36「理不尽な命令」~補足
○最初に書いておきますが、戦死者や傷病者数は、『宇都宮輜重史』等を参考にしていますので、そういう資料上の数字として正確であるとお考え下さい。
36「理不尽な命令」
○3299高地の車両整備については、『宇都宮輜重史』に記述があります。
ブルトーザーもあったらしいのですが、操作を知らない者が多く、松木連隊長が操縦方法を教えたそうです。
○なお、牟田口さんは弓師団が統制前進をして進軍を甚だしく遅らせたと批判していますが、大きな戦闘が終わった後は、その戦場整理と体制を整えるのに2、3日はかかります。
実際は本作にあるように、笹原連隊が進軍を開始していますので、統制前進との批判は当てはまりません。
○ビルマの蝉について
ヌーイー、シャーイーと鳴くそうです。
コヒマの方だと思いますが、カチン族の伝承には、これは母子だそうです。
イラワジ川を食料を求めてさかのぼっていった母子が、マリ川とンマイ川の合流地点にさしかかり、その先での再会を願いながら、それぞれ分かれて進んでいったそうです。
ところがどこまで進んでも川は合流せず、互いに「母よ(ヌーイー)」「子よ(シャーイー)」と呼び合いながら蝉になったとか。
「ジンポー語民話資料「蝉の鳴き声の由来」 総合地球環境学研究所」
https://chikyu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=961&file_id=22&file_no=1※PDF直リンです。
37「インパール遥かに」
○戦況については、高木俊朗『インパール』『実戦インパール作戦』『戦史叢書 インパール作戦』によっています。
○森の高地
1日違いで、あっという間に陣地を形成されてしまっています。
同様の事は他の戦場でもあったらしく、英印軍はかつての英印軍ではなく、十二分に日本軍の戦術を研究して対策済みだったのです。
○天国と地獄
従軍記者であった火野葦平さんの日記が刊行されています。
その火野さんと一緒に行動をともにしたのが、画家の向井潤吉さんでした。
農村の民家の絵で有名な方ですが、この従軍の際にインド兵やチャンドラボースの似顔絵なども描いています。
ここでのイメージは向井純吉さんのインパール平原を描いた絵からイメージしています。
○ヌンガンへの補給
ここはストーリー上の創作になります。
『宇都宮輜重史』に第一線への補給任務に従事したとあるので、補給自体は行われたでしょうが、どのルートかまでは不明です。
38「雨季の到来」
○リンシェンとノムネー
この話は次の書籍に出ています。
丸山静雄『インド国民軍―もう一つの太平洋戦争』
○アメーバ赤痢と炭
いくつかの戦記に書かれていますが、実際に炭を食べて凌いでいたようですね。
39「泥濘の補給路」
○傷病者の惨状や泥道の描写は次の書籍を参考にしました。
火野葦平『インパール作戦従軍記 葦平「従軍手帳」全文翻刻』
○キニーネ、バグノンなど
このあたりの医療描写は次の書籍を参考にしました。
町田保『横観戦記―一軍医による南方見聞録』
○マイル表示については、前述火野葦平さんの従軍手帳によります。
○3299高地での3人の兵士と青砥大尉とのエピソード
これもまた火野葦平従軍手帳からです。
40「輜重兵トルブンに突撃」
○全般として創作ですが、5月17日に輜重兵中村隊と高田隊が強行補給しようとしたのは事実です。
資料としたのは『宇都宮輜重史』です。
またトルブン戦については、高木俊朗『全滅』が詳しいです。かなり悲惨ですが。
41「ビジェンプール」
○歌のシーンは高木俊朗『インパール』、『実戦インパール作戦』によります。
○長中尉の心の中の妻
高木俊朗『インパール』によります。
○突撃シーンは、高木俊朗『インパール』とは描写が違いますが、本作で参考にしたのは『実戦 インパール作戦/作間連隊の死闘』に収録された、生き残った人(重傷で捕虜になった)の証言をもとにしました。
42「それぞれの夜、それぞれの朝」
○遺書
どなたのとは書きませんが、『英霊の言の葉』に収録の遺書を参考にしました。
○田中新師団長のヒゲ
火野葦平さんの従軍手帳によれば、33年ものだそうです。
○トルブン戦の経緯
高木俊朗『全滅』によります。
○野草の食べ方等
齋藤美奈子『戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る』によります。
43「撤退戦」
○このあたり、多少情報が錯綜していて、資料によって日にちがズレていたりします。
参考にしたのは、『実戦インパール作戦/作間連隊の死闘』です。
○意識混濁している作間連隊長
高木俊朗『インパール』によりました。
44「野戦病院」
○全般的に創作です。
○トンザンの笹原大隊
トンザンを死守せよ。連隊長はそこで死すべしと師団命令を受けていたようです。
そして、9月19日のこの運命の日、笹原連隊長が戦死しました。
後方に野戦病院があったのは『実戦インパール作戦/笹原連隊の死闘』の地図に記されており、そこからの創作になります。
45「雨と泥にまみれて」
○全般に創作ですが、ここのエピソードは戦記に記されているものを参考にしています。
小田敦巳『ビルマ最前線』
望月耕一『瞼のインパール』など
46「密林をさすらう」
○全般に創作です。
○崖に落ちた事により、東方に進み、二人はカボウ谷地のヤザギョウへとショートカットします。
○小田敦巳『ビルマ最前線』によれば、虎に殺された日本兵もいたようです。
また仙台の勇(いさむ)師団の輜重兵の記録『不屈の輸送』には虎退治のエピソードが書かれています。
○チン族の信仰するナッツは、火野葦平の従軍手帳によれば、本作のように兄妹の姿だそうです。
47「カレミョウ」
○全般に創作ですが、傷病者の描写は火野葦平の従軍手帳を参考にしています。
○盗みは、カレミョウの事ではないですが小田敦実『ビルマ最前線』に出ており、また牛の肉(=死亡した兵士の肉)は高木『インパール』を初めとする戦記に記されています。
○陣中新聞は高木『インパール』によりました。
48「白骨街道」
○最初は白骨街道とは具体的にどこなんだろうと思いましたが、どうやらインパール作戦での撤退路全般を指すものと理解した方がよさそうです。
おそらく従軍した人、それぞれの白骨街道があると思います。
○ここでは『実戦インパール作戦/作間連隊の死闘』に基づき、カレミョウ―カレワ間としています。
またミトハ川は、googleアースで確認した川です。てっきり道路が通っていると思っていたんですが、それなりに大きな川のようで、川の北岸、南岸のどちらに道路があったのかわかっていません。