12 親心



 俺たちは子牙くんの怪我が落ちつくまで、宋異人さんの屋敷、とはいっても別棟だが、滞在することにした。


 幸いなことに身体のあちこちに打撲痕があり内出血をしているものの、内臓破裂などの重大なものはない。

 ……厳密にいえば、わずかな時間ではあったが俺が癒やしておいたから、その程度の怪我で済んでいるのだ。

 今は薬草から作った湿布を当て、水を濡らした布で熱を帯びている身体を冷やしている。


 夜になったが、子牙くんの意識はまだ戻っていない。ずっと碧霞がそばについていて、湿布を取り替えている。その様子をたか嵐鳳らんほうが見守り、たまに春香が見に行っている。


 碧霞も驚いただろうし、怖かっただろう。

 男たちに捕まり、しかも自分のために目の前で子牙くんが暴行を受けてしまったのだ。あれだけの怪我をした人を見るのも初めてのはずだ。


 そうそう、あの男たちは碧霞に目をつけてからんできたそうだ。それを拒否したらさらにエスカレートして、やがて碧霞が男の一人に捕まりという具合になったらしい。


 正直にいって、俺のミスだ。


 今は、治安が悪くなっているのに、子牙くんがいるから危険なところには行かないだろうし、危険なことにはならないだろうと許可をしてしまったのだ。

 危険なところに行かずとも、向こうからやってくる。俺の見込みが甘すぎたのだ。


 だからじゃないが、子牙くんには碧霞を守ってくれて感謝している。もっとも、本人は守れなかったなどと言っていたが、そんなことはない。立派に守り通してくれた。

 あのまま俺たちが行く前に連れ去られてしまったら、大変なことになっていただろう。


 しかし一方で、子牙くんにいらだつ気分もある。

 ……なんとなく、彼が碧霞を連れて行ってしまいそうな。そんな予感がして胸がモヤモヤしている。


「――え」


 うん?


「ねえってば!」


 顔を上げると、テーブルの向こうで春香がちょっと怒った表情をしていた。

「話を聞いてた?」


「すまん。考え事をしていて」

 素直に謝ると、ため息をついてやれやれといった様子で、

「過ぎたことをいつまでも後悔してもしょうがないよ。って、いつもなら夏樹がそう言う係なのに」

「すまん」

「……これは重傷ね」


 春香がイスから立ち上がり、両手で俺の顔を挟んだ。心配そうに眉をしかめながら、俺の目をじっと見下ろしている。

 そのまま俺の顔をのぞき込むようにかがんできた。おでことおでこがぶつかり、澄んだ瞳に、俺の顔が映り込んでいる。


「碧霞も無事。子牙くんも、まあ、無事だったのよ。2人だけで行かせちゃったのはまずかったかもしれないけど、それは私も同じ。……今は喜ぶべきでしょ」


「そうなんだが……。あの子を危険な目に遭わせてしまった。一歩間違えれば、本当にあの子を失ってたかもしれない」


 すっと顔を離した春香が、俺の顔を抱きかかえる。柔らかな春香の胸に抱きすくめられ、そのぬくもりに包まれる。まるで母さんに慰められるように、髪をやさしく撫でられた。


「馬鹿ねぇ。……前にも言ったじゃない。そうやって、あの子に何も起きないようにってずっと見ていることはできないのよ?」

「しかし、今の社会は危険が多すぎる」

「だからといって、ずっと私たちが守るってわけにはいかないじゃない。あの子の人生はあの子の人生。いずれ巣立っていくんだから」

「そうだな。だからといって「だ~か~ら」、……え?」


 春香ががばっと身体を離して、ふたたび俺の顔をのぞき込んできた。


「一人でダメなら2人で生きていけばいいのよ。……ほら。感じるでしょ? あの子の想いを」


 春香に言われ、俺は目を背けていた感覚にしぶしぶ意識を集中する。


 それは、俺と春香。2人で1柱の神としての権能。

 ――愛しあう2人に加護を加える力。


 ここ2年の間の同居生活で、明らかに碧霞は子牙くんに思いを寄せるようになっていた。しかし、恋と呼べるその感情は、引っ込み思案の性格もあって子牙くんには伝えられずにいたようだ。

