19.決意


 お互いに関する記憶がなくなっていくかもしれない、という話をしたあとも、伊澄と僕は昼休みを一緒に過ごしていた。


 次の日には、気まずい雰囲気などなかったかのように、いつも通りに話をするようになっていたのだ。


 伊澄曰く、どうせ忘れちゃうんだし、それならせめて最後まで、ちゃんと友達でいようよ! だそうだ。彼女の真っすぐな性格に、僕は心の中で感謝した。




 本格的な寒さを感じる十二月の中旬。僕は例によって、小屋で昼食を食べていた。日当たりはよく、風は入ってこないので、中は意外と暖かい。


〈ねぇ、ご飯がまずくなるからやめてくれません?〉

 菓子パンを食べていると、不意に彼女からそんな台詞が告げられた。

「え?」

 何のことかわからず、僕は聞いた。


〈気づいてないの?〉

 驚いたように、伊澄が言う。

「えっと……ごめん。何のことかさっぱり」


〈ため息だよ、ため息! いつもの十倍くらい出てるから!〉

「そんなに?」

 自覚はなかった。無意識のうちに吐き出していたみたいだ。


〈そんなに! で、今度は何があったの?〉

 なんだかんだで心配してくれているらしい。


 原因はわかっている。明李さんのことを狙っているイケメンがいるということや、明李さんが過去のトラウマで恋愛が怖いのだということを知ったのが、先週の金曜日のことだった。


