではいかないものの、前回より下がっていた偏差値と一つ後ろにずれていたアルファベットは、僕の脆弱な精神を瀕死にする程度の殺傷性を備えていた。
時はすでに十一月の中旬。そして僕は高校三年生。つまり、あと二、三ヶ月で受験本番。
たかが模試の判定だ。まだ十分に時間はある。切り替えて勉強するぞ! そう思えるようなポジティブな思考を持ち合わせていたらどんなによかったか。そうでなくても、せめて開き直るくらいの強靭なメンタルが欲しかった。
ウジウジ悩んでいても仕方がないし、そもそも結果が悪かったのなら勉強すべきだということは頭ではわかっているのだ。
しかし、参考書の問題を解いていても、集中力と思考力の著しい低下により、普段ならあり得ないようなケアレスミスの連発。それらが衰弱しきった心に追い打ちをかけ、負のスパイラルが発生。
何をやっても上手くいく気がしなかった。
こんなときはさっさと寝るに限る。そう思っていつもより早く布団にもぐりこんだのだが……。
目を閉じても心地よい眠気は訪れず、ようやくウトウトしてきたかと思えば受験に失敗する悪夢を見る始末。僕は、眉間にしわを寄せながら定期的に寝返りをうつだけの人形と化していた。
そしてついに、いつもなら寝ている時間を過ぎても眠れなくなってしまったのである。
もういっそ起きてしまおう。それで、気分転換に散歩でもしてみようか。薄暗い天井をぼんやり見ながら、そんなことを考えた。
というわけで、すでに寝ている家族を起こさないように静かに家を出て、僕は近所をさまよっていたのだ。
残念ながら夜の散歩は、気分転換という名目を満足に果たせてはいなかった。
しかし、男とはいえ僕は未成年。見た目が老けているわけでもないので、パトロール中のお巡りさんにでも見つかったらまずいかもしれない。
それに体もいい加減冷えてきた。うん、そろそろ帰ろう。帰って温かいほうじ茶でも飲もう。そうしたら、今度こそ寝よう。大丈夫。明日からまた頑張れば、きっと合格できる。
自分に言い聞かせつつ、家に戻ろうと踵を返した瞬間、僕の視界に一筋の眩い光が現れた。
そして、先ほどまで聞こえていたはずの虫たちの鳴き声が
僕の脳が、視神経以外から入って来る情報を遮断したのだ。
夜空を真っ二つに切り裂くような、白く光る直線。
瞳に映る景色に、僕の心は完全に奪われていた。
流れ星――だろうか? 鮮やかな光の軌跡を描きながら、それは落ちていく。
あまりの美しさに、口をぽっかり開けて見惚れていた。
そうだ、願い事!
流れ星は普通、一瞬で消えてしまうはずだ。なのに、今見ているそれは、もう三秒以上光を放ち続けている。
両手を合わせる。志望する大学に合格できますように。心の中で、そう三回唱えた。
流れ星に祈れば願いが叶うなんて、僕も信じているわけではないけれど――。
もしかすると、本当にそんな力を秘めているんじゃないかってくらい、その光は美しかった。
もしくは、根拠もない非科学的な何かに頼ってしまうくらい、受験競争に対して疲れていたのかもしれない。
僕の祈りが終わっても、まだ光は消えていなかった。
圧倒的な光量。辺りが暗かったからという理由もあるだろうが、それを加味しても眩しい。
僕は目を細めた。そして、意外と距離が近いことに気付く。
あれは本当に流れ星なのだろうか。今までに何度か、流星群を観測したことはあったが、これだけ近くで見たのは初めてだった。発光時間も明らかに長い。
流れ星は基本的に、地表に到達する前に燃え尽きてしまうはずである。しかし、サイズが大きければ隕石として地球に落ちて来るという。
あの光は隕石なのだろうか。そうだとすれば、危険かもしれない。
しかし僕の中では、危機感よりも綺麗なものを見ていたいという気持ちの方が大きかった。
流れ星か隕石か、どちらでもない別の何かなのか僕にはわからなかったが、〝それ〟は謎の光を放ったまま、地面に向かって落下しているようだった。
その眩さにもある程度目が慣れてきて、距離感も把握できた。かなり近いものの、僕に向かって落ちてきているわけではなさそうだ。つまり、衝突する危険はない。もちろん、落ちた瞬間に爆発する化学兵器などであれば話は別だが。
やがて〝それ〟は、大きな樹木の陰に消えていった。
