24 豊邑へ

 渭水いすい沿いの街道を10台の馬車が東を目指している。

 俺たちもその中にいるが、目的地は豊邑。新たに都となる街で、現在は増強拡張工事が行われているという。


 さて姫昌様。いや、文王様逝去せいきょの後のことを少し話そう。


 姫昌様の跡を継いで周の君主となった姫発様は武王とは名乗らず、しばらくは「太子・発」を名乗ることにされ、一番最初に手がけたのは人事と遷都せんと計画だった。


 もちろん服喪ふくもの期間中ではあるので大々的な発表はないが、内々に豊邑を整備し、喪が明けると周の都をそこへ遷すという。


 文王様に軍師として仕えていた子牙くんは、丞相じょうしょうの地位に就き、宰相の周公旦様とともに周の内政をも担当するという。

 その関係で、豊邑の整備事業の指揮を子牙くんがすることとなり、一家総出で引っ越しをすることになったのだ。


 丞相の引っ越しとあっては警備の兵も必要となる。

 そこで、タイミングが良いからという理由で、黄飛虎殿の一族の一部も一緒に移動することになったというわけだ。


 先頭は飛虎殿の長男である黄天化殿の家族。そして俺たちを前後に挟んで、黄家の家臣団が続いている。


 ヤオトンの家から連れてきた俺と春香の馬も、今は子牙くんのところの馬と一緒になって荷車を引いている。その馭者台ぎょしゃだいには碧霞が手綱を握り、丁は荷台にいる。

 子牙くんは馬車の横で馬に乗っており、俺と碧霞は反対側をゆっくりと歩いていた。


 それなりの荷物を処分したので子牙くんの家は車1台で済んでいるが、他の家は2台、3台の馬車で荷物を運んでいるようだ。


 ちなみに俺と春香の荷物は最低限の衣類と調理道具、そして2人用のテントだけなのでもっと少ない。今は子牙くんの馬のお尻に載せてもらっている。

 もともと大事な荷物は、神通力の修行の際に身につけた亜空間収納に入れているので、さしたる問題もない。


 馭者台の碧霞が、

「ねえ。そろそろ交替しない?」

と言ってくる。


 さすがに丞相となった子牙くんを歩かせるわけにはいかない。碧霞も自分たちの荷物を運んでいるわけで、どうしても馬車の方になる。


 しかし、どうも俺と春香が徒歩なので、2人とも非常に居心地が悪いようだ。

 他にも歩きの人が多いからゆっくりしたスピードだし、こっちは旅慣れているから歩きで平気なのだけれど。やはり親を歩かせるのは気が引けるのだろうか。たいしたことないのに。