「明李さんが、イケメンにとられちゃうかもしれない」

〈は? 全然わからない。もっと詳しく説明して〉

「うん。先週のことなんだけど――」


 僕は事の顛末を話した。

 明李さんがイケメンと並んで楽しそうに歩いていたこと。そのイケメンがクリスマスに明李さんを誘っていること。明李さんが過去の恋愛でトラウマを抱えていること。


 意図せずして告白になってしまった僕の告白が、完全にスルーされたこと。明李さんが恋愛に対して前向きになってみるというような発言をしたこと。


〈なるほどね。まあ、心配しなくても大丈夫でしょ〉

 伊澄は、僕とは対照的に気楽な様子だ。

「えぇ? 人がこんなに悩んでるのに……。根拠は?」

〈ないけど〉


「じゃあ、何でそんなことが言えるの?」

 思わず、ふてくされた態度をとってしまう。

〈今日は一段と面倒くさいなぁ。ちょっとはポジティブになんなよ〉

 面倒くさいと言われ、僕は言葉を詰まらせる。


「でもさ、恋愛に前向きになるってことは、その男の誘いに応じるってことじゃないの?」

〈まあ、普通に考えればそうなるね〉

「ほら! 僕の恋は終わった」


〈ならキミもクリスマスに誘ってみればいいじゃない〉

 ずいぶんと軽々しく言うけど、そんなことができるとも思えないし、仮に……。


「もし僕が誘えたとしても、明李さんにとっては根暗なぼっち男と爽やかなイケメンのどちらを選びますか? ってことになるわけだよ。そんなの、実質選択肢は一つじゃん」


 負け戦以外の何ものでもない。それに、選択肢にプラスアルファされる可能性だって、彼女なら大いにあり得る。


〈何バカなこと言ってんの。選ぶのは明李さんでしょ? なら、見た目も性格も関係ないじゃない。明李さんの心をつかんだ方が勝つ。たったそれだけのこと〉


「そりゃそうだけど」

 どう考えても、僕は魅力的な人間ではないし、他人の心なんて、そう簡単につかめるものでもない。力なく項垂うなだれる。


〈キミが今すべきなのは、あれこれ悩むことじゃないでしょ。もう散々考えたじゃない。あとはキミ自身の気持ちと向き合って、信じたように行動すればいい〉


 そんな説得力のある伊澄の台詞に僕は、

「うん」

 頷くことしかできなかった。


 僕自身の気持ち……か。

 正直に言うと、自分でも全然わからなかった。


 明李さんのことが好きだから、彼女が幸せでいられるのならば、隣にいるのが僕でなくてもいい。


 明李さんのことが好きだから、彼女がより幸せになれる可能性を奪ってでも、僕は彼女の隣にいたい。


 その矛盾する気持ちはたぶん、両方正しくて、両方間違っている。

 恋という迷宮から、僕は出ることができないまま、ただひたすらに彼女への想いを募らせていた。


 伊澄は、僕が黙って考えているのを察してくれているのだろう。二人の間に、しばらく会話はなかった。


「よし! 決めた!」

 僕は宣言する。

〈いきなり何?〉


「クリスマスまでに告白する」

〈え?〉

「いつまでもこのままじゃダメだ。明李さんに想いを伝えて、きっぱりフられてくる!」


〈ちょっと! フられてどうすんの!〉

「最悪の場合を想定してないと怖くて……」


〈ああ、もう! どこまでも小心者なんだから! そんなんで宇宙に行けると思ってるの?〉

 伊澄が僕をなじる。


「今は宇宙は関係ないだろ⁉ それに、宇宙に行くなら慎重すぎるくらいの方がいいんだよ」

 僕も負けじと応戦する。


〈はぁ、これだから宇宙好きは……〉

 ただ単に憎まれ口を叩いているのかと思ったが、伊澄の口調はどこか冷たかった。まるで、彼女の身の回りに僕以外にも宇宙好きがいるかような言い方だったのも気になる。


「何か、宇宙に関して嫌なことでもあるの?」

 記憶の隅に引っかかっていた、彼女の父親が宇宙飛行士であるという事実を、僕はかろうじて思い出す。それと何か関係があるのだろうか。


〈……もしもキミが、将来宇宙飛行士になったとする〉

「うん」

 いきなり突き付けられたもしもに戸惑いつつ、真剣な彼女の声に耳を傾ける。


〈大事な家族がいる。綺麗な奥さんと、まだ小学生になったばかりの娘。そんなとき、大きなプロジェクトに誘われた。宇宙の、まだ誰も見たことがない場所に行く。でも、十年くらい家族と会えない。連絡もとれない。もしかすると、生きて帰れる保証もないかもしれない。キミならどうする?〉


 明言は避けているが、きっと伊澄の父親の話なのだろう。今にも震え出しそうな声からは、父親に向けられた様々な感情が痛いほどに伝わってきた。


 一分、もしくはそれ以上たっぷりと考えて――僕は、僕自身の答えを導き出す。


「答えられない。その状況にならないとわからない。でも、仕事を選んだからといって、家族を大切に思ってないわけではないと思う。たくさん悩むし、きっと自分一人じゃ決めきれない。ただ、自分のことを信じて待っててくれる人がいるから、その人たちの元へ帰ることを目標に仕事を頑張れる。たぶん、家族ってそういうものだと思うから」


 伊澄は、黙って僕の答えを聞いているようだ。

 一呼吸置いて、僕は続ける。


「だから子供は、お父さんの帰りを信じて待つしかないんじゃないかな。帰ってきたら、文句をぶつけてやればいいと思う。もしも僕がその立場で、仕事に行くことを選んだとする。帰って来て子供の声を聞けるなら、たとえ内容が文句でも何でも嬉しい……と思う」


 こんな僕が、家族なんて持てるかどうかわからないけどね。最後に、そう付け加える。


〈そっか……。うん。ありがとう〉

 僕の答えに対して、伊澄はそう言った。

「どういたしまして」


〈あっ、そんなことより、告白だよ〉

 彼女はすっかり元気になっていた。完全に悩みを解決できたわけではないはずだったが、少しでも胸のつかえがとれてくれればそれでいい。


「うわ……どうしよう。緊張してきた。心臓吐きそう」

 話題を引き戻され、先ほどの自分の宣言を少しだけ後悔する。

〈まだ早いから! いつ言うつもりなの?〉


「今週の金曜日がクリスマス前に最後に会える日だから、その日、僕の気持ちを全部ぶつけてくる」

〈……まさかとは思うけど、一応聞いておくね。どこで告白するつもり?〉


「どこって、食堂だけど?」

 何のためらいもなく僕は答える。食事が終わったら、そのまま想いを告げるつもりでいた。

〈まったく成長してない。いっそすがすがしいくらい……〉


「え? どうして?」

〈それはこっちの台詞だから! ムードってもんがあるでしょ! 大学の食堂なんて別にお洒落なわけでもないし、人がたくさんいるわけでしょ? そんなところで愛の告白……。え⁉ どうして⁉〉


「じゃあ、やめといた方がいいの?」

〈そうね。一回人間をやめてみてもいいと思う〉

「……」

 辛辣なお言葉をいただき、僕は言葉を失う。


〈はぁ、真面目にアドバイスするから聞いて〉

「はい。よろしくお願いします」

 淡く光っている石を、耳元へ持っていく。


〈まず、告白するんなら、時間帯は夜がいいかな。で、場所は二人きりの静かな空間。これが、一般的な女の子の理想のシチュエーションだと思う。私も含めて、ね。だから、まずは大学の外で会う約束を取り付けるのが目標。あと……台詞くらいはキミが考えな。ま、気持ちがこもってれば大丈夫〉


「わかった。ありがとう。やってみる……けど、上手くいくかな……」

〈お昼誘うときみたいに、またイメトレしてみれば? さすがに私も、告白の練習相手はちょっとキツいけど、自分の家とかで〉

「うん、そうする。あー、明李さんのこと考えてたら、急に会いたくなってきた」


〈……本当に、すごく好きなんだね〉

「さすがにちょっと気持ち悪かった。ごめん」

 恥ずかしい発言をしてしまったことに、後から気づく。


〈ううん、違うの。……かなわないなぁって〉

「かなわないって、何がだよ」

 そういえば、伊澄にも好きな人がいるんだっけ。もしかすると、そのことかもしれない。


 気持ちの強さだけが恋愛成就に必要な要素だとしたら、僕はすでに明李さんと結婚していると思う。けれど、それだけではどうにもならないのが現実だ。


〈なんでもない。それじゃ、また明日ね〉

 意味ありげな言葉に隠された彼女の気持ちを、このときの僕は知るよしもなく――。


「ん。また明日」

 石は輝きを失った。

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