第20話 指揮
十月も半ばを過ぎ、一学期に続いて散々だった中間テストも返ってきた。
そして、文化祭も二週間後に迫っている。吹部の方でも山科の曲に手こずっている。あの相馬先輩の手に負えないんだから、相当な難曲だよ。
テスト明けの最初の部活、相変わらず相馬先輩と山科は頭を突き合わせてスコアとにらめっこしている。それがなんだか、どうにもこうにもモヤモヤしてしまうのだ。置いてきぼり食らった気分になるというか、なんというか。
あたしのモヤモヤなんか知るわけもなく、相馬先輩は腕を組んで山科と何度か頷きあって、何か決着をつけたらしい感じだ。
「ちょっとみんな聞いてくれる?」
相馬先輩がパンパンと手を叩く。
「今日から文化祭直前まで、山科君に振って貰うことにしたから、みんなそのつもりで」
部員が一斉にざわつく。それはそうだ、吹部の人間でもないのに、いきなり連れて来た一年生に振らせるというんだから、二年生は面白くないだろう。でも他ならぬ相馬先輩の指示とあっては従わないわけにはいかない。
でも次期部長の吉本先輩は黙っていなかった。
「相馬先輩。先輩の指揮だから、今まで何も言いませんでしたけど、彼は電工の人ですよね。しかも一年生じゃないですか。なんで私たちが電工の子の指揮に合わせなきゃならないんですか」
相馬先輩は『想定内』って顔で肩を竦めた。
「そう言われるのはわかってるんだけど、私にも振れないほどの難曲をナガピーが振れるわけないし、まして吉本に振れるわけないでしょ?」
うわぁ、吉本先輩にそれ言えるのって相馬先輩だけだよね。
「私は確かに振れません。でも相馬先輩の指揮でやりたいんです」
「だからさ、もちろん本番前には私が振るようにするよ、山科君にはピアノを弾いて貰わないといけないからさ。でも今、そういうレベルじゃないじゃん。私がみんなを引っ張れない限り、引っ張れる人に助けて貰うしかないんだよね。作曲者がここにいるって、凄いラッキーなことなんだよ? ベートーヴェンやモーツァルトに『ここ、どうやって演奏したらいいですか』って相談できないじゃん。でも山科君ならすぐに答えてくれるんだよ? こんなラッキーなこと、この先、一生のうちに何回あるかわからないんだよ?」
確かにそうだ。作曲者に振って貰えることなんて、殆ど無いだろう。
「相馬先輩、やっぱり僕が振るのはやめた方が……」
山科が割って入るが、相馬先輩は彼を遮った。
「ダメ。私じゃ無理。まずは山科君振ってみて。それでダメならまた考えようよ。やってもいないうちに諦めるのは感心しない。ね、山科君、お願い」
え、ちょっと、なんか今の最後の、なんか凄く嫌。頼んでるだけなんだけど、凄く、なんか、嫌!
「わかりました。先輩がそう言うなら僕は振ります」
なんだろう、なんかめっちゃモヤモヤするっ!
相馬先輩からタクトを受け取った山科が、みんなの前に立つ。吉本先輩も渋々サックスを構える。
「じゃ、Dから」
山科は相馬先輩みたいに切れのいい話し方をしないから、なんだかホワホワとしてる。大丈夫なんだろうか。しかもいきなりDか、難所だな。
山科がみんなを見渡して短くブレスをすると、タクトが空を切った。
が、最初の一小節でいきなりタクトが止まった。
さっきと目つきが違う! 同じ人に見えない!
「アタマが揃わない。もっとリズムを感じて。揃えようって気持ちが無いと、みんなそれぞれが勝手に自分の考える『アタマ』のタイミングで出てしまう。ここは舞曲だから、歯切れ良くいかないとベタベタになってしまう。特にサックス、出だしよりも音を切る方に気を遣って。四分音符の長さが全員違う。ユーフォ2nd、半音低い。そこナチュラルついてる筈。パーカス、トライアングルも伸ばしの長さもっと意識して、どのタイミングでミュートかけるか、毎回変わることのないように、それとタンバリン、絶望的にキレが悪い。舞曲なんだからタンバリンが引っ張らないでどうする。主役の気持ちでやって。もう一度同じところから」
一気にまくし立てた山科の声は、さっきのホワホワした声ではなかった。春に自己紹介したときのような、良く通るはっきりした声だ。
しかもたった一小節でこれだけのダメ出し! この先どうなっちゃうんだ?
二度目は五小節進んだ。が、六小節目は無かった。
「オーボエ、もっと歌って。ユーフォ、音それでいい、そのまま抑え気味に。あとサックスさっきより良くなった、パート練習の時に完璧に合わせといて。タンバリン、メゾピアノの時のヒッティングポイントをリムから3分の1のところに設定して、フォルテシモの時が中央になるように調整してみて。トレモロは手首じゃなくてリムを使って」
「え? リム?」
パーカスの子がきょとんとしてる。
「やったことない?」
「意味が分からないんだけど」
「貸して」
山科はタンバリンを受け取ると、リムを親指でしごいてトレモロを実演して見せる。
「こうするの、できる?」
「やってみる」
いきなり教えられてできるほどパーカスは簡単ではない。
「トレモロはできたけど、リズムに間に合わないかな」
「じゃあ、今日は手首使って。明日までに練習してできるようにしといて。今のままだとトレモロが雑に聞こえる」
「はい」
「あと、コンバス」
山科が反対側を振り返る。コンバスは二年生の先輩だ。
「はい」
「ここはチューバじゃなくてコンバスの音が欲しい、チューバ抑え気味でコンバスもっと前に出てきて。スネアが入ってくるあたりから徐々にチューバに渡す感じで」
「はい」
「じゃ、このまま先に続けます。スネア、この後スネアオフだから。今のうちに切っておいて。切るタイミング決めてないと忘れるよ。あ、それからこの後の装飾音キレが悪い。アタマ2打、正確に打ち込んで。じゃあもう一度Dから」
この日、帰る頃には、これは昨日の曲とは別の曲なのかというほど見違えていた。あたしたちは山科の能力をこれでもかと見せつけられたのだった。
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