 それでもせっかくの気遣いだから、春香に交替してもらおう。


「丁ちゃんは寝ちゃったかな?」

「うん。退屈だったみたいだね」

「子どもってそんなものよ。それでね。親がひと休みしようって時に目が覚めるのよ。それから元気になって遊びはじめるもんだから、結局休めなくってさ」

「ふうん。そ、そうなのかな」

「あれれ。もしかして身に覚えがあるのかな~?」

「……もう! マーマったら!」


 馭者台に乗った春香に手綱たづなを渡して碧霞が降りてくる。俺の隣を歩きながら、ぐうっと伸びをした。

「ずっと同じ姿勢だったから肩こっちゃった。お尻も痛くなるし」

 そういって歩きながら肩をトントンと叩いている。

 まったく……、こういう仕草が春香と一緒だ。


「休憩になったら肩を揉んでやるから、歩くときはちゃんと足元を見なさい」

 でないと転んでしまうぞ。


「うん。……パーパとマーマはいつも元気だよね。病気にもなったことないし」

 俺たちは神様だからね。いかなる病原菌も、俺たちの身体をむしばむことはできないのさ。


「お前が小さい頃はよく熱出していたからなぁ。こっちが病気になる暇もなかったよ」

「あはは……」

「でもそれが親ってもんだろう。子どものことだったら辛いことでも辛くない。……お前もわかるだろ?」

「うん。丁が一才ぐらいのとき、急に熱を出してさ。泣き出したと思ったらぐったりして。夜中に起きて、ずっと様子見て。……今ならよく倒れなかったなって思う」


 初めての子どもだと色々と心配になるし、余計に大変だけど。それでも子どものための苦労は不思議と耐えられるんだよな。


 ふと気がつくと、馬に乗っていた子牙くんがこっちを見ている。

「夜中に泣き出して、抱き上げてもなかなか泣き止まないときは、どうしようかと思いましたねぇ」

と言う。


 夜泣きの時期はよくあることだ。

 少し外の空気に触れさせたり、わざと泣かせて疲れさせて眠らせるなんてこともしたなぁ。

 ダメなときは何をしてもダメだったけど。こればっかりは子育てをしてみないとわからない苦労だ。


 そう思いながら碧霞を見ると苦笑いを浮かべていた。

 俺は碧霞が幼い時のことを思い出すけれど、きっと丁も一緒だったのだろうね。


 そんなこんなでおしゃべりしながら進んでいると、前の方から連絡が来て、この先の岩場に広いスペースがあるからそこで休憩をするという。

 どうやら子育て談義は一旦おしまいのようだ。


 前の馬車から順番に広場に入っていき、きれいに整列して駐めていく。これから家長が集まり、少し打ち合わせをするらしい。


 休憩の間、丁が予想通りに起きてきて、他の家の子のところへ遊びに行った。

 思いのほか子供がいるようで、どこかの家の小さな子どもたちが、馬車と馬車の間で追いかけっこをしている。


 空を見ると太陽はやや西に傾いてきているので、もしかしたら今日はここで野宿になるかもしれない。

 遊んでいる子どもたちの姿を眺めつつ、春香と碧霞と3人で荷台に座って休んでいると、子牙くんが戻ってきた。

 どうやら案の定、今日はここで一泊をすることになったそうだ。


 となれば早速と、春香と一緒に馬にくくりつけてあったテントを降ろす。

 子牙くんたちは荷台を整理してそこで寝るようだ。

 春香との2人旅なら、今日みたいに天気のいい日はテントなど組み立てずに、毛布一枚で寝ることもある。けれど、さすがにそれでは子牙くんたちも心配するだろう。


 ポールを春香に支えてもらい、ロープを張って地面にペグを打ちつける。テントを張って、ロープの緩み具合を確認していると、丁が妙に焦った表情で走り帰ってきた。

 そのそばには同じくらいの年の男子3人と女子2人がいる。どこかの家の子どもたちなんだろう。


「パーパ! ここ危険だよ! 竜がいる!」

 荷台によじ登ってそう叫ぶ丁に、子牙くんが何のことだと言いたげな表情を浮かべた。


「竜? ……何を見たんだ?」

「あのね。大きな骨があったんだ。ここ、竜の住処なんだよ。だから危ないよ」

「竜の骨?」


 脇で聞いていた俺だが、それって……。

「丁。そこに案内してくれ」と話しかけると、

「わかってけど。そっとだよ。近くに生きてるのもいるかもしれないから」

「ああ。わかった。……春香も一緒に行こう」

「え? 祖母ちゃんも?」

と驚く丁に、春香は自分の弓を取り出して見せた。

