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59「戦死の公報とどく」以降補足


・英霊の伝達について、執筆の際にネットで調べましたが、どうも戦争の時期および自治体によって、異なりがあるように思われます。
 役場で事務的に渡されたという人もいれば、合同慰霊祭をやって、その際に渡されたという村もあるようです。


・シラミ取りは、学童疎開の思い出に必ずと言って出てきますが、どう退治したかまで書いてある体験談には巡り会えませんでした。
 なので、ここのエピソードは想像となります。


・英霊の伝達後の香織ちゃんの様子については、「一枚のハガキ」を参考にしています。



・沖縄戦や広島・長崎の原爆については、舞台が離れていることもあり、書けませんでした。


・61「畑泥棒」は、単に『火垂るの墓』の兄妹に救いを与えたくて書いたエピソードです。


・62では東京大空襲の様子が出てきます。これは暮しの手帖編『戦争中の暮しの記録』を参考にしました。なお最近、『戦中・戦後の暮しの記録』が出版されましたので、ご紹介しておきます。

特設サイト
「君、忘れてはいけない。
きのう、戦争があったのだ。昔むかしの物語ではない。」
https://www.kurashi-no-techo.co.jp/70th



・63「空襲に遭う」の頃になりますと、無差別爆撃、銃撃を受けるようになります。
8月になると無防備な列車が次々に標的になりました。
7月28日 大山口列車空襲
8月5日 湯の花トンネル列車銃撃
8月8日 筑紫駅列車空襲
8月14日 美濃太田駅列車空襲


・64「8月15日」ですが、この日を当時の人々がどのように感じたのだろうと思い、いくつかの書籍に当たりました。
あっさりとようやく終わったという人。
呆然とする人。
怒りに震える人。

おそらく、その人その人の年代や境遇によって様々だったのでしょう。

・また終戦勅語のゆっくりになったとか、ちょっと詰まったというのは、昭和館で終戦勅語を音声で聞いたときに、私自身が感じたことを書き込みました。


・終戦になってもしばらくは学童は帰られませんでした。
また進駐軍が地方にもやってきて、温泉が学童の疎開先になっていても、追い出されたそうです。
学童とともに若い女性も避難させたところも。
最終話に書きましたが、東京ではパンパンもいれば、レイプされた女性も。


・66話以降は、香織ちゃんのところへ戦死の報告に行く関係上、視点を夏樹にしてありますが、そのうち春香視点で書き直すかもしれません。


・またビルマからの帰還は、本文中にも書いたように遅れて、昭和22年の6月となっています。
増田弘「日本降伏後における南方軍の復員過程―1945年~1948年」
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005556880
※機関リポジトリからどうぞ。


・エピローグについて、参考にしたのは次の書籍です。
石井光太「浮浪児1945 戦争が生んだ子供たち」(新潮文庫)

※石綿さたよさんのエピソード、および美津子さんのエピソードはここからです。なお娘の裕さんのインタビューが『致知』2017年3月号特集「艱難汝を玉にす」で「孤児たちの幸せのために生きる」と題して掲載されています。会員制雑誌ですので入手しにくいと思いますが、紹介しておきます。
https://www.chichi.co.jp/web/%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%AD%A4%E5%85%90%E3%82%92%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%81%9F%E4%B8%BB%E5%A9%A6%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E/


またNHKスペシャル「駅の子の闘い 語り始めた戦争孤児」も参考にしました。



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現在、異世界ファンタジー(転移も転生もしない)もののプロットを作成中です。

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