33 墓参り


 牧野での周と商の決戦は、俺が知っていたとおりわずか一日で終わった。帝辛は鹿台に自ら火をつけて亡くなった。

 しかしそれでもなお、復讐に燃えていた姫発様は、帝辛と妲己の遺体に追い討ちをかけるように矢を3本打ち込んだという。

 ……せめて、これで復讐も終わった。そう信じたいと思う。


 戦いが終わり、商の版図はんとはそのまま周の領土となった。しかし、てっきり商の都だった大商を、周の新しい都と定めるのかとも思ったが、どうもそうではないようだった。

 発様は、那咜なたを自らの義理の息子として名前を武廣ぶこうと改めさせ、そして大商に封国された。その理由は帝辛の一族の祭祀を引き継がせるためだった。この時代、祟りを怖れるためか、こうして必ず生き残りに祭祀を継承させていたのだ。

 発様は、武廣殿だけでは心配なので、3人の文官を三監さんかんとして補佐させる体制を作り上げた。

 こうして戦乱の時代は終わり、新たな周の時代がはじまった。



 武王元年BC1045

 戦いから子牙くんが帰ってきたところで、俺と春香は豊邑を去り、もとのヤオトンの家に戻ってきた。

 碧霞からは引き留められたが、俺たちの家はここだし、いつまでも近くにいてはいけないと思ったからだ。


 夏が過ぎ、朝夕が寒くなってきた頃、鷹の嵐鳳らんほうが碧霞の手紙竹簡を持って飛んできた。

 正体は神獣なのにすっかり伝書鳩ならぬ伝書鷹となっている嵐鳳だが、その手紙には家族を連れて墓参りに来ることが記されていた。


 あの子が墓参りをするのは随分と久し振りのことだ。きっとお墓に眠っている実の母親も、よろこぶことだろう。


 その手紙に書かれていたように、碧霞の一行が到着したのは、それから7日後のことだった。

 どうやらお伴の人たちもいるらしいが、さすがにこの家に入る人数には限りがある。はるばる来てくれて悪いが、お伴の人たちには外で野宿をしてもらうことになっている。

 嵐鳳は最初に顔を見せたけれど、すぐにどこかに飛んでいった。そこいらの森で好きなように過ごすのだろうから、放っておく。



「ここに来ると昔のことを思い出してしまいますね」


 そういう子牙くんもすでに55歳となり、髪には白いものが混じっている。ひげを伸ばすことにしたようだが、それもあって急に年を取ったように見える。

 碧霞はその隣で懐かしそうに家を見上げていた。

 丁と玉はヤオトン形式の家は初めて見るらしく、興味津々の様子でキョロキョロと周りを見回していた。


 まずはお墓に向かうことにして、俺は子牙くんと碧霞と並んで林の小径こみちを歩く。後ろからは春香が、丁と玉さんと一緒についてくる。

 高原の青空に白い雲が刷毛でなでつけられたように浮かんでいる。爽やかな森林の空気が俺たちを包み込んだ。


 ……うん。今日はいい墓参日和だ。


 はじめは少し興奮していたように、おしゃべりをしていた碧霞だったが、お墓が近づくにつれて黙り込んでしまった。いつの間にか、どこか感無量の表情で目もとを潤ませている。