 そこへ今日の事件が発生した。ボロボロになってしまった子牙くんの姿に、謝りたいという気持ちとともに、好きだという思いが燃え上がっている。


 そして、一方の子牙くんも無意識のうちに、碧霞に好意を寄せていたようだ。

 ……ただ年齢差が13才あるので、躊躇ちゅうちょしているというか、その気持ちが妹に対する親愛の情なのか計りかねている様子。

 ただし、それも今日の一件で見つめ直すこととなるだろう。


 もちろん、まだ意識を取り戻していないから、この先どうなるかわからない。けれど俺たちの権能が教えてくれる。きっと一人の女性として碧霞を愛するようになるだろう。


 だが、それもあくまで予感だ。そうに違いない。


「……碧霞の頑張り次第だろう」

「もう。変なところで頑固がんこなんだから。でもほぼ確定でしょ」

「俺たちの権能によればだ。が、…………やっぱり、認めるしかないのか」


 俺がそう言うと、春香がぐいっとイスをずらして斜め前に座った。


「私も寂しいわよ。だけど、親の気持ちってそういうものじゃないかな」

「もう一つある。子牙くんは、これから商と周の戦いの渦中に飛び込んでいくことになる。……碧霞は彼を支えられるだろうか? それも心配なんだ」


 軍師だからな。碧霞が戦場についていくとは思えないが、そんな人物の妻として注目も浴びるだろう。ましてや出自だって平民どころか、明らかな身分とはいえないんだ。


 いじめられたりしないだろうか。慣れない生活に、かえって2人ともに不幸になったりはしないか。

 戦いにおもむく子牙くんの安否を、日々、不安に思いながら祈り続けるだろう。果たして碧霞にそれが耐えられるのだろうか。


「やっぱり心配だ」


 けれども春香はそうは思ってないようだ。確信に満ちた表情で俺を見ている。


「それでも、私は大丈夫だと思うわ」

「……春香」

「あの子は私たちの子よ。そんなに弱くはない」


 俺の手を、春香の手が包み込むように重ねてくれる。そのまま手の甲がさすられるのが心地よい。

 ただ無言のままでしばしの時が流れた。


「ふう」とため息をつくと、春香がチラリと俺を見る。

 その視線を感じながらも目を合わせずに、ただじっと春香の手を見つめる。

「子供の未来を信じるのって、難しいもんだな」


 そうつぶやくと、春香も黙ってうなずいた。


「そうか……。じゃあ、俺も信じてみるか」


 不安は不安さ。何も心配ごとは無くなりはしない。

 ……それでもこのままじゃダメだなって思う。それなら、無理にでも信じてみようか。そう思いきるのが大切なのかもしれない。


 そう思いつつ、いざ信じると決めると幾分か心が軽くなった気がした。


 春香が小さく微笑んでいる。

「そうよ。大丈夫。それこそいざとなったら手を差しのべればいいんだから」


 考えてみればそうだな。

 俺と春香も結婚してすぐの時。……いや、高校生の婚約の時も、あの病室の結婚式の時も、結局は親の力を借りた。

 大人になってからも、相談することもあったしお願いすることもあった。


 そういう経験を重ねて、本当の夫婦になっていくのだろう。

 だからあの2人が困ったとき、同じように俺たちも手助けしてやればいい。そういうことじゃないだろうか――。


「どうやら意識を取り戻したみたいね」

 不意に春香がつぶやいた。


 ……たしかに廊下の向こうから碧霞の大きな涙声が聞こえる。

 俺は立ち上がり、春香に手を差しのばした。

「行こう。一緒に」


 俺の手を見た春香が、くすっと笑って握り返す。

「もちろん。一緒にね」


 立ち上がった春香を連れて、俺は子牙くんのいる部屋に向かった。


 薄暗い廊下を歩いていると、碧霞の声が響いてくる。

「よかった。よかった。子牙様! ……ううぅ」


 闇の向こうに部屋の明かりが差し込んで、まるで新しい世界の入り口がぽっかりと開いているように見えた。

 その光の中で、寝台上の子牙くんが上半身を起こし、そのお腹に頭をすりつけるように碧霞が抱きついている。


 戸惑いながらも、その髪を子牙くんがやさしく撫でていた。


 その光景を見たとき、俺は確信した。

 ――碧霞が嫁いでいく、と。


