挿話 三門峡の戦い


 太公望は、黄飛虎ら数人の将兵とともに変装をして戦場の視察に来ていた。


 山の林の中から、遠く三門峡の関を望む。

 関所は2年前からその姿を一変させ、要塞と化していた。


 2年前に侵攻した時は、周の国力を低く見積もらせるためにすぐに撤退したのだが、どうやら時間を与えたことが裏目に出てしまったようだ。

 しかし、あの時はまだ諸国との同盟関係もなかったのだから、どちらにしろ撤退することになったろう。


「手前に5つの砦。そして、防壁も高くなっている」

「堀も掘られていて進入路が制限されてしまう。……これは厄介な」

「ふむぅ。報告には聞いていたが、話に聞くと実際に見るとではまったく違うな」


 口々に意見を言い合う一行。太公望はそれらを聞きながら、周囲の地形、そして、関の前、砦の周囲に幾度も視線をめぐらしている。


 同盟諸国には甲子の日に牧野に結集せよと伝達している。

 約束の日に約束の場所にたどり着く。そのためには、ここで悠長に兵粮攻めをするわけにもいかない。

 この堅固な関所をいかにスムーズに突破するか。それが問題だった。



 ――一方、その頃、三門峡関の商軍陣営。

 会議室には、ここ三門峡関を守る大将コーセンとその副将張奎ちょうけいを中心に、5つの砦を守る蚯蚓きゅういんら5人の武将がいた。

 コーセンはやや浅黒い肌にひげをたくわえており、明らかに異国、それも西方の容貌ようぼうをしていた。それもそのはず、この男こそ帝辛が採用したアッシリア人である。

 背はそれほど高くないが、しなやかな体つきをしており、今は腕を組んでじっと目の前の地図を見ていた。三門峡関の要塞化は、このコーセンの指示だった。


 そして、その隣にいる張奎は黒い駿馬を持ち、さらにその妻高蘭英は女だてらに武に秀でた女商軍として有名な女傑である。


 議題はもちろん迫り来る周への対処だ。

 帳奎ちょうけいが馬鹿にしたように、

しょうこりもなく来たんですか。2年前、すぐに逃げ帰った奴らです。この要塞の威容を見てびびって逃げ出すんじゃないですか?」

と軽口を言うと、砦の一つを守る蚯蚓きゅういんが笑って、

「今度は逃がさず、力の差を見せてやりましょう」

と言う。

 しかし、大将コーセンは無言で地図を見つめていた。


 気まずい沈黙が漂った後、コーセンがぽつりと、

「……この時期に奴らが来たということは、2年前の撤退も奴らの戦略だったと見ておいた方がいい」


 それに反応したのは蚯蚓きゅういんである。

「コーセン様。それはどういうことですか?」

「今、帝辛様は精鋭軍を人方じんほう攻略に出発させたところだ。この時期に奴らがここに来たということは、その背後を突こうとしているのだろう。……向こうには軍師・太公望がいると聞く。2年前の戦いは参考にしない方がいい。奴らを甘く見ると足元をすくわれる可能性が高い」

 さとされた蚯蚓きゅういんであるが、その表情は不満げな色がありありとしている。

「過大に評価するのもよくないとは思いますが……、そうですか。わかりました」


 コーセンは他の武将を順番に見つめる。

「よいか。砦と砦との間に陣を敷く。砦と関と連携して奴らを引っかき回せ。迫り来る奴らは夏の火に入る羽虫と思え。接近次第、各砦から矢を振りかけろ」

「はっ」

「我らが商のさかいを犯す者は何人なりとも罪人である。ましてや相手は周だ。奴らの言葉に耳をかたむける必要もない。……ただし、追撃の必要も無い。深追いして策にめられることは避けろ。我らの役目はここを守ること。それを念頭に守り切れ」

