黄土に吹く風は天命を告げる ―君と歩く永遠の旅 第3章―

夜野うさぎ

プロローグ 


 私の世界の中心はずっと貴女。

 たとえ風になっても、いつまでも見守りつづけるわ――。



 遊牧民のテントに壮年の男が必死の形相で飛び込んできた。

 中で座っていた女性が男を批難するような顔で男を見上げる。その胸に眠る幼子が起きてしまわないように。

 しかし男は、それどころではないとばかりに、

「急いで逃げろ!」


 その一言で女性にはなにが起きているのかわかったのだろう。この世の終わりのような表情になった。

「あなたは!」

「少しでも奴らを引き留める!」


「そ、そんな」

「行け! 碧霞へきかを頼むぞ!」


 男性は部屋に立てかけていた弓矢を手に取り、すぐに外に飛び出していった。すでに外には、何人もの男たちが馬に乗っている。どの表情も険しい。


「行くぞ! 少しでもみんなが逃げる時間を稼ぐんだ!」

「「おお!」」


 馬が走り去っていくと、すぐにテントから女性が幼子を抱えたままで飛び出してきた。


 大草原をはるか遠くから、武装した軍勢が近づいて来ているのが見える。立ち上る砂煙が、まるで迫り来る砂嵐のようだった。

「……しょうの軍隊」


 東の大国である商。最先端の青銅武器を装備した最強の軍隊。彼らに捕まった仲間は一人残らず殺されているという。

 夫を含めたわずかな男たちが立ち向かっていく。命をかけて、女や子どもたちが逃げる時間を稼ごうとして……。


「あんたも急ぎな! とにかくバラバラになってしゅうに逃げ込むんだ!」

 隣の奥さんがそう叫びながら馬に飛び乗り、どこかへ走り去っていく。


 女性は最後にもう一度だけとばかりに夫の背中を見てから振り返った。すぐに娘の碧霞を自分の身体にくくりつけて馬にまたがる。手綱を握り、勢いよく走らせた。


 逃げる先は、みんなとは別々の方角に。

 一人でも多く生き延びられるようバラバラに。


 耳元をびゅうびゅうと風が通り過ぎていく。

 目から流れた涙が、抱きかかえている幼子の頬にぽたりぽたりとこぼれ落ちた。

「なぜ。……なぜ私たちが――」

 女性のつぶやきは吹き抜ける強い風に消えていく。


 ようやく立っちができるようになった我が子。たった一人の愛娘。小さなかけがえのないぬくもり。

 夫が命がけで守ろうとしているように、次は自分が命がけで守ってやらなければならない。


 手が震える。振り向きたくなるのをこらえながら前をにらみつけ、躍動する馬に身を任せる。

 その女性の胸もとで、迫り来る危機も悲劇も知らずに幼子は静かに眠り続けていた。



 ――それからしばらくして、ようやく商の軍勢が集落にたどり着いた。すぐに逃げ遅れた者を探すものと追いかけるものとに分かれていく。


 隊長らしき一人の男が、バラバラに逃げていく女たちを見て、

「さすがは草原の民。きょう族といったところか。……だが、逃がすな! そして、できるだけ殺すな! 生け捕りにするんだ!」

と部下の兵士たちに声を張り上げた。



 時はBC1086年。商滅亡の王であるちゅう王の治世となるまで、まだしばらくの時間が必要だ。

 強い風が、すべてをぎ払うように吹き抜けていく。空はどこまでも高かった――。


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