11.恋愛初心者
〈それなら、会ったときにお昼に誘うしかないね。同じ大学でしょ? それほど不自然じゃないはず〉
僕の意気地なし的発言に呆れつつも、伊澄は代替案を出してくれた。
しかし、自然か不自然か以前に、女性を食事に誘うことは、僕にとってハードルが高い。たぶん身長くらいあると思う。というか、直接会って誘う方が難しいのでは……。
「とにかく食事に誘うなんて、そんないきなりは無理だよ」
弱音が漏れる。
〈全然無理じゃないから。そんで全然いきなりでもないから。会ったら話すような関係を一年以上も続けてきたんでしょ? それくらいの距離感の相手に対して、お昼まだなんですか? よかったら一緒にどうですか? って。はい、これの何がおかしいの? 二十五文字以上三十文字以内で答えなさい!〉
「いや……あの、すみません。何もおかしくないです」
勢いに圧倒されて、僕は頷くしかなかった。
〈うむ。わかればよし〉
伊澄の方もノリノリになってきているような気がする。
〈あ! でもさ、会うときって向こうも一人なの?〉
「うん。いつも一人。他人といるところは見たことないな」
〈それってものすごくチャンスじゃない! むしろ今まで何してたの!? バカなの? アホなの?〉
酷い言われようである。一応僕の方が年上なのに。だが、その通りなので言い返せず「すみません」と謝ることしかできなかった。
石の向こうからは、大きなため息が聞こえる。
〈あのー、一応聞くけど、向こうには彼氏はいないんだよね?〉
「……僕が知る限りでは、いない……と思う」
そんなこと、考えたこともなかった。どうやら、僕は自分で思っているよりも恋愛偏差値が低いらしい。
〈もしかして、知らないの?〉
「……はい」
まだ社会人として働いたことはないけれど、上司に叱られる部下の気持ちが、今ならわかる気がする。
伊澄は、僕に聞こえるように大げさに嘆息してから言った。
〈ごめん、さっきバカって言ったけど訂正。大バカ〉
姿は見えずとも、彼女の呆れかえった様子が伝わってくる。
〈とりあえず、まずはお昼ご飯でいいんじゃない? 大学なら、食堂とかあるでしょ?〉
「あるけど……」
一人で使うのも気後れして、今まで利用したことがなかった。
〈今まで大学でしかかかわりがなかったのに、いきなりプライベートに踏み込むのもちょっとアレだしね。あくまで、暇なら一緒にお昼食べない? くらいのニュアンスでいくように〉
「わかった。頑張ってみる」
〈そうと決まれば、練習だね〉
「練習⁉」
予想外の展開に、思わず声が大きくなってしまう。
〈ん? 今まで何にもできなかった奥手男子が、意気込みだけで女の子をスマートにご飯に誘えるようになるとでも思ってるの?〉
「……いえ、僕が間違ってました。ご指導よろしくお願いいたします!」
〈よろしい〉
どうやら恋愛に関する話となると、僕は明らかに劣勢でしかいられないようだった。
そんなわけで、僕の明李さんをお昼ご飯に誘う練習、もとい伊澄のスパルタ教育が幕を開けた。
「……お昼、どうですか?」
〈暗い。ダメ〉
辛辣。
「お、お昼ご飯一緒にいっいい行きませんか?」
〈噛みすぎ。やり直し〉
ごめんなさい。
「ヘイ! そこの綺麗なネーチャン! ランチでもどうだい!?」
〈舐めてんの?〉
ですよね。
「だいたい、こんなことしたってどうせ本人を目の前にしたら頭が真っ白になるに決まってる」
僕の肝の小ささを舐めないでほしい。いや、胸を張って言えるようなことじゃないけど。
〈なら、なおさら練習しておくべきでしょ。練習でできないことが本番でできるわけないんだから〉
たしかにその通りなのだが……。
「でもさ、いくら声だけしか聞こえてないからっていっても恥ずかしさはちょっとはあるわけで――」
〈いいから。はい、次!〉
……人間の言葉を話す鬼がいる。
それから繰り返すこと数回。
「もっ、もしよければ、一緒にお昼でもどうですか?」
〈んー、まあいいでしょう。合格!〉
僕は総計八回のチャレンジを経て、ようやく審査に通った。
「ふぅ」
安堵の息を吐いたのも
〈それじゃあ宿題。家で今のを五十回練習!〉
最後まで手厳しい!