「はっ」


 満足げにうなずいたコーセンは軍議を切り上げた。すぐに戦準備に出て行く武将たち。

 その背中を見送ることもなく、ただじっと地図を見る。

「さてこの要塞を相手にどう戦う。……太公望よ」


◇◇◇◇

 黄飛虎を先頭に周軍が三門峡関の前に広がる平野部に入っていく。

 対する商軍側は、すでに砦と砦の間を塞ぐように布陣を済ませていた。


 やがて正面にある中央の砦から、3人の武将が姿を現した。それに応じるように太公望が黄飛虎をお伴に前に進み出る。

 距離を開けて対面すると、商の武将が、

「貴様らはすでに商の領土を侵している。そこから先に進むならば容赦なく攻撃を加えると通告する」

と大きな声で警告した。


 すでに周の進軍状況も把握し、さらに自分たちは布陣まで済ませてからの通告。もちろん形だけのもの。会戦することはすでに双方が覚悟の上なのだ。


 前に進み出た太公望は、

「賢臣の諫言かんげんに耳を貸さずに処刑し、佞臣ねいしんを侍らす陛下にはすでにこの国を治める資格を失った。天命は赤き鳥によって周にもたらされた。……そなたらもこの関を開き、礼をもって向かえよ。ともに新たな国を作ろうではないか!」

と応えるが、先頭の武将が右手を挙げた。

「言い訳は無用。逆賊を討て!」


 途端に砦の防壁上から一斉に矢が放たれる。あわてて太公望をかばって前に出る黄飛虎将軍。槍を回して矢をたたき落としながら、自陣に下がっていった。

 すぐに太公望と黄飛虎を守ろうと歩兵部隊が前に走り出る。

「盾を構えろ!」

 黄飛虎の号令のもとあわてて防御態勢をとる歩兵たち。天に向けた盾に次々に矢が当たった。

 砦から200メートル。高低差もあるため、すでに射程距離に入っていたのだ。


 陣形をとれないままに、陣太鼓じんだいこが鳴りはじめたが、これも想定の内。2つの歩兵隊が、それぞれ向かって右側にある2つの砦に向かって行った。その後ろからは攻城兵器である移動式のやぐらく部隊がついていく。


 太公望の策はこうだ。すべての砦を落とす必要は無い。右側から3つの砦を制圧すれば、関にも部隊を派遣することができる。故にまずは向かって右側3つの砦を落とせと。

 さらに同時に砦と砦の間に布陣している軍隊をも同時に攻める。同時攻略は無謀な消耗戦のようだが、混戦となれば同士討ちを避けるために砦からの弓射攻撃はなくなる。だから、どうしても両面作戦を採らざるを得ない。


 今向かって行った部隊には、黄飛虎の息子・黄天禄こうてんろく黄天祥こうてんしょう、そして、金吒きんたの3人がいる。彼らは経験こそまだまだ足りなく未熟だが、一対一ではすでに黄飛虎に比肩しうるほどに成長していた。


 黄飛虎は、長男黄天化こうてんかとともに中央の砦攻めを担当している。とはいっても、両サイドに陣を張っている敵部隊をも相手にせねばならず。苦戦が予想されていた。

「戦車隊は左右に分かれ下の敵陣に矢を降らせよ。必ず移動しながら、矢が尽きるまで攻撃せよ!」

 その指示のもと、後ろから戦車隊が歩兵たちを追い抜き、敵の地上部隊に向かって突進していく。砦の上からの矢は、戦車を操縦している兵が大楯を構えて防ぐ。もう一人の同乗の兵はひたすら矢を射かける役割だ。


「攻城やぐらを前に!」

 黄飛虎の指示で、後方の移動櫓が前に出てくる。長梯子ながばしごを持った兵が併走している。ともかく、砦防壁上に登り中から扉を開けさせる。そうすれば、こちらの勝ちだ。

 損害がどの程度出るのか。もはや今までの鍛錬を信じ、ひたすら攻撃するしかない。

「ゆくぞみな! 天命のもとに、我らが子らのために!」

「おおおお!」


 こうして黄飛虎たちの猛攻がはじまった。

 砦からは雨のように矢が放たれ、射られた兵が次々に倒れるが、それを乗り越えて防壁に梯子はしごを立てていく。登っていく兵士に矢が放たれ、石つぶてが投げられ、焼いた油が掛けられる。