 良いも悪いもない。ただそのことだけが、まるで既定の事実であるかのように、すとんと胸の中に落ちていった。



「気がついたか――」

 そう言いつつ部屋に入る俺だったが、その時が近づいてくるのが感じられる。まるでタイムリミットが設けられたように。停まっていた時が動き出し、風が吹き始めたように。



◇◇◇◇

 それから二月が経って子牙くんの傷もすっかり癒えた頃、俺と春香に、2人が結婚の許しを願い出てきた。


 正直、彼が何て言って申し込んできたのかなんてなんて、頭が真っ白になっている俺にはわからなかった。

 ただ目の前で、膝をついて下げられた2つの頭が並んでいる。


 それを見ながら俺は思った。

 ――いよいよこの時が来たか。


 寂しいような、うれしいような、ちょっとどうしていいのかわからない。そんな気持ちだ。


 だから俺は言う。


「子牙くん。少し立ち会いたまえ」と。


 外に出て、こんを手に子牙くんと対峙する。

 子牙くんは緊張した表情で俺を見ている。そしてその向こうには、碧霞が心配そうな表情で何かを言いたげにしている。その手をぎゅっと春香が握って押しとどめていた。


 同居をしてきた俺たちだが、こうして立ち会ったことは一度も無い。ただ、子牙くんが朝のうちに訓練をしているのは知っていた。

 隴中で見たように、実力もそれなりにある。……きっと別れた前の奥さんに鍛えられたのだろう。


 俺は棍を構えた。


「言葉はいらない。……来なさい」

「はい! 師父」


 子牙くんも棍を構えた。あの表情。まだ緊張しているようだ。ならば……。


 俺はふっと子牙くんの棍の側面をりながら、一気に踏み込んだ。そのまま突きを放つ体勢を取ると、子牙くんはあわてて右に回るように動き、擦られた動きのままで足を軸にして、棍で俺をぎ払おうとする。


 俺はその力を上に逃がして、その場で体幹をねらってりを放った。


 それをあわててバックステップで避けた子牙くんだったが、体勢は崩れている。そのまま一歩踏み込んだ力を棍にのせて突きを放つと、かろうじて子牙くんがその突きを棍で受けてしのいだ。

 ピシッと先端が子牙くんの頬をかすめた感触がする。


 引きつった表情の子牙くんだったが、どうやら緊張は取れてきたようだ。

 少し距離を取って再び構える。


「そんなものじゃないだろう?」


 俺の言葉に、子牙くんは「いあぁっ!」と短い呼気とともに、あの隴中で見たような連続突きを仕掛けてきた。

 もちろん槍よりも軽い棍である。その速度も倍以上違う。……が、俺にはきかない。


 まわりの時間の流れを操作しつつ、俺は棍と足さばきを駆使して彼の攻撃をことごとく受け、ことごとく払い流していった。


 一瞬の隙を突いて、彼の手をパシンと叩く。

 タイミングが良かったのだろう。その一撃で手を震わせた子牙くんから棍が落ちる。


「機先を制す」


 そう告げ、彼の腹に膝蹴りを見舞った。

「ぐふっ」


 そのまま距離を取って彼が棍を拾うのを待つ。今度は俺の出方をうかがっているのか、すぐには責めてはこない。


「機を創る」

 そう言って、俺は子牙くんの棍の先を跳ね飛ばして一気に懐に入った。


「ふん!」


 腹に突きを受けた子牙くんの体勢が崩れる。そのまま顔を跳ね飛ばした。そのまま子牙くんは仰向けに倒れる。

 ふたたびカランカランと棍が地面に転がった。


 向こうから碧霞が「子牙様!」と悲鳴のような声を上げている。

 しかし、やめるわけにはいかない。


「立て」

と言いながら、倒れ込んでいる子牙くんに上段から打ち付けるように棍を振り下ろすと、彼は転がってそれをさけ、そのまま棍を拾って立ち上がった。


「いあぁ!」

と鋭い声を上げて、再び俺に突きを放つ子牙くん。俺は棍でその突きを払い上げ、そのまま無防備になった身体を打ち据えた。

 立ち上がる子牙くんが、諦めずに突っ込んでくる。「無策は無駄死にだぞ」


 ドンと音を立てて、カウンターの一撃を受けた子牙くんがはじき飛ばされる――。



――――

――

 あれから打ち合う度に、子牙くんは全身に打撲の傷あとが増えていく。せっかく治ったばかりだが、そんなこと、今は関係ない。……そう関係ないんだ。たとえ向こうで、碧霞が泣きながら見ていても。


