11 隴中のならず者
俺は春香と一緒に、隴中にある宋異人さんのお店に来ていた。
「あれから物騒になりましてね。我々のような商売人には厳しい時代になってきましたよ」
どこか疲れたようにいう宋異人さん。彼の言葉ももっともだ。
子牙くんをかくまってからすでに2年が過ぎて、碧霞も20歳となった。
現代日本の感覚だと成人の祝いをするべき年齢となっている。今日、ここに来ているのは、内々でそのお祝いの準備品を買いに来ているのだった。
世情の方は、次第に不穏な空気が広がりつつあった。それは、商だけでなくここ西方でも……。
かつて春香に話をしたように、昨年、とうとう西伯侯の姫昌様が幽閉されてしまった。
そして伝え聞くところによると、商では妲己が正妃となり、賄賂が横行しているらしい。その影響で、地方では物価が高くなるとともに盗賊被害が増えてきているという。
「それにしてもお嬢さまも20才ですか」
と宋異人さんがしみじみと言った。
「あっという間に大きくなった気がしますよ」
「私も気がついたら、もう54ですよ。……お2人はまだまだお若く見えますが」
そういう宋異人さんに、
「ははは。見えないところではちゃんと年を取っていますよ」
と言う。
次の瞬間、春香に思いっきり背中をつねられた。
「いてっ!」
思わずそう叫んだ俺の耳元で、
「ちょっと! その言い方。変に誤解されるよ」
と、春香がささやいた。
……そういえばそうか?
あわてて、
「ま、まあ。体力も落ちてきてますしね」
と言うと、後ろから頭をバシッと叩かれた。
春香が大きな声で、
「だから誤解されるって!」と言う。
「え? あ、いや。そういう意味じゃないですよ」
あわてて言いつくろうが、宋異人さんは苦笑いを浮かべていた。
「はは、は。お2人はいつまでも変わりませんな」
俺たちは今、40歳前後の姿になっている。不老の力を切っているから、ごく自然に年齢を重ねているようには見えているはずだ。
そういえば、2番目の人生で春香を帝釈天様のところへ連れて行ったのも、ちょうどこれくらいの年齢のことだった。
どこかしっとりと艶のある風情の春香は、今もなお美しい。
俺の髪も白髪がわずかに混じってきているが、春香に言わせると「ダンディで渋いロマンスグレーになるのが楽しみ」とのことだ。
子牙くんも今年で33歳。男の盛りともいうべき年齢になった。
……そういえば「子牙」ではなく、
それだけ尊敬されていることの表れでもあるとは思うけどね。
ちなみに今、彼は碧霞と一緒に別のお店に向かっている。
というのも、碧霞へのプレゼントを宋異人さんに内緒で相談するために、あの子を連れて外に出てもらっているのだ。
「さてと。私たちの頃なら振り袖で写真って感じだったけどねぇ」
と春香が小さくつぶやいた。
しかし、ここには和服もカメラも無い。晴れ着を着させて似姿の絵を描かせるか? でもなぁ、この時代の絵描きじゃ、ちょっとねぇ……。
もっともお祝いに服を贈るのはいいかもしれない。お祝いの品はその方向でいいかな。
「ほう。お2人の国の服ですかな?」
「ええ。そうなんですけどね」
「作らせてもよろしいですが……」と言いながら、宋異人さんは指先で
「お嬢様用のお琴などもよいかと思いますね」
なるほど。
確かに今、うちにある琴は一本だけだ。碧霞用に新しいのを用意するのもいいな。
喜ぶ顔が見たい。そう思いつつ、プレゼント選びで悩むのは、とても幸せなことだと思う。
服か。琴か。さてどうしよう。
しかし、そんな平和な時間は、突然、打ち切られることになった。
宋異人さんが思わず「む?」と身構える。
春香も驚いていたが、すぐに、
「嵐鳳? どうしたの?」
碧霞のそばにいたはずだが。――この様子。あの子に何かあったな!