 何人も梯子から落ちていくが、諦めずに梯子にとりつき、登っていく兵たち。

 その姿を背に、黄飛虎は脇に陣を張っている敵陣に突撃をかけていた。



 太公望は後陣の移動やぐらから戦場を見ている。

 なにもいきなり砦も関も落とせるとは思ってはいない。今のところ予想通りの展開だが、できるだけ最初の一戦で敵の情報をできるだけ引き出さなければならない。

 ささいな情報も見逃さないように、5つの砦、そして、その後方にそびえて見える要塞となった関を注視している。


 最初に崩れたのは自軍の右翼だった。

「なっ!」

 黄天禄、黄天祥、金吒の3人の武将の指示で、予定通り攻城櫓を移動させていたが、突然、右から2つめの砦の扉が開き、騎兵隊が飛び出してきたのだ。

 これ幸いとばかりにその騎兵に向かって突撃していった3人の武将とその率いる兵たちだったが、接敵した瞬間に投網とあみのようなものを投げられ3人の武将は馬から転げ落ちた。たちまちに捉えられ、そのまま砦の中に連れ込まれていく。


 あっという間の出来事。

「いかん! あの砦に兵を集中させよ! 黄飛虎殿を転戦させよ! 早くあの3人を救出せねばならぬ」

 すぐさま伝令が控えていた後陣の部隊に走り、増援が組まれて前進していった。中央にも増援が行き、入れ違いになるように黄飛虎の一隊が右に移動する。


 ……しかし、すでに夕方となり、継戦することが厳しくなってきている。

「早く! 早く!」

 焦る太公望だったが、攻略目標の砦に異変が起きたのはその時だった。


 防壁上に、捕らえられた3人の武将がはりつけにされ、戦っている兵たちにも見えるように立てられた。

 その脇には長身で細身の敵将がいる。太公望たちは知らなかったが、この武将はコーセンに軽口を叩いていた蚯蚓きゆういんだった。



「ふははは! 陛下に逆らう愚かな者どもよ。貴様らの仲間はほれ、この通りだ!」


 それを見上げる黄飛虎と那吒なたが、悔しそうに見上げている。


「前に俺様の頬に傷をつけた礼をしてやる。……おい! そいつをやれ!」


 蚯蚓が指をさしたのは中央の黄天祥だった。27歳の青年は3人の中で一番若い。しかし、すでに覚悟を決めていた黄天祥は父を見下ろすと静かに微笑んだ。


 2人の敵兵が、左右から天祥を槍で突き刺す。ズサッという音とともに、うっという表情になり、血が吹き出て左右の黄天録と金吒に降りかかった。がくっと糸の切れた人形のように頭がうなだれる。


「ははははは! どうだ黄飛虎! これが陛下に反逆した結果だ! 息子は貴様が殺したのだ!」


 高笑いをする蚯蚓の声に、手綱を握る飛虎の手が白くなる。ぎりっと噛んだ唇から血が流れる。


「いいぞ。その顔だ。これで少しは溜飲りゅういんも下がるってもんだ。ははは」


 それに我慢ができなくなったのが那吒である。20代半ばの若い那吒にとって、兄の金吒がはりつけになっていることにくわえ、同年代の天祥が目の前で殺されてしまったのだ。焦りと怒りが混ぜ合わさり、爛々らんらんとした目で蚯蚓をにらみつけた。