 もう幾度目になるかわからないが、俺の払いを受けた子牙くんの身体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。

 もはや気力だけが彼を動かしているだろう。死んだようにピクリとも動かないが、しばらくするとノロノロと手を棍の方に伸ばしはじめた。


「もうやめて! パーパ!」

 春香の腕を振り切って、碧霞が俺と子牙くんの間に入り込む。


「どけ。碧霞」


 今まで出したことがないような威圧を込めて命令すると、彼女はぐっと唇をかみしめて、それでもなおここは通さないというように通せんぼをしている。


「そ、そうです。どきなさい……」

 棍を拾った子牙くんがふらふらになりながらも立ち上がり、碧霞を脇にどける。もうほとんど力も入っていないだろうが、碧霞は驚いた表情を浮かべて横にふらめいた。


「な、なぜ。子牙様」

呆然ぼうぜんとした様子の碧霞に、

「わかっていないのはお前だ。碧霞」

と言い捨てる。


 ノロノロと棍を構えた子牙くんが、まるで碧霞などいないもののように無視をして、俺に突きを放つ。


 それを受けながら、俺は碧霞に、

「お前は、子牙くんを信じられないのか? なにがあっても、戦場にいる彼の勝利を待ち続けられるのか?」

と問いかけた。


 力ない突きなど、受けるのはたやすい。そのままひじを彼の胸もとに突き込むと、彼はその勢いのままに後ろに下がり、棍を杖代わりに耐え忍ぶ。


「夫婦は一人じゃない。……お前の役目は戦いが終わった後の彼を、いつもと変わらずにおかえりって言ってやることだ」

 そういって俺はこれで最後とばかりに、彼に回し蹴りを放つ。受ける力も残されていなかった子牙くんは、そのまま碧霞の足元に転がっていった。


 俺は棍を地面にドンッと打ち付けて仁王立ちし、

「さあ立て。それでも碧霞をあきらめるか?」

と告げた。


 さきほどの俺の言葉が効いたのか、碧霞はぐっと口を引き結んで我慢している。子牙くんは、ゆっくりと立ち上がった。


「それでいい。……いいか。最後まで生きて碧霞のもとへ戻る。その覚悟が、いざというときお前の力になるだろう」


 俺は棍を倒し、その場で頭を低く下げた。



「――碧霞をよろしく頼む」



 頭を上げる前に、ドサッと子牙くんが倒れる音がした。碧霞があわてて彼を介抱しようとしゃがみ込む。

 春香が微笑みながらやってきて、

「お疲れさま」

と俺に言い、そのまま碧霞の横で膝をついた。

 俺の顔を見る春香に、黙ってうなずき返す。


「碧霞。……頑張りなさい。あなたも学ぶべきことはまだまだ沢山あるわ」


 涙を流しながらうなずく碧霞に、

「ではこれから私がすることは、誰にも口外してはいけません。……彼にもね」

と言い、再びうなずくのを確認すると、かつてギリシャでテセウス君にしたように、みずからの神力を解放して子牙くんの傷を治していった。


 あちこちに出来た打撲痕だぼくこんや、内出血を起こしてれ上がった傷がスウッと融けるように消えていく。その様子を、碧霞が目を丸くして見ていた。

 その小さな肩に手を置く。


「何かあれば俺たちに連絡をするんだぞ。……結婚してもお前は俺たちの娘なんだから」


 呆然とした表情ではあるが、碧霞はこくんとうなずいた。「これって一体」とつぶやくが、俺たちはそれには答えなかった。



 ――それからさらに二月が過ぎた良き日。2人は祝言しゆうげんを挙げのだった。



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