36 エピローグ 西風の渡るところ

 朝が来た。


 鳥の声に目を開くと、孤児院の天井が見える。

 そばにはいつもながらの春香の寝顔があった。隣の寝台には碧霞が眠っている。


 昨夜はあれから3人で話をしているうちに先に碧霞が眠りこけてしまい、俺が寝台に運んでいた。きっと一生懸命に、この一時を忘れないようにとおしゃべりをしていたのだろう。

 すやすやと眠る碧霞を眺めると、愛しさとともに、やはり寂しさが募って、しばらく彼女を寝顔を眺めていた。


 2人を起こさないように、そっと起き上がり部屋の外に出る。ちょうど大人たちが朝食の準備を終える頃だった。

 食堂に子どもたちが勢揃いしている。配膳当番なのかな。5人の子どもたちが、野菜やお米、スープの入った器を配っていた。


 すぐに2人を起こしに戻るが、昨夜遅かったためになかなか目を覚ましてくれない。

 申しわけないから、2人の分だけ取り置いてもらって先に食事をすることにした。

 カチャカチャと音を鳴らしながら、みんなと同じ朝食を取る。漬物にした野菜に蒸したお米。そして、出汁のきいていないスープ。味はあんまりだけれど、ここではこれが普通なのだろう。


 まだ寝ている2人を放って置いて、子どもたちと一緒に畑に出る。

 大きな子供たちの指示に従って、小さな子たちも雑草を抜いたりして働いている。その姿を横目に、俺は畑の外側の柵を点検して回った。たまに猪や鹿が来ているらしく、柵の木にかじりついた跡が残っている。

 けれどまあ、この頑丈さなら、まだしばらくはこのままで大丈夫だろう。


 作業を終えて建物に戻ると、ちょうど春香と碧霞が目を覚ましてご飯を食べていたときだった。

「もう~。なんで起こしてくれないのかな」

と怒っている春香に、笑いながら、

「2人とも起こしたけど、起きなかったんだよ」

と弁明しておいた。


 碧霞を見ると、どこか遠くを見るような目で俺を見ている。その頭にぽんと手を乗せて、ぐりぐりとつむじを撫でた。


 ご飯を食べ終えて食器を片づけると、もうやることがなくなり、自然と足がロバ車に向かってしまう。

 出発の準備をノロノロとしているその脇で、碧霞が突っ立っていた。


「ん~。やっぱり出発は明日にしない?」

 そういう碧霞に、

「ははは。まあ……なあ」と歯切れ悪く、なんとなく返事をする。


 別れの時なんて永遠に来なければいいのに。


 俺もそう思うけれど、それはできない。

 やがて、とうとう出発の準備が終わってしまった。


 その頃には俺と春香が帰るということで、子どもたちも見送りにやって来た。

 たくさんのつぶらな瞳に見つめられ、自然と口元がほころぶ。


「碧霞」

と名前を呼ぶと、碧霞がビクッと震えてこっちを見る。寂しそうな目で胸もとを手で押さえている。


 いよいよお別れの時が来た。それがお互いにわかっている。


「元気で、な。……いつまでも愛してる」

 そう言って正面から碧霞をぎゅっと抱きしめた。耳元で「ずっと愛してる」と言うと、「うん」と小さな声が聞こえる。

 つづいて春香が、碧霞を抱きしめる。「ああ……。愛してるわ」


 2人がハグしている間に、俺は馭者台ぎょしゃだいにのぼった。視界がにじんでくる。目をギュッとつぶって泣きそうになるのをこらえる。唇に力がこもって「へ」の字になってしまうが、嗚咽おえつが漏れないように我慢するので精一杯だった。


