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23「昭和17年8月 崩れる日常」補足

1.冒頭句

 ダンテ・アリギエリの『あはれ今』の詩句は、上田敏さんの訳で青空文庫から引用しました。

 青空文庫「あはれ今」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000961/files/55224_49101.html

 初めは東洋風に仏教関係の資料から適当なのがないかと探したのですが、仏教では自業自得。自らの業因によって自らが果報を得るのが基本なもので、本作の場合は不適当と思い、辞めました。

 次に『神曲』から探そうとしたのですが、注文が遅かったせいで間に合わず、やむなく『あはれ今』からの引用となりました。


2.お寺の金属供出
 事例としては、8月は早めとなります。この頃から11月くらいにかけて、お寺の金属供出の記事が多いようです。
 梵鐘のように重いものは丸太棒を利用して、てこの原理で浮かし、回転させるように運んだと思われますが、どうやってトラックに載せたのでしょうね。大変だったと思います。


3.代用食の講習会
 生大豆粉とか乾燥卵は、前に使用した次の書籍を参考にしました。

齋藤美奈子『戦下のレシピ 太平洋戦争の食を知る』(岩波現代文庫)


 隣組で国債の割り当てがあったそうですが、それがいつ頃からかわからず、貯蓄報国のスローガンで曖昧にしてあります。

『写真週報』にみる昭和の世相
https://www.jacar.go.jp/shuhou/topics/topics01_03.html

 戦時映画の『ハナ子さん』では、ボーナスなので銀座で待ち合わせしたところ、やってきた夫からボーナスが国債で支給されたと聞く(=実質手元に入金無し)シーンとか出てきます。
 今ならそのシーンを見て「マジかよ」って笑えますが、その当時の人にとっては笑えない話でしょうね。

 弾丸切手って名前が良くないですね。自分に当たっちゃイカンでしょう、と思うのは私だけかもしれませんが。『戦時広告図鑑』に写真が出ていて「よく当る」とか書いてあると、真逆の意味に取れて微妙な笑いを誘いますね。
 wikiでは「戦時郵便貯金切手」という項目であります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%B2%AF%E9%87%91%E5%88%87%E6%89%8B


 さて戦時の配給品は、だんだん状況が悪くなって、何が配給されるか、どれくらい配給されるかわからなくなって行きます。遅れるし量も減るしで。
 魚といっても、サメだったり、何かわからないけど、ただ魚と呼ばれるもの。一番多いのはイカだったそうです。
 ただそれも海に近い地方の話と思われ、本作のように内陸部だと、精々が塩漬け、干し魚だろうと想定しました。

 さらに末期になると、とにかく石臼で粉にして、粉もの食。もっとひどいと、ほとんどサバイバル食になっていくようです。
 映画『一枚のはがき』でも石臼で蕎麦の実を挽いている場面が出てきますが、石臼って重要だったんですね。

 なお『戦下のレシピ』では稗は出てきません。ただ古代より食料として存在するものですから、作中で登場させました。
 きっと長く生きている春香なら、稗のレシピも持っていることでしょう。


4.赤紙

 通称赤紙と呼ばれるものには、充員召集令状と臨時召集令状がありました。
 充員令状の方は、その年の軍事計画に沿ってあらかじめ決まっていたもの。その計画外に召集するのは臨時召集令状です。

 なお陸軍で兵科の区別は、この頃には無くなっています。

 次は大阪朝日新聞 昭和15年9月11日(神戸大学附属図書館)

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10176038&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1


「今回さらに科学の進歩による近代戦の実情にかんがみ明治十二年の制定以来今日まで存置採用し来った各兵科の区分を世界列強に率先して撤廃を断行することとなり」

「一、現下の国際情勢より見て国軍の軍備が量的に一大飛躍を要する情勢に立ちいたった関係上将校以下の兵が各兵科に区分されていることは戦略上から見ても各兵科をかれこれ融通使用するうえにきわめて困難であり、かくては適材適所主義が各兵科存在のため著しく掣肘を受ける実情にあるので、適材適所主義を十分に活用発揮して量的軍備拡充の目的に副わしめるためには兵科別の廃止を断行する必要あること
一、国軍軍備は量的拡充を試みることはもちろん質的にも一大飛躍をなすべきであることは論を俟たぬが世界列強の軍備飛躍にしたがって新兵器新装備部隊が続出しこれに対応して新兵科の擡頭が漸次予想されるにいたったが、新兵科の設置は編成、官制法令などに掣肘されて容易でなくかつ従来の兵科区分は極めて限定的であったことよりして新情勢に即応すべく兵科区分の撤廃を断行し質的軍備の充実をはかること」

 夏樹の場合は、(おそらく伏線として機能していないと思いますが)馬に慣れている。そして、自動車運転免許証を持って、しかも自動車も持っていることなどが『在郷軍人名簿』に書かれていて、それを考慮されて輜重兵部隊へ召集されたという想定です。


5.東部第44部隊
 このような名前を通称号といいます。他に弓○○○○部隊とか。防諜のための秘匿名ですね。
 東部第44部隊は輜重兵第14連隊となります。

【追記】この後の本編で、自分で書いてて忘れてた。
実はこの輜重兵14連隊は昭和15年8月に満州へ移駐し、残る留守部隊として輜重兵第51連隊(51T)が編成されます。
そして、この51Tも南太平洋ラバウルとかに行き、留守業務は51T補充隊が引き継ぎます。なので、ここでいう東部第44部隊は51T補充隊です。

「Ⅰ 宇都宮師団(宇都宮師管区)の系譜」(とちぎ炎の記憶)
https://tsensai.jimdo.com/%E8%B3%87%E6%96%99/%E8%B3%87%E6%96%99%EF%BC%94-%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%B8%AB%E5%9B%A3%E3%81%AE%E5%8B%95%E5%90%91/%E2%85%A0-%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%B8%AB%E5%9B%A3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C/


 なお、『宇都宮輜重史』によれば、昭和17年10月に「主力33D(33T70.他)」が385名出征しています。
 夏樹の赤紙はこれに当たりますが、実は彼ら(特に輜重兵部隊の充員)がどのように現地部隊に追及(追いついた)のかわかっておりません。

 たとえば、この記述では33師団下にある複数の兵科に属する部隊が合同で移動したことになります。
 この場合、誰が引率したのか。見送りがあった時代ですが、どこの兵営に集まって、どの順番で駅まで行進したのか。
 輜重兵は数が少なくても輜重車や輓馬、自動車を持っていったのか。持っていった場合、そんな少数の輸送は輸送船内でどのような扱いだったのか。
 などなど、私の目についた書籍には記述がありませんでした。

 なので次話以降になりますが、充員の場合の輸送については想像しながら書くことになります。この点、御存知の方がいらしたら教えていただけると幸いです。
(ちなみに本作では、輜重車等は持っていかずに人だけで移動する設定にしております。ただ輸送船への積み荷や荷下ろしの作業にはかり出される予定)

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