13 門出


 周の都・岐山にある西伯侯・姫昌きしようの西岐城。

 政治の場である大広間で、5人の男たちが話をしている。


たんよ。それは本当なのか?」

 姫昌の次子で次の周王となる姫発きはつが、弟の周公旦しゆうこうたんに何かを聞き返している。


「はい。はつ兄」

鹿台ろくだいか。……またも意味もなく金のかかるものを。そんなに巨大な楼閣を造って何にしようというのか」

「なんでも天女が来訪できるようにとか。そのため、諸侯に献上品を呈上せよと」

「そんなもの20年かけても完成するまいよ。ふざけるなといいたい、が……」


 この場にいる男たちは知らない。

 確かに鹿台は、妲己の言を鵜呑みにした帝辛が建てさせようと命じた建物であり、その目的は天女が遊びに来るようにとの意図である。しかしその本当の目的は、天女と交わりを得て不老長寿の薬を得ようというものであったのだ。


 そのために天女が来てもらえるようにと、諸侯から財宝をかき集めて宝石や金をあしらい、東洋版バベルの塔ともいえる天高くそびえる建物を所望していたのだった。


 そこで一番上座の男、姫昌の長子伯邑孝はくゆうこうが、苦虫をかみつぶしたような表情で、

「発も旦もそこまでにしておこう。今は父上が捕らえられている以上、我らには従うほかない」

「しかし、こう兄」

「発。落ち着け。俺にもしもの事があったなら、次の周を治めるのはお前だ。もっと冷静に物事を判断しなくてはならないぞ」

「それはそうですが……」

「もし商と交渉せねばならないときは、私が行く。それが長子の役目だろう」


 その言葉に誰も何も言えなくなる。

 商への交渉。それは命がけの行為だ。暴君となってしまった帝辛ていしん妲己だつきに、いつどこでなにを言われるかわからない。それが命取りになってしまうことも多いのだ。


 発は思わずつぶやいてしまう。

「曾祖父が夢にまで見たという賢人がいれば……」

 そこへそばに控えていた文官の散宜生さんぎせいが、

「恐れながら……、時が来れば自ずと現れるかと」

「時、か。今のこの苦しい時こそ居てほしいものだが」

 発は皮肉げな笑みを浮かべるが、散宜生は涼やかに切り返す。

「それはつまり、これ以上の難事がこの先に起きるのではないでしょうか」

 途端に、苦虫をかみつぶしたような顔になる発であった。


「……お前は嫌なことを言う。父上が捕囚ほしゅうとなり、これ以上の事など起きて欲しくはない」

「もちろんです。ですから我が周は徳にて治め善政を敷き、人々みずからが国を守ろうと思うよう心がけなくてはなりません」

「そうだな。それが父上の代理たる俺の役目か」

「はい」


 発はため息を一つついた。

「そういえば、南宮适なんきゆうかつ将軍よ。例の金吒きんたの兄弟はどうだ?」


 控えていた一人の武将が「はっ」と返事をする。

「金吒と那吒なたの兄弟は驚くほどの武の才を秘めております。まだ兄が14才、弟が12才とあって身体ができてはおりませんが、日に日に強くなっており将来が楽しみであります」

「ほう。さすがはあの王の血を引くだけはあるということか。……しかし、そのしようはどうだ?」

 発の問に真剣味が帯びる。性格を問うその質問には、隠された意味があったからである。


「見たところ、心配はありませぬ。お調子者の気があるにはありますが、それよりも仁に篤いようで弱いものを助けようとする気性のようです。……そこが戦の時は危険な場合もありますが」

「ははは。まだ幼く経験不足なのであろう。……そこは正妃の婦九ふきゆう様に似たということか」

「そのようでございますな」


 ここで誰も口には出さなかったが、金吒・那吒の兄弟とは逃げてきた帝辛の子、郊と洪の2人のことだった。


 子牙に連れられて逃げ延びてきた2人は、周でかくまう際に名前を変えていたのだった。発が性格を尋ねたのも、かの帝辛のように暴虐な男になることを恐れてのことである。

 しかし、その心配も今のところは大丈夫であると判断されたようだ。

 人の性格はその環境によっても変わっていく。周で育つことが2人の兄弟にとって良い影響を与えていたのである。


 長兄の伯邑孝が一同の顔を見回して言った。

「ともあれ、父上の占いによれば、釈放されるまであと6年。今は守りを固め、国力を高める時だ。……みなで協力して、いざ父上が戻ってこられたときにお褒めいただけるように頑張ろう」

 その言葉に誰もがうなずいた。


 今は守るとき。そして、その先は――。


 まだ漠然としか見えないが、商との対立の予感が誰の胸にもあった。




◇◇◇◇

 爽やかに晴れた空の下で、子牙くんと碧霞が並んでしゃがみ、一心に祈っている。


 2人は今、カラフルな婚礼衣装を身につけている。晴天を思わせるような綺麗な青い服。襟や帯には細かい模様が刺繍されていて、まるでどこかの貴族のようにも見える。今日の日のためにと、春香が姜族伝統の婚礼衣装を子牙くんから聞き出して縫い上げたものだった。