「それで、仮に一緒に食事できたとして、ご飯のときは何を話せばいいの?」
僕と明李さんが楽しそうに食事をするビジョンが、どうしても想像できなかった。
〈自分で考えたら? それくらいどうにかなるでしょ〉
「今まで何にもできなかった奥手男子がアドバイスなしでどうにかなると思ってる?」
〈……たしかに〉
「それで納得されるのもなかなか悲しいものがあるね」
〈まずは、いつも通りに話せばいいんじゃない? で、ちょっと慣れてきたら、いつもは話さないようなことかな。彼女自身のことをもっと知れるような話題をさりげなく〉
結局、伊澄は助けてくれるようだ。その優しさに感謝しなければ。
「例えば?」
〈なんでもいいんじゃない? 好きな食べ物とか、好きな芸能人とか。友達と会話してるときに自然に出てくる話題を出せばいいと思う〉
「なるほど……」
僕は伊澄の助言を、頭の中のメモ帳に記した。
〈あと重要なのは、その人の恋愛観だよね。まず最低限確認したいのが、現在交際中の恋人はいるのか、恋人候補や意中の人はいるのか〉
伊澄は〝最低限〟という部分に力を込めて言った。
「うっ……すみません」
思わず口から謝罪が飛び出す。
〈それで他は……好きな男性のタイプとか。ああ、あと、告白されてとりあえず付き合ってみるタイプか、それとも好きな人としか付き合わないタイプかってのも知りたいかな。いわゆる恋愛に対する価値観ね〉
「そんなことまで聞き出せる気がしない」
〈あっ、そうだ。好きってことをそれとなくほのめかすのも大事だからね〉
「えっ⁉」
〈本当に少しでいいの。キミなら好き好きオーラだだ漏れになりそうな気もするけどね……。もしかしてこの人、自分のこと好きなんじゃないの……って相手に思わせておくことで、相手もこっちを意識してくれることがあるから〉
「それは……ちょっと無理かな」
そんな高等テクニック、僕には使えそうもない。
〈でしょうね。あと、女の子は褒められるとすごく嬉しくなるの。どんなに小さいことでも。そのネイル綺麗だねとか、今日の靴可愛いねとか。もちろん外見じゃなくてもいいし〉
聞いたことあるような、ないような……。
「僕にできると思う?」
〈…………あー……うん〉なんだ、その間は。〈練習しましょう。友達とかでもいいから、いいところを見つけて褒める練習〉
「誰とも話さない日すらあるくらいには友達いないけど、どうすればいいかな」
〈ま、まぁ、焦らずゆっくり行きましょ。キミのことは応援してるけど、あんまり期待はしてないから〉
グサリ、と僕の心に何かが突き刺さる音がした。
〈とにかく方針としては、もっとお互いを理解するってこと。たくさん話す時間を作って、彼女のことをもっと知るの。そしたら同時に、キミ自身のことも知ってもらう。自分ではわかってないだろうけど、キミは意外と魅力的だから。きっと大丈夫〉
「うん。ありがとう」
ありきたりな励ましでも、伊澄に言ってもらえると、なぜか自信が持てる。
〈そんなわけで、次に明李さんと会ったら何が何でも誘うように。私のことは気にしないで。もしお昼にキミが来なかったら、ああ、きっと今ごろ一緒にいるんだなって思って、ここから応援しててあげるから。……っと、時間だ。じゃあ、そろそろ行くね〉
「うん。本当にありがとう。頑張ってみる」
〈どういたしまして。その代わり、進展があったらちゃんと報告してよ〉
「わかってる」
こうして、僕は伊澄に、明李さんに対する片想いの相談をしたのだった。
自分の恋心を人に話すのは初めてだったにもかかわらず、あまり恥ずかしさは感じなかった。
声だけで繋がっている関係のためか、気持ちを誇張なくストレートに口にできた。それに、伊澄が所々で茶化しながらも真剣に聞いてくれたおかげでもあるのだろう。
――次に明李さんと会ったら何が何でも誘うように。
伊澄に告げられたミッションを胸に強く刻んで、僕は小屋から出た。
あれ? 明李さんって名前まで伊澄に教えたっけな。でも彼女が知ってたってことは、僕がいつの間にか明李さんの名前を口にしていたのだろう。記憶にはないけれど。
なにはともあれ、僕は心強い味方を得たのだ。
たとえ無謀な恋だとしても、砕け散るまであがいてみよう。
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