第21話 山科家

 日曜日、あたしは山科の家にいた。もちろんピアノを教えて貰うためだ。幼稚園の時に『ゆうとくん』の家に遊びに行った記憶はない。だから山科に迎えに来て貰った。

 山科の家は坂の多い住宅街の中にあって、割と大きな一軒家だった。すぐ隣に公園があり、子供たちの遊ぶ声が聞こえる。


 だが、彼はこの公園で遊んだことが無いらしい。確かに私立の小学校に行っていたら、朝も早いし帰りも電車に乗ってくるから遅くなる。公園で遊ぶ頃には真っ暗だ。それに小学校がみんなと違うから、話も合わない。そんなわけで、土日もこの公園で遊んだことが無いと言う。

 窓から眺めると、幼稚園の時の友達がたまに見えるらしいけど、山科が覚えていても、相手は覚えていないのか、全く反応を示して貰えなかったそうだ。まあ、あたしも最初に山科を見たとき「どっかで見たような気がするな」っていう程度で、誰だったか思い出せなかったし。


 山科の部屋はあたしの部屋よりも一回り広い部屋で、ベッドと勉強机、本棚、パソコンデスクがあった。大きな作業机もあって、そこに銅線だのソケットだのスイッチだの、何か電気的な回路っぽいものを作っている形跡があった。

 そして、パーティションを隔てて、こっちにはソファセットとピアノがある。パーティションはアコーディオンタイプで、伸ばすと完全に二部屋に分離できるようだ。普段はこれを開けてあるのか、普通に山科の部屋が一望できた。男子の部屋なんて見ること無いから、なんかとても新鮮だった。


 山科の部屋で面白いのが本棚と勉強机だ。本棚には科学雑誌や図鑑などがぎっしり入っているが、どれもきちんと番号順に並び、とても几帳面に片付けられている。全く読んでないんじゃないかというほど綺麗に収納されてはいるものの、一つ一つは擦り切れるほど読み込んでいるのがわかる。

 それに引き換え、勉強机の上は酷い有様だ。工作用のはさみやラジオペンチ、ニッパーにハンダごて、グルーガンやらワイヤーやら、いったい何に使うんだっていうようなものがめちゃくちゃに置いてある。作業机もあるのに、なぜ勉強机にまで侵食してるんだろう。っていうか、彼はどこで勉強してるんだろう?


 そういえば、電子部品はこれでもかというほど散らかりまくってるけど、服が脱ぎ散らかしてあったり、カバンが投げっぱなしになっていたりはしない。ベッドなんかも使っている形跡はあるのに、生活感がほとんどない。カバンも制服もきちんと片付けてあって、教科書や参考書もきっちりと並べられていて、まるで『電子工作をする目的で、必要な場所を確保するために片付けてある』といった感じだ。


 パソコンデスクの方は大きなデスクトップタブレットがあり、すぐ上にプリンタが、足元には印刷用紙やらインクやらの入った棚がセットになっている。そしてプログラミング言語の分厚いマニュアルが5~6冊、こんなの読んでわかるの?


 これは『標準的な男子の部屋』じゃなくて、『山科優斗の部屋』なんだろうな。みんながこうなんだと思ってはいけない気がする。きっと彼は特殊だ。

 そんな山科の部屋に通されてじっくり観察していると、山科が手際よくピアノの鍵盤の蓋を開けて準備してくれる。


「どうぞ」

「ありがと」


 なんかこの人、男子っぽくなくて妙に戸惑うな。


「山科の部屋、難しそうな本がいっぱいあるね」

「そうかな。まあ、上の方は難しいけど、下の方は図鑑が多いし、そうでもないよ」

「上の方、何があるの?」

「数学検定の問題集と解説書。もう高校数学の分まで受かっちゃったから、しばらく何も受けないかな」


 さり気に凄いこと言ったぞ。だから数学の時間、編曲したりしてるんだ。しかも質問には即答だし!


「数学も教えて欲しいよ」

「いいよ。ピアノでも数学でも。中学レベルなら物理と化学も教えられると思う」


 冗談だってば。山科は冗談が通じないから迂闊なことが言えない。


「それよりさ、どこで勉強してんの? 教科書広げられる場所が見つからないんだけど」


 山科は一瞬ぽかんとして、「ああ」と笑い出した。


「僕は机で勉強なんかしないよ。ベッドの上か、ダイニングテーブル。母さんが出かけてるときを狙ってそこでやる。家族がいるときはベッドだけど」


 お喋りをしながら、山科はカバンの中から課題曲のスコアを出してきた。相変わらずカラフルだ。


「じゃ、早速弾いてみる?」

「うん」


 自然と背筋が伸びる。遊びに来たわけじゃないんだった。

 あたしが弾き始めると、山科はパソコンデスクの椅子を持ってきて、あたしの左側に座った。

 少し弾いたところで彼に止められた。


「この楽譜見るとね、付点とか裏拍とかシンコペとかいっぱいあってややこしそうに見えるけど、コードさえマスターしてしまえば、リズムなんて実は全部アドリブでもいいんだ。ベースは基本付点の繰り返しで、『雲を~』のところから四分にすればいい。右手のリズムなんか全部アドリブだって構わない。だから難しく考えることは無いんだ」

「コードはマスターしたよ」

「だから次に覚えるのはベースのリズムだけ。付点と四分のところさえ間違えなければ、できたも同然」


 山科の話だけ聞いてると凄く簡単そうなんだけどね。 


「リズムパターン、三つくらい覚えようか。それで好きなパターンを使って弾いて、たまにアドリブで別のパターンを入れるとか。そうすればパターンはたったの三つ覚えればいいから簡単になるよ。譜面通りに弾く必要なんかないんだし」


 山科はあたしの左側から両手と右足を伸ばし、リズムパターンを弾き始めた。こんな安定しない格好でも弾けるんだ……。


「弾いてみて?」


 真似してみるけどなかなか上手くいかない。どうしてだろう、同じリズムを弾いてるのに。


「あ、そうか、ごめん。僕はペダル踏んじゃったから同じように聞こえないね。ゆっくり弾くから、ペダルワーク見てて」


 今度はゆっくり弾いてくれる。何度も何度も同じリズムで同じ音で。何となく理解はできたけど、自分で弾けるかと言えばそれはまた別の問題。自分で弾くとなると難しい。ペダルを踏み込むタイミングで、横に座った山科が手を上下させて教えてくれたけど、タイミングが合わなくておかしな響き方をしてしまう。

 しまいには、ペダルに乗せたあたしの足を、踏み込みのタイミングで山科がぐっと押すなんていう力業まで発動して、やっとこさっとこタイミングをマスターした。


「随分弾けるようになってきたじゃん」

「うん、どうなることかと思ったけど」


 だが、ここまでに二時間かかってしまって、もうお昼になってしまった。不覚にもあたしの胃は、山科にも聞こえるような大きな音でギュルギュルと空腹を訴えてしまった。

 顔から火が出そうなあたしに、山科がニコッと笑って言った。


「お昼、食べようか」

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