第22話 ランチ
何に驚いたって、山科がご飯を作るという。あたしはいつも母に作って貰ってるから、目玉焼きとか卵焼きとか、そんなものしか作れない。
山科はお母さんがいつも家にいないので、普段から自分で作ってるらしいんだ。
あたしは「手伝わなくていい」って言われたから、山科がお昼ご飯を作るのをお喋りしながら見ていたんだけど、本当に手際が良くて、毎日自分で作ってるんだな~って、凄い説得力のある動きだった。
玉ねぎとニンジンとピーマンを、サクサクと粗微塵に切ってフライパンに入れる山科を見ながら、ふと、あたしは疑問を口にした。
「山科のお母さんって、何の仕事してるの?」
「看護師だよ。だから夜勤もあって結構大変なんだ」
「だから山科がご飯作ってるんだ」
「そう」
シリコンのしゃもじみたいなのを使って、慣れた手つきでざっくり混ぜると、今度はそこにご飯を入れた。チャーハン作ってるのかな?
「お父さんは何してるの?」
「百貨店の裏方。土日が休めない仕事だからいつも水曜日とかにお休み取ってる」
「じゃあ、山科が休みの日はお父さんが休みじゃないんだね」
「うん、そうだね」
あ、ケチャップが入った。チキンライス? いい匂いがしてきたよ。
「寂しくない?」
「うーん、低学年の時はちょっと寂しかったけど、今はもう慣れたっていうか、誰もいない方が回路を作るのも曲を作るのも集中できるから、僕はこの環境は気に入ってるよ」
「ふーん」
チキンライスを作ってる隣で卵焼きを作り始めた。フライパンをくるっと回して、平たくて大きな卵焼きにしてる。これって、もしかしてオムライス?
なんて考えている間に、チキンライスをササっとお皿に盛りつけて、その上に卵焼きを乗せて、アーモンド形にくるんと包む。凄い手早い。あっという間にオムライスができた。
「落書き、する?」
山科が悪戯っぽい目をしてあたしの方にケチャップを手渡してきた。一瞬迷ったけど、すぐに意味が分かった。彼がスマートフォンのカメラを立ち上げたからだ。
あたしは二つのオムライスにケチャップで『みさき♡』『ゆうと☆』と書いた。
「なんだか幼稚園の時のご飯みたいじゃない?」
「そういえば『みさきちゃん』のお弁当には、よくオムライスが入ってたよね」
って言いながら山科がスマートフォンで写真を撮ってる。
「え、そうだっけ。山科ってどうでもいいこと、よく覚えてるねー」
「うん。どうでもいいことはよく覚えてるんだ。一度読んだ本の内容とか、一度聴いた曲とか、あんまり忘れない」
そうだ。山科はアスペルガーだって言ってた。
「食べよう。写真も撮ったし満足した」
「うん、ありがとう。いただきます」
あたしたちはそれぞれ名前の入ったオムライスを食べ始めた。
「うわー、これ美味しいよ。胡椒が効いてる!」
「良かった。いつも自分だけ食べてて、人に食べさせたことが無いから、ちょっと心配だったんだ」
「めちゃめちゃ美味しいよ!」
山科が嬉しそうに笑ってる。あたしはそれが嬉しい。いつも一人ぼっちで食べてたんだろうな、山科。
「この写真、待ち受けにしていい?」
「いいよ! あたしも待ち受けにしたい。あとで写真ちょうだい」
「うん」
山科が作ってあたしが落書きしたオムライス、二人で待ち受けにするかと思ったらおかしくて笑いが出た。こんなの他の人に見られたら、付き合ってるとか思われちゃうかも。
「みさきちゃんのオムライスってさ、いつもグリーンピースが入っててさ、それが嫌いって残してて、いつも僕がそれを食べてたの、覚えてない?」
「えええ? そんなの覚えてないよ」
「でもオムライスは好きだったんだよね。それで『お豆、入れなくていいのに』っていつもブツブツ言ってたんだよ」
「やーだ、そんなことは早く忘れてよー」
二人で食べながらケラケラ笑ってたら、ふと山科が思い出したようにスプーンを止めた。
「幼稚園の時にね、僕がポケットにハンカチを入れようとして、ちゃんと入らなくて落ちたことがあったんだ。それで、しょうま君が『ゆうと君、ハンカチ落とした』って言ったんだよね。それで僕は『落としてない』って。でもハンカチはそこに落ちてる。だからみんなが『落とした』って言ってさ。しまいには『ゆうと君、嘘ついた』とまで言われたんだよね。でも僕は嘘なんかついてない、だってハンカチを落としていなかったから。あのハンカチは『落とした』んじゃなくて『落ちた』んだ」
山科が何を言いたいのかあたしにはよくわからない。
「今なら中学生になったからさ、能動的に『落とした』んじゃなくて、地球の重力という不可抗力によって『落ちた』んだ、って説明できるけど、あの頃はそれが説明できなかった。僕にとって『落とした』という言葉は、『落ちた』という意味を含まなかったんだ。途中で先生が気付いて『ゆうと君はわざと落としたんじゃないよね、落ちただけだよね』って言ってくれて、そのあとで『落ちてしまったことも、落としたっていう言い方をするんだよ』ってちゃんと教えてくれたから、僕は納得したんだ。この事件があって、僕はアスペルガーなんだということが発覚したんだ」
は? 何故そこで?