 碧霞の丁寧に編み込んだ髪に美しい花が挿し込まれて、美しい花嫁姿となっている。


 2人が祈りを捧げる先には、碧霞の実の母の御墓があった。


 かたわらに立つかしわもすでに立派な木となり、青々とした葉っぱを茂らせている。


「……ニャン。私、この人と結婚しました」

 そう語りかけた碧霞が、ようやく立ち上がる。それに続いて子牙くんも立ち上がり、

「師父と春香様のように、2人で一緒に生きていきます」

と御墓に向かって深々と一礼する。


 残念ながら、子牙くんの両親もかつての姜族狩りによって殺されてしまっているらしい。同族の家で育てられたが、その家も今は……。あえていえば宋異人さんが親代わりともいえるだろうか。


 振り向いた2人に俺は微笑みかけた。

 

 昨日は祝言をすませたのだが、もう一夜明けた今日には出発するという。

 行き先は、周の都である岐山の西方・金鶏嶺だそうだ。そこは治安の良い周の領地だけあって危険な山賊などはいないらしい。

 が、ここからは4、5日かかるんじゃないだろうか。そんな遠いところに碧霞が行ってしまうのは……、やはり心配だ。


「な、なあ。そんなに急いで行かなくたっていいんだぞ」

 歩きながらそう言うと、となりの春香がブフッと吹き出した。「ちょっと夏樹!」


 碧霞が振り返り、微笑みながら首を横に振る。

「ううん。パーパ、そうはいかないわ。……だって、そうしないと私いつまでもここにいたくなっちゃうから」

「もちろんそれでも……、って、これは俺のままか」

「ふふふ。パーパ。愛してるわ。……私は大丈夫よ」


 くっそ。なんだか今さらながらに子牙くんが憎たらしくなってきたぞ。

 遠くに行ってしまうのか、やっぱり。それは、寂しいな。喜ばしいことだってわかっているけど、心の大きな部分が無くなってしまう。そんな気持ちだ。



 不意に春香がぎゅっと腕を絡めてきた。

「碧霞も心配しないでいいわよ。夏樹には私がいるんだし」

「うん。マーマも愛してる」

「ホント良い子よねぇ。……でもここには貴女のニャンのお墓もあるんだから、たまには顔を見せなさいね」

「うん」


 そして俺を見上げる春香。

「パーパと一緒に、碧霞の弟か妹ができるよう頑張るからね」

 突然そんなことを言うもんだから、今度は子牙くんと碧霞がカクンと脱力してチラリと振り返る。

 春香が「ふふ」と笑って、その視線を受け止めると、2人は互いの顔を見合わせて急に笑い出した。


「さすがは春香様です」「うん。ホント」


 そんな話をしているうちに、とうとう家の前に帰り着いてしまった。

 すでにロバ車の準備はできている。

 2人は振り向いて、一礼した。


「師父。お世話になりました」

「パーパ。マーマ。お世話になりました」


 碧霞の目に涙が浮かんでいる。別々に住むんだという実感が湧いてきたのだろうか。

 春香もうんうんと盛んにうなずきながら、手を広げて碧霞をぎゅっと抱きしめた。


 俺は子牙くんの胸にこぶしを当てて、

「碧霞をくれぐれも頼む。そして、君も健康に注意するんだぞ」

「はい」

 そして、抱き合っている2人の外側からまとめて抱きしめた。


「碧霞。お前は俺たちの自慢の娘だ。……しっかりと子牙くんを支えるんだ。そして、お前も幸せになれ」


 小さく碧霞がうなずいた。「うん」


 その泣き笑いのような目を見て、ついうっかりと、

「な、なあ、やっぱりそんなに急がなくても……」

と言うと、碧霞が含み笑いをしはじめた。

 そして自分から、俺たちと離れて子牙くんの隣に並ぶ。目尻を拭きながらも、その顔は笑っていた。

「……もう。パーパったら」


 ちょっとバツが悪くなったけれど……、しょうがないじゃないか。


 子牙くんと碧霞が馭者台に乗る。すでにたか嵐鳳らんほうは荷台にちょこんと乗っていた。


 2人は、まるで結婚式の後にブライダルカーに乗って会場を出発するように、


「それでは」「行ってきます!」


と明るい笑顔でロバ車を進めた。


 馭者台で寄り添っている2人の姿は、まるで鏡を通して俺たち自身を見るようでもあった。

 何度も振り返る碧霞。俺と春香はその姿が見えなくなるまで手を振り続けた――。


 2人の行く先に幸あれ。


 見えなくなった道の向こうに、俺はそっと祈った。


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