十メートルは超えるだろうという高さのその樹木は、近くの神社に生えているものだった。
神社はどこにでもあるような普通のもので、僕にとっては正月に初詣に行く程度のものだったが、場所はわかる。今いる場所からそれほど遠くない。
――あの謎の光の元へ、行かなくてはならない。
なぜか、そう感じた。
いつもならば、得体の知れない何かに対して慎重になるところだったが、深夜に外出しているという状況が好奇心を倍増させているようだった。
家とは逆方向にある神社に向かって、僕は迷いなく足を踏み出した。
容赦なく襲い来る寒さも、こんな時間に外にいることに対する懸念も忘れて、いつの間にか駆け足になっていた。運動不足ということもあって息は切れていたが、足を止める気にはならなかった。
このとき、なぜ神社に向かったのかと問われても、明確な理由を答えられない。もしかすると僕は、何か不思議な力に突き動かされていたのかもしれなかった。
狭い道を抜けて鳥居をくぐる。神社に初詣以外で訪れたのは、これが初めてだろうか。七五三のときにお参りした可能性もあったけど、よく覚えていない。少しだけ非日常的な気配を感じる。
走って来た道よりは街灯の密度が高く、拝殿や賽銭箱がうっすらと見えた。
辺りを見回しながら、ゆっくり大きな樹木に近づく。しかし、先ほど見た、あの強烈な光と対面することはできなかった。
樹木の周りを中心に捜索する。頼れる灯りが街灯しかないため、その作業は難航を極めた。
スマートフォンくらい持ってくればライトの代わりになっただろう。何も考えずに出てきたことを少し後悔した。
それから数分間、捜索を続けたものの、見つかる気配はない。
走って温まった体も冷えてきた。おそらく、すでに日付は変わっているだろう。
無謀だということは気づいていた。
大きさも形もわからない何かを探している。手がかりは、この辺に落下したように見えた、という不確かなものだけ。燃え尽きてなくなっている可能性もある。
そもそも、見つけてどうするのだろう。興味と好奇心だけで探すには、そのコストに見合った何かが得られるとは思わない。
諦めて帰ろうとしたその時、一瞬だけ、小さな光が見えたような気がした。振り返ると、植え込みがぼんやりと光っている。
その柔らかい光は、僕に呼び掛けているようだった。
枝と枝の隙間に手を突っ込んで、僕は〝それ〟を掴んだ。
肘の辺りまで植え込みに飲まれた腕を引き抜いて、握った手を開く。
〝それ〟の正体は、五センチくらいの石だった。
輝きを失ったその石は、何の変哲もないただの石ころで、手触りからもその形からも、特別な何かを見出すことはできなかった。
でもたしかに、普通の石とは違うものを感じた。手のひらを通して、不思議な感覚を僕に伝えている。
上手く言葉にすることはできないのがもどかしい。いわゆる第六感というものだろうか。
とにかく、この石を手にした瞬間に、僕の中で物語は動き出したのだ。
僕がなかなか寝付けなかった理由が受験に対する不安というのは、もしかすると間違っていたかもしれない。
あの不思議な石と出会うために、僕はこの日、起きていなければならなかった。神様が、世界が、あるいは人智を超えた何かがそうさせたのだ。そんな気さえしていた。
深夜で、普段とは少し違った精神状態であるがゆえの、僕の勘違いかもしれない。なるべくそのことを考えないようにして、石をコートのポケットにしまった。
神社をあとにした僕は、家までの道のりを歩いた。足取りは軽い。寝付けなかったのが嘘のように、気分はさっぱりしていた。
その翌日は、いつもと同じ時間に起きた。枕元に置かれている不思議な石が、あの出来事が夢ではなかったことを証明していた。
四ヶ月後の春。僕は第一志望である、
光を発し、空から落ちて来た不思議な石は、入学試験のときも鞄に忍ばせていた。
本当に、この石が願いを叶えてくれたのかもしれない。
大学生になってからも、巾着に入れてお守りにし、常に身に付けている。
そして、大学二年生の秋――。
僕は一人の少女と、とても不思議な出会いをすることになる。
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