 目を開いて孤児院の方を見ると、すでに碧霞は涙を流していた。


「それじゃあ、みんな。ニャンの言うことをちゃんと聞くんだぞ」

 子どもたちに言うと、元気に「はい!」と返事をしてくれた。

 最後にひと目。碧霞の姿を見る。目が合うと碧霞は泣きながらも、うなずき返してくれる。


 ダメだ。どれだけ我慢しようとしても、涙がこぼれる。

 声を振り絞るように、

「よお~し。それじゃあ、最後に仙術を一つ見せてあげよう!」

と言うが、震えた声になってしまった。


 みんなの視線が自然と俺に集中する。春香の方を見ると、春香も泣き笑いの表情を浮かべながら、うなずいてくれた。


 この年老いた姿から、元の姿に。まだ若い姿へと神力をみなぎらせて変えていく。

 視界の中で、光の欠片がキラキラと立ちのぼる。肌に艶が戻り、肉が付いていく。


 俺たちは戻る。彼女が幼子だったころの姿に。あの人形の姿に。


 碧霞が驚いた表情でじっと見ている。その口が震えながら動き、何事かをつぶやいていた。



「さらばだ。碧霞。いつまでも、いつまでも幸せでいてくれ」

 そういってロバ車をスタートさせる。

 春香が後ろを向いて、一生懸命に手を振りはじめる。


「碧霞。元気でね! 大好きよ! ずっとずっと。大好きよ! 愛してる!」


 後ろから「パーパ! マーマ!」と碧霞の声が何度も何度も聞こえてくる。その声に見送られながら、俺たちは林道を進んでいく。


 さようなら。碧霞。

 お前の幸せを、ずっと、ずっと祈っている。

 遥かな道の先で、いつまでもずっと。


 涙で濡れた頬を、風が通り抜けていった。見上げると、風に流された雲がゆっくりと空を移動していた。


 西から吹く風。黄土高原から悠久の大地を旅してきたあの風は、東のここ、斉の国にやってくるのだ。


 人は親から子へ、子から孫へと血を受け継いでいく。

 俺たちの娘も、夫と、孫と、この地でその絆を連綿と紡いでいくのだ。


 永劫の旅の途中でできた俺たちの家族。同じ時を歩むことができないからこそ、尚のこと、その幸せを祈り続けたい。


 どこからともなくパンパイプの音が聞こえるような気がした。幻聴だろうか。遊牧民の奏でるような、素朴でもの悲しく、そして、風のような音が。


 俺たちの旅は続く。遙か遠くまで、人々の営みを見つめながら。

 けれど俺は一人じゃない。隣には春香がいてくれる。

 泣きながら俺に寄りかかる春香。そのぬくもりを感じながら、俺は道の先を見据えた。


 ロバ車は俺たちを乗せて、ゆっくりと道を進んでいく。この道の先に向かって。シルクロードの先、西域に向かって――。





――――――――

長い長い物語が一つ結末を迎えました。

ここまで読んで下さった方に、心から感謝申し上げます。


また途中で、新エピソードの追加挿入や、大幅な書き換えをしてしまい、混乱させてしまったことと思います。申しわけありません。


夏樹と春香、そして、2人の娘である碧霞の物語を書き終え、今、万感の思いに浸っています。この章のテーマは「親子の絆」でした。


幼なじみカップルの永遠の旅。最初は現代恋愛ジャンルで終えるつもりが、タイムトラベルファンタジーになり、やがて第二の現代へとたどり着くことでしょう。


ここまでお読みいただいた方々。ありがとうございました。次の作品でまたお会いしましょう。


2018年1月29日  夜野うさぎ


――――――

※主人公が脇役&戦記物を書くのに少し疲れたので、次は古代メソポタミアを舞台に、2人が主人公当事者の日常を書けたらと思います。もしかしたら博物館とか図書館とかからめるかも。


※以下は本編で描けなかったことを少し。

碧霞は、後の時代に万能の利益をもたらす天女、碧霞元君として信仰されます。

いつか夏樹と春香は、彼女の子孫と出会うことでしょう。ただし碧霞が太公望の妻であったという史実はありません。


夏樹と春香が旅に出たこの年。以下は概ね史実。

武王・姫発が逝去し、誦が次の周の王・成王となります。

すると、商の武廣(那吒)が三監を殺して反乱を起こし、周公旦に討伐され、商の祭祀は微子啓が引き継ぎます。

成王は、子牙くん(太公望)に華北平原の諸侯が反乱を起こした際に、討伐することを命じます。

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黄土に吹く風は天命を告げる ―君と歩く永遠の旅 第3章― 夜野うさぎ @usagi-yoruno

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