「貴様! 自分が何をしているのかわかっているのか!」

「なんだ小僧! 貴様ら逆賊めらに批難する資格などない。正義の鉄槌てっついを見ろ!」

 蚯蚓が手を振り下ろすと、次は黄天録の身に槍が突き刺さった。


「くっ」


 悔しげな那吒に、最後の一人となった金吒は、

「那吒よ! 俺はここまでだ。商の民を頼む。我が弟よ! 民草を導くのはお前だ!」

と叫んだ。

「あ、兄じゃぁ!」

 しかし、無情にも蚯蚓の手が振り下ろされた。


 槍で身体を貫かれた金吒の口から血が吹き出る。かすかにその唇から「頼んだぞ」とつぶやきが漏れたが、もはやその声は誰にも届かなかった。



 周の本陣では、姫発きはつが3人の処刑を聞き顔をゆがめている。わななく唇から怨嗟えんさの声が漏れた。

「おのれ……。おのれ、おのれおのれ。おのれぇ!」


 人望のある黄家の2人、さらにお調子者であるが故に人気のあった兄弟のかたわれ。3人の無残な処刑に、周の将兵は誰もが激しい怒りに、激情に燃えている。


 姫発が叫んだ。

「全軍! あの砦に突撃しろ! 仇を討て! 敵を一人残らず殲滅せんめつせよ!」


 突撃命令だ。無策での突撃だから被害は大きいだろう。だがしかし、誰もがそんなことは気にはしなかった。

 胸に煮えている怒りの衝動を爆発させるかの如く、全軍が蚯蚓の砦に突撃していった。


 梯子を掛け、上から振り落ちる矢や石を浴びようとも、突撃を止めない。やがて、その激情のうねりは熱気となって天に昇り、激しい雨が降り出した。

 叩きつけるような雨。ぬかるんだ地面。しかし、泥だらけになりながらも突撃し続ける周軍。


 やがて、1人、2人と梯子を登りきった兵士が、敵兵を防壁から突き落とす。後続の兵が怒濤どとうの勢いで砦に侵入していった――。


 周軍の突撃を見た三門峡関のコーセンが焦りを含んだ声で、

「急いで救援を送れ!」

と配下の張奎ちょうけいに命じた。

 すぐに張奎は階段を降りていく。怒号が飛び交った後で、関の扉が開いて戦車隊が飛び出していった。



 太公望は己の無力さに拳を握りしめ、姫発の命令のままに他の戦況を省みることなく突撃していく周軍の様子を見ていた。

 まずい。

 他の砦や三門峡関から増援が来たら、背後から食い散らかされてしまうだろう。


 案の定、三門峡関から戦車隊が突撃してくるのが見えた。

「くっ! 撤退戦に移る。銅鑼どらを鳴らせ!」


 激しくなる雨のなかの撤退戦。幸いだったのは敵の戦車はぬかるみに弱く。追撃がなかったことであった。



◇◇◇◇

 重い空気に包まれた軍議の場になると思われたが、黄飛虎が、

「私は息子を誇りに思う。最後まで立派に戦って死んだのだ。戦いは明日も、おそらく明後日も、あの関を陥落せしめるまで続くだろう。諸君にもあの3人に恥じぬ戦いをしてもらいたい」

と言う。


 実はさらに黄天化も突撃の最中に命を落としていた。


 すると那吒もうなずいて、

「ああ俺もだ。兄じゃの仇は討ったが戦いは終わりじゃない。俺は兄じゃに託されたんだ。その遺志を継ぐためにはあの関を突破しなきゃならない。……丞相じようしよう殿。よろしく頼みたてまつる」


 太公望は軍議に来る途中、その両肩に掛かっている多くの兵の命の重さに、内心で潰されそうな思いをしていた。見知った3人が死んだ。他にも多くの兵が戦死していた。そして、重傷の兵も……。

 しかし、今、2人の言葉を受けて、その両肩の重圧がすうっと消えたような気がした。

 責任を感じるのはまだ先で良い。まずはここを落とすための策を考える。そして打ち破ってこそ、戦死した人々も納得してくれるだろう。


 地図を改めてにらむ。

 基本的な戦略には変更がない。砦を一つ落としたとはいえ、一番右側の砦がまだ生きているため、奥にそびえる関を直接攻撃するには危険が大きい。

 他の砦や関からの増援を牽制けんせいしつつ、右側の砦を落とすのを優先する。しかし、これは敵も想定しているはずだ。その裏を突くにはどうするか……。


「まずはここの砦を落とす。作戦は――」

と地図を指さしながら話しかけたときだった。


「敵襲!」

 叫び声とともに、カンカンと鐘が鳴らされはじめた。すぐさま立ち上がった武将たちに、太公望も一緒に天幕を出る。


 激しい雨で視界がきかない。火矢は使われていないようで、それがかえってどこから攻撃を加えられているのかをわかりにくくしていた。


「丞相、私たちが行きます」と言って、黄飛虎が雨の中を走って行った。経験だろうか。すぐに襲撃の場所を特定したのだろう。

 他の所も警備を強化し防衛体制を整えるようにと近くの兵士に命令をしたとき、太公望は首筋にチクリと何かが刺さった感覚がした。


「む?」

 首筋に手をやると、そこには細い何かが1本突き刺さっている。そっと抜いて見るとそれは針だった。

 脇でそれを見ていた那吒がばっと身をひるがえし、

「敵襲だ。丞相を中へ! 急げ!」

と叫んで、自らは近くの天幕へと駆け寄っていった。その影から3人の黒づくめの男が転がり出てくる。


 急にがくんと力が抜けたように太公望が崩れ落ちた。地面に投げ出された彼の身体を、雨が打ち付けている。駆けつけた兵士たちが集まってくる。

 しかし、そのまま太公望は意識を失っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る