「大丈夫よ。丁。私はこれがあるから」

と笑顔で答えた。


 丁の後ろを歩いて行くと、その周りを子どもたちが恐る恐るついてきた。どの子もすぐそこの茂みのどこかに猛獣がいるかのように、警戒しながら歩いている。


 歩き出してすぐに木々の間から、崖がせり出していて断層がむき出しになっているのが見えた。太古の地殻変動で隆起したのだろう。


 うん。発掘調査に行く時のように、少しテンションが上がってきた。実に興味深い。


 それにしても休憩の短い間に、子どもたちよ、いったいどこまで行ったのかと言いたくなる。

 ちょっと目を離した隙に、盗賊とかに遭遇しなくてよかったよ。


 丁はどうやら正面の断崖に向かっているようだ。


 後ろをついてくる春香が、

「ね、夏樹。何があるかわかるの?」

「ああ、大体わかってる」


 きっとアレだ。きっとね。

 丁が指をさした。声を潜めて、

「あそこだよ。気をつけて」


 その茂みの先に入ると、岩壁から崩れ落ちた岩盤が落ちていて、そこにはっきりと長い背骨と牙のついた頭部の化石が姿を見せていた。

「やっぱり。恐竜の化石だ」


 ついてきた春香が目を丸くして、

「へぇ。こんなところに。おもしろい!」

「さすがにこれだけだと何の化石はわからないけどね」


 のんきな俺と春香の会話を聞いていた丁が、

「お、お祖父ちゃん。なんでそんな平気なの?」

ときいてくる。

 そこへ子牙くんや他の大人たちもやってきた。


「丁。これはな化石といって、そうだな。少なくとも1万年以上昔のものだ。そのころ生きていたものはもういないよ」


 実際はもっと昔、人類登場以前のものだけどね。古生物学を学んでいれば、この化石も時代と生物名がわかったのだろうが……。さすがに何の骨かはわからない。


「本当? 大丈夫なの?」

「ああ。ここに竜はいないよ」

 もう滅んでいるからね。


 すると子どもたちは一様に安心したようで、「よかった~」と言い合っている。


 まじまじと化石を見ていた黄天化殿が、子牙くんに、

「丞相殿。あれは本当かな」と言っている。

「私も知らないことですが、師父の言うことです。きっとその通りなのでしょう」

「そうですか。いやぁ、竜の目撃情報など初めて聞いたので驚きましたが。ふむ……、これが竜骨という奴ですか」


 そういえば、昔の人はこの化石を削って薬にした人もいたような……。違うか?

 もっとも薬のような効果なんてないだろうけど。


「掘り出す?」

という春香に、

「いいや。このままにしておこう。いつか遠い未来に発掘され、きちんと管理してもらえることを祈っておこう」

「それもそうね。こんな移動中じゃ、無理か」


「春香は持って帰りたい? ほしいってんなら別だけど」

 するとプッと吹き出して、

「いらないいらない。こんなのあっても困る」

と笑い出した。「だよな~」


 男の子じゃあるまいし。欲しいなんてことは――、

「俺欲しい!」

 いたよ。ここに男の子が。丁がえいっとばかりに手を挙げている。


「……丁。こんなの家のどこに置くのよ」

 碧霞が呆れて言った。



 ――夜。

 テントの側で、たき火を前に、春香と2人で酒杯をかたむける。

 子牙くんたちの家族はもう荷台で寝ている。


 ほかの馬車の人たちも既にそれぞれの荷台で寝ているようだ。

 もちろんテントの人もいれば、地面にごろんと横になっている人もいる。警備の人以外でまだ起きている人も若干いるようだが、昼間の歩きの疲れでほとんどの人は寝ているようだ。



 高原の澄んだ空気に、頭上には星空が広がっていた。細い三日月ということもあり、星々がキラキラと輝いていて、今にも降ってきそうな錯覚を覚える。


「ふふっ。静かになったわね」

 春香がそう言った瞬間、どこかの馬車から大きないびきが聞こえてきた。


 顔を見合わせて、ぷっと吹き出す俺たち。

「こんな時代だけど、楽しいな」

「そうね。毎日色々あって」


 2人旅の時も嫌ではないが、こうして人々とがっつり関わり合うのも楽しい。特に、今は娘も孫もいるんだしね。


「豊邑かぁ。どんなところなのか。楽しみだね」

 そう言って微笑む春香に、俺も笑みを返した。


 こうしてキャンプ地の夜はけていくのだった。

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