とうとう物語は真珠湾攻撃まで来ました。
このエピソードで承の章は終わりとなります。
また一部、入営と出征とごっちゃになっていたので文章を直したのですが、訂正文を挿入した後に前の文章を消すのを忘れていました。
今は直してあります。
1.ラスコーのランプ
昨年、国立科学博物館で行われたラスコー展に行きましたので、その時の経験からの記述です。
2.臨時ニュース
NHKの戦争証言アーカイブスにこの時の音源が公開されています。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001400316_00000
東条首相の「大詔を拝し奉りて」も同じアーカイブスから。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001400317_00000
3.戦陣訓ほか
戦陣訓は次の章で出てくる予定ですので、ここでは省略します。
小学校は国民学校に替わり、児童は少国民と呼ばれるようになりました。
ゾルゲ事件は映画になりましたね。
空襲時の道具の用意をしていますが、この年(昭和16年)の9月に情報局編輯『週報』第256号として『家庭防空の手引 我等は総て国土防衛の戦士』(5銭)が出ました。
また月は未確認ですが『時局防空必携』がこの年に発行されました。
つづいて11月に『防空法』が改正されていますが、空襲は怖くない。逃げずに火を消せという内容だったようです。(内容未確認)
退去禁止、消火義務です。
「「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制
大前治 / 弁護士」(SYNODOSより)
https://synodos.jp/politics/13238
防空壕ではなく待避所。しかもこの頃は必ず掘るようには推進されていません。
もっと後になってからのことです。
4.那須野の土地買収
昭和13年に用地買収が終わり、17年に熊谷陸軍飛行学校那須野分教所として開校し、18年に宇都宮陸軍飛行学校那須野教育隊となります。
年表
http://www.warbirds.jp/airport/tochigi/nasu.html
今は石碑が残されているようです。(googleマップ)
https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%82%A3%E9%A0%88%E9%87%8E%E9%99%B8%E8%BB%8D%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4%E8%B7%A1%EF%BC%88%E7%9F%B3%E7%A2%91%EF%BC%89/@36.9613624,140.0219372,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xfe683f57b572e1f2!8m2!3d36.9613624!4d140.0219372
5.弓6823部隊
歩兵第214連隊です。通称は弓兵団。後に主人公とも絡んできます。
6.アメリカとの交渉
次のサイトが日米双方の資料を載せてあり綺麗にまとまっています。
公文書に見る日米交渉 ~開戦への経緯~
https://www.jacar.go.jp/nichibei/detail/index.html
7.開戦の詔
次をご覧下さい。
youtubeです。
https://www.youtube.com/watch?v=Zc0pkJ1rwng