俺はすぐに立ち上がった。
「宋異人さん。すみませんが、馬を借ります!」
「わかりました。すぐに!」
宋異人さんは状況を理解すると、すぐに付き人に視線をやる。その人は急いで外に出て行った。
つづいて俺たちもすぐに外に出る。
回廊を小走りに走りながら、
「春香。例の弓は持って来てるな?」
「ええ」
俺は護身のために剣を持ってきているから、それで良い。子牙くんが一緒にいるはずだ。俺たちが行くまで待っててくれよ!
そこへ宋異人さんが、
「念のため、槍もお持ち下さい。……最近は何があるかわかりませんから、すぐに私の護衛も出します」
「ありがとうございます。私たちは先に行きます」
俺たちは馬に乗り、宋異人さんの屋敷を飛び出した。
「どいてくれ!」
と叫びながら馬を走らせると、人々があわてて道を開けてくれる。目立っているが、気にしている余裕などない。
力強く疾走する馬に身を任せながら、前を飛ぶ嵐鳳を追いかける。
嵐鳳よ。
頼む! 急いでくれ!
槍を握る指が白くなる。
街の外れが見えてきたところで、人だかりが見えてきた。
◇◇◇◇
人の輪の真ん中で、姜子牙は、4人の男たちに暴行を受けていた。
顔には殴られたアザが赤くなっていて、唇は切れ、目は腫れてしまっている。
笑いながら殴りつける男たちの後ろで、碧霞が一人の男に捕まり、剣を突きつけられている。
「子牙様ぁ!」
悲痛な声を上げる碧霞。その目からは涙がポロポロとこぼれていた。
男の手から逃れようとするが、剣を突きつけられて身動きが取ることができない。
「ぶはっ」
口から血が吐き出され、びちゃっと地面を赤く染める。
その顔に、ペッとつばを吐いた男が、
「ふん! いいざまだ!」
と言い捨て、これが最後だと言わんばかりにあごを蹴り上げる。
そのままひっくり返る子牙だったが、それでもうめきながら碧霞に手をのばそうとしている。
男たちのリーダーだろうか。
「はははは。安心しな。この子は俺たちが売り払ってやるから! ……いや、商に献上するのもいいかもな。そうしたら俺たちも役人になるかもよ!」
「貴様ら……」
とうめき、子牙が震えながら立ち上がる。
「させない。絶対に、させるわけにはいかない! あの暗君に……、あの狂妃になぞ引き渡させぬ」
「ばぁーか! その身体で、お前に何ができる」
ふたたび碧霞に剣が突きつけられると、子牙は動けなくなってしまう。
男たちは笑いながら殴りかかった。
子牙はさっきからこうして、何度も何度も倒れては立ち上がっていた。それを見る碧霞が、すっかりかすれた声で名前を呼ぶ。
「子牙様……」
それを遠巻きに見ている人たちも手を出そうとはしない。男たちを怖れているのか。はたまた関わり合いにはなりたくないのか。
どこの国にも所属していない街では、治安を守るような軍隊もいない。それに、よそ者は所詮よそ者なのだ。誰も守ってはくれない。力なきものは身を守ることすらできないのだ。
俺たちが到着したのはその時だった。
「貴様ら!」
飛び込んだ俺を見て、リーダーらしき男が侮蔑するように、
「仲間か? ははは。これを見な。動いたら殺すぞ」
と言う。
「パーパ!」
碧霞の叫びに、男がちょっと驚いた顔をしてからニヤリと笑った。
「ほう。父親か」
俺は子牙くんのそばに行き男たちと対峙する。奴らが言いそうなことは想像がついている。だから……。
「口を閉じろ」
と挑発しつつ、こっそりと神力を子牙くんに流し込み、その身体の傷を少しでも癒やしてやる。
「はぁ? そんなこと言ってられると思ってんのか? あんたの娘。俺たちがもらってくぜ」
「馬鹿め。俺が許すわけがないだろう」