 彼女がこの家を出てから、すでに22年。歩みを進めるその一歩ごとに、かつての思い出が蘇っているのだろう。


 後ろの春香も、さっきまで丁と玉さんと仲よく話をしていたが、今では碧霞と同じように黙り込んでしまっている。きっと春香も碧霞との日々を思い返しているんだと思う。


 子牙くんの隣を歩く碧霞。俺の脳裏にも幼い頃の姿が思い浮かぶ。

 小さな手をつないで歩いたこの小径。

 鳥や花を見つけると嬉しそうに指をさして教えてくれた。パーパ、マーマと呼ぶあの声が今も耳に蘇る――。


 やがて小径は開けた場所に出る。

 正面には一基のお墓。そして、その隣には大木になった柏の木が茶色くなった葉っぱを青空に広げ、俺たちを出迎えてくれた。

 枝葉の隙間からドングリに似た実がちらほらと顔をのぞかせている。


「さあ」と声を掛けて道を空ける。

 子牙くんと碧霞がお墓の前に進み出てしゃがみ込んだ。その後ろを丁と玉さんが続く。

 しばらくそのまま祈りを捧げる4人。俺は春香と並んでその様子を見守っていた。


 やがてお祈りを終えた碧霞が、その顔を上げてじっと墓石を見つめている。


「ニャン。私たちは斉の国に行くことになりました。ここからずっと東の国です。……もうここに来られないかもしれないけれど、遠くから遙拝します。だから、これからも私を、家族を、子どもたちを見守ってください」


 そうか。やはり史実と同じように斉の国に封じられたのか。

 ということは今回の墓参は封国に行く前の、おそらく最後のお墓参りのつもりなのだろう。

 お墓に語りかける碧霞の背中が、俺の目にはあの10歳の、はじめて実の母のことを知った頃の女の子の姿に重なって見える。


 不意に強い風が吹き柏の枝を揺らす。大振りな葉っぱが落ちてきて、碧霞の頭にぼそっと乗っかった。

 困ったように微笑んで、その葉っぱを取りしげしげと見つめている。なにか思うところがあったのだろう。大切そうにその葉っぱを持ったまま立ち上がった。


「もういいのかい?」

「うん。また帰る前に一度来ることにします」

「そうか……。じゃあ家に戻ろう」

 何か言いたげな丁と玉さんだったが、後でゆっくり話をしよう。俺たちが碧霞の実の母親と出会った時の事も――。


◇◇◇◇

 その日は家で一泊すると言うことで、子牙くんと碧霞、丁と玉さんをそれぞれ客室に案内した。すぐにキッチンに集まることになっている。


 一足先にキッチンに降りてきた俺は、窓際にあったテーブルを部屋の中央に寄せて人数分の椅子を用意する。

 その間に春香は火をおこしてお湯を沸かしてお茶の準備をし始めた

 特製の氷室神力駆動の冷蔵庫からお茶うけとして、この前採ってきたヤマブドウを取り出して、シンクでざっと水で洗う。お皿に載せてテーブルに出したとき、ちょうど4人がやってきた。


