すみません。「出発の朝」は特に補足するところは無いです。
1.充員が現地に追及する方法
実はこれについて調べ切れていません。
どの体験談も部隊として編成されて、部隊として作戦地へ出発になっています。
本作の夏樹の場合、初めは次の2パターンを考えていました。
パターンA
昭和17年10月に主力33師団他に385名が出征している(『宇都宮輜重史』p79)ので、これで充員としてビルマに行く。
パターンB
昭和18年6月に独立自動車226中隊が宇都宮で編成→ビルマに出発(『宇都宮輜重史』p164)
→ビルマ方面軍直轄として、祭第15師団の後方補給に就く
→とある段階で33師団に転属
パターンBの場合、同時期にビルマに行った体験談として次があります。
小田敦巳『ビルマ最前線』(光人社)
なのでパターンBの方が参考になるものがあるわけですが、とある段階で転属させるのが不自然ではないかと思い、パターンAにしたのです。
なお、パターンAは昭和17年、パターンBは昭和18年にビルマに向かうわけですが、この一年の差で海路の安全度がかなり違います。
昭和17年末ごろ、昭和18年初頭から輸送船がどんどん襲われて沈没しました。
これについては次の書籍を参考にしました。
大内健二『輸送船入門』
2.輜重兵の中隊編成
前掲『ビルマ最前線』(小田敦巳)を参考にしました。
なお輜重兵33連隊で、第1・第2中隊が輓馬部隊で、第3・4部隊が自動車部隊だったというのは、前掲『宇都宮輜重史』によります。
アキャブ、またはインパール作戦中にこの編成も変わりますが。
3.出征のシーン
パターンAの場合、複数の兵営から少人数ずつが出征するわけで、じゃあどこで集合したの? と疑問でした。
けれど共通して護国神社に武運長久を祈りに行きますので、本作ではそこを集合地としました。
なお出征の見送りは、前掲小田『ビルマ最前線』でも行われているので、昭和18年半ばまではあったと考えています。
出征のシーンの雰囲気は次を参考にしました。
木下恵介監督『陸軍』(松竹の映画)
4.駅舎以降
主として参考にしたのは前掲小田『ビルマ最前線』です。
また輸送船の兵員居住区は前掲大内『輸送船入門』です。
小田さんは2段だったそうですが、『輸送船入門』だと4段。
小田さんの本だと一人当たりの面積は縦横50センチメートルも無かったとあります。
お客じゃないとはいえ、非人道的な輸送な気がします。
おそらくアフリカから黒人の方々が奴隷としてアメリカに運ばれた時代、1人あたりに許されたスペースと同じくらいではないかと。
※トマス・ハリス『ハンニバル』下巻(高見浩訳、新潮社)
「シートの背もたれの幅は二十インチ。アームレストとアームレストのあいだのヒップの間隔も二十インチ。これはしかし、かつてアフリカと西インド諸島間の奴隷航路の船に詰め込まれた奴隷たちに許されていた面積よりは、二インチほど余裕がある」(p56)
18インチ=約45センチメートル
5.分宿
ここは想像です。本当は分宿などせずに宿に泊まったと思います。