第30話 プログラム5番
緊張しすぎて泣きそうになってるあたしのところに、富樫が山科を引っ張ってきた。
「ほら、山科。責任取るって言ったんだろ。ちゃんと最後まで桑原のそばにいてやれよ」
「え、そこまで責任持つの?」
「当たり前だろ」
「そっか」
要領を得ない様子の山科に「緊張してんだからなんか言ってやれよ」と言い残して、富樫は離れてしまう。もう、余計な事を!
「桑原、大丈夫?」
「全然大丈夫じゃない。緊張して死にそう」
あたしが文句を言うと、山科はくすっと笑った。
「練習量は僕たちを裏切らない。努力は実るものだよ。自信持って。五組の音を聴かせよう」
後ろから森園が山科の肩をポンと叩いて、みんなの方を向いた。
「みんなもうすぐ出番だ。俺たちは自分たちのできることを精一杯やった。後は練習の成果を見せるだけだ。俺たちの歌で全校生徒のスタンディングオベーションを奪ってやろうぜ」
ステージ袖で森園がみんなに焚きつけると、富樫がいつもの調子でそこに被せる。
「スタンディングオベーションなんてみみっちいこと言ってんじゃねえよ。全校生徒及び教職員、アーンド観客席の保護者の皆様を、感動の嵐で号泣させるぞ!」
「富樫、歌詞間違えんなよ?」
「あ、すいませーん!」
こんな時でも漫才やってみんなの緊張をほぐしてくれる富樫は最高だ。『石油王』にはならなかったけど、間違いなく『お笑い王』にはなったよ。
あたしたち五組のみんなの胸には赤いカーネーションが飾ってある。これは青木と凜が二人で考えたんだ。自由曲の歌詞にある『母なる大地』から思いついたんだって。それから佐々木が百均のお店にダッシュで行って、カーネーションの造花を人数分仕入れてきてくれたんだ。「赤いカーネーションは一年五組の花だから外せない」って。
「ねー、円陣組もうよ」と凛。「いいねいいね」と真由。
客席の方では既にアナウンスが始まっているのに、円陣? 客席まで聞こえちゃうよ。
「プログラム5番、一年五組の合唱です。課題曲『気球に乗ってどこまでも』、ピアノは桑原美咲さん。自由曲『大地
アナウンスが終わると同時に五組全員が丸く円陣を組んだ。森園がみんなを見渡す。
「行くぞー」
「おーーーーーっ!」
あたしたちは胸を張ってステージに向かった。ナガピーがビデオカメラをまわしてるのがステージから見える。あー、どうしよ。心臓が口から出そう。
全員が並んであたしがピアノのところにつくと、青木が客席の方に向かって挨拶を始めた。
「うちのクラスは全くまとまりがありませんでした。まとまらない原因の一人だった俺がこんなこと言うのはおかしな話だけど、でも、それをまとめてくれた仲間がいます。そいつは俺たちのために『五組カスタマイズ』で編曲してくれました。声が出ない人のために出し方を教えてくれたのもそいつだし、パートの組み換えとかキーの変更とか、なんかまあ、俺にはよくわかんないけど、音楽的にすごい裏技使って、みんなが歌えるようにしてくれました。ピアノに自信のない桑原のために、毎日付きっきりで指導もしてくれました。そいつのお陰で、俺たちは助け合って一つのものを作る喜びを知りました」
あ、ヤバい。あたし泣きそう。もう余計な事言わないでさっさとやろうよ。青木のアホ!
「最初は凄い苦しくて、文化祭なんか無くなればいいってみんな本気で思ってました。だけど最後の方は、今日のこの瞬間を誰もが楽しみにしてました。そんな俺たち一年五組の成長を聴いてください。……それと山科!」
いきなり青木が山科の方を振り返った。
「え?」
「俺たちからのお前へのプレゼントとして、最高の合唱にするからな! 覚悟しろよ!」
山科がニコッと笑って小さく頷く。
それを合図に青木が指揮を始めた。あたしは鍵盤に指を落とす。いっぱい練習したんだ、緊張することなんてないんだ。弾けるのか、じゃないんだよ。弾くんだよ。歌えるのか、じゃないんだよ。歌うんだ!
あたしのピアノにみんなの声が重なる。最初はみんなが同じ音、少しずつアルトが分離して音に厚みができていく。男子の声がさらに分離、テノール、バス。バスと言ってもそんなに低い音じゃない。それでも中学生にはまだキツイ。一昨日、公民館で急遽バスに回った佐々木が頑張ってる。あたしはそれをサポートするように、左手をしっかり弾き込む。
青木が指揮をしながら一緒に歌ってる。みんなが一つになってるのがわかる。ステージの上の空気が一体化してるんだ。
歌が二番に入る。山科のデモ演奏を録音した日を思い出す。彼の伴奏で合唱部の二人が完璧にハモってて、奇跡のような歌声だった。ほんの三ヵ月前のことなのに、もう何年も昔のことのような気がする。
今、一年五組が一体となって、あの日よりも素晴らしい合唱を作り上げてる。このクラスがこんな風にまとまるなんて、夢みたい。
今までで一番の演奏と一番の歌声で、コーダを聴かせる。この歌のクライマックスの歌詞があたしは好きだ。『そこに輝く夢があるから』。どんな夢なんだろう。その夢が明確なビジョンとなっている山科、何となくぼんやりしてるあたし。でもそれはきっと輝いてるんだ。そう思えるこの歌が好きだ。そんな風に考えさせてくれた山科が好きだ。五組のみんなが好きだ。
歌が終わる。青木が手を下ろす。あたしのピアノは終わった。完璧な演奏ができて、あたしは満足。
ピアノ伴奏の入れ替えで、山科とすれ違う。その時、彼が小さな声で「良かったよ」って囁いてくれた。もう、あたしはそれだけで涙腺が崩壊してしまって、涙がボロボロこぼれてきた。
再び青木が手を挙げ、今度は山科のピアノが始まる。もう、最初の一音から音質が全然違う。とても同じピアノの音には聞こえないその響きに、会場が僅か一小節で圧倒される。
山科の音は『聴かせる音』なんだ。天から授かった音、GIFT。その音に乗せて歌う贅沢。
私語の一つも聞こえなくなった講堂に、五組の合唱だけが響き渡る。壮大なスケールの歌詞、全ての命を育む大地への感謝を歌った歌だ。
荘厳で重厚な間奏、あの華奢な体から発せられているとは思えない重量感のあるピアノの和音。そこにあたしたちの合唱が乗る。会場全体がその圧倒的な一体感に支配されている。
あたしたちが一つになって作り上げた一年五組の合唱は、大きな波となって聴衆を飲み込んだ。
曲が終わっても、拍手は鳴らなかった。シーンと静まり返った講堂の中、しばらくして「ブラボー」の叫び声とともに、たった一人の拍手が響いた。
相馬先輩だった。それをきっかけに、呆然としていた聴衆が割れんばかりの拍手を贈ってくれた。
あたしたちはカーネーションの輝く胸を堂々と張って、客席にお辞儀をした。
山科の『革命』が成功した瞬間だった。
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