「アスペルガーってね、『言葉』に強いこだわりを持つことがあるんだ。僕はそれの典型例。本当に大変。パターン化されれば逆に強みになるけど、パターン外のことに極端に弱い。それで、変なこと言っちゃって『空気読めない』って言われることが多いんだ」
「だからいつもあんまり話さないの?」
「だんだんそうなってきた。小学校の時は誰よりもよく喋ったんだけど、それがウザがられてさ。ほら、空気読めないから、それが嫌がられているのかどうかがよくわからなくて。でも、先生がちゃんと自閉症スペクトラムの勉強をしていた人で、他の生徒にも僕との付き合い方を教えてくれて、僕にも他の子たちに順応できるように個別に教えてくれたんだ。卒業するまで誰も僕がアスペルガーだとは気づかなかった。凄い先生だよね。誰にも気づかせずに僕を順応させてくれたんだ。そのおかげで、今こうして特別なクラスに行かなくてもみんなと同じクラスで過ごすことができるようになったんだ」
でもそのために、もともとお喋りの好きな山科があまり話せないなんて、凄く損してる気がする。
「ね、もっといっぱいお喋りしたらいいと思う。あたしはウザイと思ったことなんか一度も無いよ。山科の話は面白いから、ずっと聞いていたいよ」
「ありがとう」
そう言って笑う山科はとても穏やかな顔をしてた。この人はその類稀な才能を神様に与えられてるんだ。
「ギフテッド……」
「え?」
「ねえ、山科はギフテッドって言われたことないの?」
「あ、うん、疑われたけど、あれも定義がはっきりしてないみたいで、ボーダーなのかもしれないね。IQ検査とかいろいろされたよ」
「ねえ、聞いていい、IQ」
「百四十五」
やっぱり普通じゃないんだ。富樫は「山科のIQは百三十くらいありそう」って言ってたけど、確かにこれじゃ会話にならないわけだ。それを山科の方が必死に合わせてたんだ。
「凄いね……」
「凄くなんかないよ。あれって調べる項目がいくつもあるんだ。IQが高い人も低い人も、みんなその項目が平均的になる。だけど僕は項目によってとびぬけてできてたり、まるでできていなかったりする。記号認識が苦手で、計算能力は高い。だから『漢字が覚えられない脳』なんだ」
そこにつながるんだ!
「じゃあ、音楽が飛びぬけてるのも?」
「そうだと思う。僕の場合、音を聞き分けてるんじゃなくて『見分けて』るから」
「何それ」
って聞きながらもしっかりオムライスは食べる。冷めたら勿体ない!
「音に色がついてるの。重音や和音になるとまた色が変わるんだけど。目指す色に向かって音を作りこんでいくから。でも夢中になりすぎて割と嫌われる」
山科が苦笑いする。なんか自虐的な笑い。これは嫌。
「そんなこと」
あたしはスプーンを置いた。食べ終わっちゃったからだ。
「あたしは山科が好きだよ。大好きだよ。前にも言ったけど、山科が友達になってくれて、本当に嬉しいよ。富樫も言ってた、山科のこと尊敬してるって。山科は嫌われてなんかないよ。好かれてるよ!」
あたしは一体何をこんなに必死になってるんだろう。山科が自分で「嫌われる」って言うの、聞きたくない。山科はこんなに好かれてるんだから。もっと自信持って欲しい。それだけの能力があるんだから。
「だから、自分を隠したりしないで。そのままの山科があたしは大好きだから」
山科はびっくりしたような顔であたしを見てたけど、しばらくしてニコッと笑った。
「うん、ありがとう。あ、そうだ、オムライスの写真、転送するね」
その場であたしと山科は、スマートフォンの待ち受けを『みさき♡』『ゆうと☆』のオムライス画像に設定した。
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