「どうだい? 久しぶりのこの家は」

と尋ねると、子牙くんが、

「懐かしいですなぁ。ここで暮らした日々を思い出しますよ」

と言うので、

「……内緒でお月見デートしてたことも?」

と茶化した。その途端、子牙くんと碧霞の2人が「ぶっ」と同時に吹き出した。


「やっぱりバレてたの?」

という碧霞に微笑んで、

「ははは。パーパには何でもお見通しだ」


 本当は後から知ったわけだが、そんなことを言う必要は無い。


 子牙くんが、

「さすがは師父……」

と言うも、どこか気まずげだ。

 その顔を見て、ふと疑念が頭をもたげる。


 ……まさか他にも隠していることがあるんじゃないだろうな。


 そうは思っても、結局、だから? っていう話だけどね。

「まあ、何だな。今さら気にすることじゃないだろう」

と言ってやると、碧霞が、

「ま、確かに今さらよね」

とあっけらかんと言い放った。


 俺たちの会話を聞いていた春香が、お茶の準備をしながらも、クククッと含み笑いをしている。


 一方で何のことか知りたそうにウズウズしているのは孫の丁と玉さんだ。

 特に丁は、自分の父と母のことなので、事細かに知りたいと顔に書いてあるようだ。

 俺は笑いながら2人に、

「今度、お父さんとお母さんから聞いてごらん」

と言うと、揃って「はい」と良い返事をする。


 うん。これで子牙くんと碧霞もデートの様子を隠すことなく話さねばならないだろう。

 照れながら丁たちに話す様子を想像すると、俺たちに内緒でデートしていた事に対する溜飲りゅういんも下がるってものだ。ははは。

 別にそこまで怒っていたわけじゃないけどね。これも一つの様式美ってことにしておこう。


 お茶が出されて、みんなでテーブルを囲む。

 こうして見ると、俺の隣には春香が。そして、その隣には子牙くんと碧霞。丁と玉さんと並び、娘夫妻と孫夫妻が勢揃いしている。

 俺と春香の家族。タイムリープ前には持てなかった家族。そう思うと、不思議な感動がある。


 子牙くんが、

「実は師父。先ほどのお墓参りでもうお分かりだと思いますが、この度、斉の国に封じられることになりました」

と言った。


 うん。知ってた。


 春香がしれっとして、

「それって凄いじゃない。……で、斉の国ってどこなの?」

と尋ねる。

 子牙くんはちょっと言いにくそうに、

「ずっと東の方。海に面した国です」

と答えた。


 俺は微笑んだ。

「海か……。海はいいぞ。広くて、魚も捕れるし塩も生産できる」

と丁を見ながら言うと、丁は俺に勉強を教わっていたときのことを思い出したようでほくそ笑んでいる。


「ただな。こことは空気も住んでいる人間の気性きしょうも違うだろう。遊牧民ではなく、漁民も多い。……子牙くん」

「はい」

「斉の国の領主となるわけだが、今までとは勝手が違うから苦労も多いと思う。けれど、そこに住んでいるのは俺たちと同じ人間だ。そのことを忘れないようにしなさい」

「はい。師父」

 頭を下げる子牙くんだが、もう彼のことについて俺が心配することは何もないだろうと思う。


 心配するとしたら、それは……。

 春香が、

「碧霞。あなたももう若くないんだし、気候も食べるものも違うところに行くのでしょ。……体には充分注意しなさい」

と言うと、碧霞はうなずいて、素直に「はい。マーマ」と言う。

 そう。心配するとしたら碧霞のことだ。


「丁も玉さんも、身体には十分注意して、それで元気な子供を――」

と言いかけたら、スパンッと春香が俺の頭を叩いた。

「こら夏樹! ダメよ。……2人とも、子供は自然に授かるものだからね。あせんなくてもいいのよ」

 頭を押さえながら苦笑いを浮かべ、

「そうそう。その通りだ」

と言うが、今さらだったようで、丁と玉さんは笑っている。


 碧霞が神妙な様子で、

「パーパとマーマも一緒に、どう?」

と言う。


 どう? か……。

 この申し出があるだろうとは思っていた。おそらくここに来たのはお墓参りと、俺たちにも一緒に来て欲しいと誘うためだったのだろう。


 じっと見つめる子牙くんたち。俺と春香は目を見合わせた。

 ……だが、もう俺たちの中で答えは出ている。


「悪いな。碧霞。俺たちは一緒には行けないよ」


 その答えを聞いた碧霞ががっくりした表情を浮かべる。丁があわてて、

「で、でも。こっちにはマーマ碧霞たちも、俺たちもいなくなる。お祖父ワイゴンちゃん。一緒に行った方がいいよ。ね?」

と言いすがる。

 しかし、俺は頭を横に振った。


 このことはもう春香とも相談済みのこと。けれど、その本当の理由はまだ俺の胸の中に秘めていた。


 俺たちは努めて明るい調子で、

「ま、ここにはお墓もあるしね。俺たちには住み慣れた山の暮らしが合ってるのさ」