「関係ないなぁ。あ、いや。こう言えばいいか? ――お義父さん。あなたの娘を俺に下さいって。はーははは!」
大笑いする男を無視して、俺は槍を地面に突き刺し、腰から剣を外して地面に落とした。
「こんなものはいらないな。お前ら相手ならこれで充分だ」
と拳を握る。
「おおっと。この剣が見えないのか? 別に良いんだぜ。少しくらい傷物に――」
男がそう言い終える前に、どこからともなく飛んできた矢が、碧霞を捕まえている手に刺さった。
「ぎ、ああぁぁ!」
あわてて手を離したタイミングで、一気に踏み込む。驚く男たちが身が回るが、もう遅い。
順番に男たちを殴り飛ばし、そのまま通り過ぎざまに碧霞を抱きかかえて、振り向いた。
「くそっ。まだ仲間がいやがるのか?」
悔しげに言う男に返事などしない。
そう。さっきの矢は春香だ。そして、すでに春香が子牙くんの前に立っている。抜け目なく弓矢を男たちに向かって構えながら。
男たちがスラリッと剣を抜いた。
こいつら、ここでやる気か。
俺は碧霞を背中に隠した。
……その時、子牙くんが春香を押しのけて、地面に刺さった槍に手を懸けた。
「し、師父。すみません」
腫れてしまってろくに見えないだろうに……。碧霞を守れなかったことを悔やんでいるのか。
だが、よくがんばったぞ。子牙くん。
「よく耐えたな」
身体の傷をある程度は癒やしたが、まだちょっと動いただけで激痛が走るはずだ。無理をしないで、ここは任せてほしい。まもなく宋異人さんの手配した男たちも来るはずだ。
しかし、子牙くんは槍を引き抜くと静かに構えた。
片方の目はまったく見えないだろうし満身創痍の状態だが、不思議な迫力がその身から漂っている。
「彼女を守るよう仰せつかったのは私です。彼らは……、私が倒します」
さんざん暴行を加えて死に体だった子牙くんに言われ、男たちは頭に血が上ったようだ。
「じゃあ、てめえから切り刻んでやる!」
まずい! 子牙くんのあの傷じゃ危険だ!
すぐに飛び出そうとした俺の目の前で、子牙くんが「はあ!」と気合い一閃、1人目の男の肩を突き、そのまま隣の男の頭を槍で払った。
たちまちに地面に叩きつけられる男だったが、さらに一歩踏み込んで、残り2人の男めがけて突きの2連撃が放たれる。
あっという間の攻撃に、男たちはなすすべも無く、
「うぐっ」
とくぐもった声を上げて倒れ込む。
……驚いた。彼がこれほど戦えるとは思いもしなかった。
不利を悟った男たちがすぐに立ち上がり、転びそうになりながらも逃げていく。盗賊か、強盗か。街の外に飛び出していったところを見ると、前者なのかもしれない。
「子牙様!」
碧霞が子牙くんのそばに走り寄る。しかし、怪我だらけの子牙くんを前に、どうしていいのかわからず、立ち止まっている。
子牙くんは、そんな碧霞に、
「よかった。無事で……」
とつぶやくと、フッとその場に崩れ落ちた。
「ああ!」と叫び、碧霞が抱きついた。地面に座りながらも、意識を失っている子牙くんを抱きとめている。
「子牙様! しっかり! 私のために……」
おそらく自分で何を言っているのかわかっていないだろう。必死で呼びかけ続ける碧霞。そして、その腕の中の子牙くん。
春香が弓を下ろして俺を見る。
わかってる。
自分のためにボロボロになってしまったんだ。きっと碧霞は……。
だけど、まずは子牙くんの怪我を手当てしないといけないだろう。
俺は碧霞の肩を叩いて離れるようにいい、傷だらけの子牙くんを背負って宋異人さんの屋敷へと向かった。
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