「そうそう。またそのうち遊びに行くから、そしたら一緒に遊びましょうね」

と言うが、碧霞は泣き笑いのような顔になる。

 春香が立ち上がって、碧霞を後ろから抱きしめた。「いいこ、いいこ……」

 まるで小さな子にするようなあやし方を見て、みんながほほ笑ましく見ている。


 碧霞の気持ちはわかっている。

 ここと斉の国では、かなりの距離がある。遠く離れて暮らすことが嫌なんだろう。その気持ちは俺も同じだから、よくわかる。


 子牙くんがじっと俺を見つめていた。

「子牙くん。もう俺たちがいなくても、立派にやっていけるだろう。……碧霞を。丁と玉さんをよろしく頼むよ」

 そう言うと、子牙くんは居住まいを正して、

「はい。師父。ご安心下さい。……師父も春香様も、いつまでもお元気でお過ごし下さい」

 俺はただ黙ってうなずいた。


 しばらくして碧霞が落ちついてきた頃に、俺は手をパンと叩いた。

「さあさ、湿っぽいのは終わりにしよう。……今日は泊まっていくんだろ? 丁も玉さんも、この家は初めてだろうから、色々と案内しよう」


 すると碧霞は少し潤んだ目でこっちを見て、

「うん。そうだね」

と言いながら、ニッコリと笑った。



◇◇◇◇

 その日の夜。楽しかった夕食を終えて、男女別にお風呂に入る。湯上がりに、軽くお酒を飲み、丁の希望を聞いて、子牙くんと碧霞の思い出話を聞かせた。

 家族の温かみを感じながら、名残惜しいけれど「お休み」と挨拶をして、碧霞たちを客室に送る。。

 俺たちはキッチンの片付けを終えてから、寝室に向かった。


 寝室には大きな特製ベッドが鎮座していて、壁際にはもう一台の寝台、今はキャビネット代わりになっているが、その上に3体のお人形が並んでいる。

 この人形。実は幼い碧霞がおままごとに使っていた人形だ。春香手作りの木彫り人形で、大人の男女は俺と春香、女の子の人形が碧霞を模している。

 若い頃の姿の俺たちと幼い碧霞。今は遠くなった昔の俺たちの姿がそこにはある。


 なんとなくその碧霞の人形を手に取ってながめていると、

「ふぅ。今日は……、楽しかったわねぇ」

と、春香がしみじみとつぶやいた。

 手にした人形をキャビネットに戻して振り返る。窓際の椅子に腰掛けている春香のところへ向かって歩き出した時、急に部屋をノックする音が聞こえた。


 誰だろう? 何かあったのかな?


 そう思いつつドアを開くと、そこにいたのは碧霞だった。


「どうした?」

と尋ねると、ニッコリ笑って、

「あのさ。今日はこっちで寝させてよ」

と言って中に入ってきた。


 春香が面白そうに笑みを見せている。

「あらあら。今日は子供に戻っちゃったのかな?」

「えへへ。そうそう。ね。いいでしょ?」

「だってさ。夏樹もいいよね?」


 もう42歳になるってのに。この子はまったく……。

 そう思いつつも、知らず知らずのうちに俺の頬もゆるんでいた。

 碧霞がトコトコとキャビネット、かつての自分の寝台に駆け寄って、

「あっ! これ、懐かしい!」

と人形を見ている。


 俺と春香は見つめ合って苦笑した。

 ともあれ、キャビネットの上の物を一度、別の棚に移動し、布団や毛布を持って来て寝台を整えた。


 春香が、

「それにしても。パーパとマーマと同じ寝室だと、私たちの空気にあてられない? 大丈夫かな?」

と笑って言うので、

「俺たちはいまだにギュッと抱き合い寝てるからな」

と言った。

 碧霞はコケティッシュな仕草で舌を出し、

「うへっ。……胸やけがしそう。でも、それでこそパーパとマーマよね」


 俺は笑いながら、

「お前も、最近は冷えてきたから、布団をはねるなよ」

 布団をよく跳ねていたもんな。お前さんは。


 すると碧霞は「いーだ!」とお茶目に笑って、布団に潜り込んでいく。


 俺と春香もいつものように寝台に入り、二人して碧霞の方を向いた。

 見ると碧霞は掛け布団の上からちょこんと顔を出して、

「そうそう。この光景だよね。懐かしいなぁ」

と目を細めている。


 ……俺も同じ気持ちだ。そこの寝台に碧霞がいる。年を重ねてはいるけれど、3人で一緒にいるこの空気は、かつてと何にも変わらない。

 まるでこの時だけ、神力とか使わずに碧霞がいたあの頃に戻ったように錯覚を覚える。


 どちらからともなく「ふふふ」と笑いだし、すぐにその笑いが全員に伝染する。

 結局、この日は3人とも寝付けずに、ベッドで対面しながらいつ果てるともなく、とめどなくおしゃべりを続けた。


 ……そのせいで朝は揃って寝坊をして、玉さんに起こされてしまったが、とても幸せな夜だった。

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