第19話 パズル
クラス合唱は、自由曲の方が難しいうえに後から練習を始めたにもかかわらず、課題曲よりも先にまとまりを見せてきた。理由は簡単だ、山科が一人一人の適性を見てパート編成を組み替えたからだ。キーもみんなの歌いやすい調に移調してくれて、凄く音が出しやすくなった。
その分、山科は大変だと思う。元々がロ長調でピアノ伴奏は大変だったと思うけど、それをイ長調に変えたことでシャープが五つから三つに変わってる。シャープはいっぱいつくとわけわかんなくなりそうだけど、実は、どうせつくなら全部に付いちゃうくらいの方が中途半端に三つより読みやすいんだ。
だけど山科には五つも三つも大して変わらないらしくて、さらに言えばロ長調の楽譜を見ながらイ長調にその場で移調しながら弾くという技ができるらしい。もうここまで来ると神業と言っていい。寧ろあいつは神だ!
それより問題なのはあたしが伴奏をする課題曲の方だ。ハ長調でシャープもフラットもつかない。だからどこに移調しても、確実に今より難しくなる。
更にあたしは応用が利かない。だから山科みたいにみんなに合わせて移調するとか、そういう無茶ができないんだ。そもそもの楽譜通りにすら未だ弾けてないのに。
「どうしても困ったら先生が手助けするけど、なるべく自分たちだけでやってみろ」ってナガピーは言うけど、どう考えてもナガピーが山科の助けになるなんて思えない。そう思ってるのはあたしだけじゃないらしく、どうやらクラス全員がそう感じているらしいことは、その空気でひしひしと伝わってくる。
だけど、それを認めたくない人が居るのも事実で、やっぱり山科がいろいろやることを『でしゃばり』って解釈する人もいるんだ。そんな風に言うならあんたが山科の代わりにやってみろって思うんだけど。
それでもこの前のショパンを聞いてから、山科に直接言いがかりをつける人はいなくなった。今は山科に任せるしかないって理解したんだろう。それに、文句言ったらあたしがぶっ飛ばしてやるし。
「パート編成、今から変えたいんだけどいいかな。声、出てない人が居るから」
「ちょっと山科、今から変えるの? もう無理じゃね?」
「このままやってても永久に声は出ないよ。それより出しやすいパートに変更した方がいい」
みんなが不安と疑問の混じった眼で山科を見る。山科は全く気にする様子もなく、みんなを見渡した。
「ここが歌いにくいっていう場所がある人、誰でもいいから言ってみて」
早速、富樫が手を挙げる。
「俺ここの……ここ、低音出ない」
「うん、そういうやつ。そこのフレーズだけソプラノのメロディを1オクターヴ下で歌える?」
えええ? メロディを1オクターヴ下で?
「できるできる。そっちの方が歌いやすい」
「じゃ、富樫はそれで。他には?」
「あたし、このサビのとこ、高すぎて声が出ない」
真由はそんなに声高くないのにソプラノだからなぁ。
「じゃあ、アルト歌える?」
「ハモリは苦手だからソプラノなんだけど」
「じゃ、サビのとこだけアルトは?」
「それくらいなら」
「じゃそうして。他にも自分はこの音は出ないけど、別のパートなら歌えるって人は自分の歌えるパートを歌って。それもできない人は、メロディを自分の歌える音域で。バランス見るから一回それで歌ってみて」
あたしの拙い伴奏で一回通しで歌う。みんな、自分の出せる音域で歌うから、低いところでメロデイが鳴ってたりして面白い。バランスは悪いけど、妙に音に厚みが出たのが不思議。
「今度はバランス調整するから。どのパートでも大体大丈夫っていう自信のある人、いる?」
もちろんだけど合唱部の二人と、小学校で合唱団に入ってた凛が手を挙げる。吹部の男子の手も挙がった。
「じゃあ、音の薄くなった場所をカバーして貰うから、基本的には自分のパートを歌ってその場所だけ別パートを歌って貰うことになるけど大丈夫?」
「全然おっけー!」
「任しといて」
「俺も余裕」
山科がどんどん変更する小節とパートを指定して振り分け、五組の課題曲もカスタマイズされていく。何度か歌ううちに、だんだん傾向が見えてきて、自主的に声が上がるようになってきた。
「ここんとこ、低音薄いから、俺バスに回ろうか?」
「俺もそこバス出るよ」
「じゃあ、二人そこだけバスよろしく」
山科の楽譜がどんどん書き込みでカラフルになっていく。
「ねえ、山科はどのパートを歌うの?」
あたしはずっと疑問に思っていたことを口にした。
山科は「今更何を?」とでも言いたげな顔で口を開いた。
「僕は音の薄いパートの寄せ集めだよ。アルトからバスまで、小節ごとに違う。最終的に判断するから、まだ決まらないけど」
何となくそんな気はしたけど、一番カスタマイズされるのは山科だったんだ。っていうかそれを当たり前のようにやるんだこの人。まるでパズルだな。
これは益々責任重大になってきた。あたしがちゃんと伴奏できないと、山科だけじゃなくてみんなに迷惑がかかっちゃうよ。本腰入れて練習しないと!
あたしは休み時間、山科を捕まえた。放課後だと相馬先輩に取られちゃうから今しかない!
「山科っ、あのさ、今度の日曜日、付き合ってくれる?」
「え……」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている山科の後ろで、青木がヒュウっと口笛を吹いた。
「おーっ、桑原が山科に公衆の面前で堂々とコクってるぞー!」
「違うっ! ピアノの練習だよ!」
「いいよ。何時?」
全然動じないよ山科!
「すげえ、公開デート予告!」
「いつでもいいから、山科の都合のいい時間で」
「じゃあ、僕の部屋に来る?」
「おいおいおい、山科、桑原を自分の部屋に呼ぶのかー!」
「二人っきりで何するんだー?」
「うるさいなー、もう、違うってば!」
「でも桑原、顔赤いしー」
そういう意味じゃないのに、からかわれると顔が熱くなるじゃん、もう!
「日曜なら十時とかは? 午前中に仕上がらなくても、午後からも練習できるよ」
「おっと山科、一日中付きっきりで桑原を放さない?」
「手取り足取りかよー」
「ああもう、ごめん、外野がうるさくて。じゃあ十時に。ほんとに山科の家、行ってもいいの?」
「グランドあるよ。それで弾いた方がいいでしょ?」
なんなのこの山科の通常運転。全く外野の冷やかしが耳に入ってないみたい。
「すげえ、山科んちグランドピアノかよ!」
「ってゆーか吹部の部長とデキてんじゃなかったのかよー」
「え?」
山科が反応した。なんでここだけ反応すんのよ。
「相馬先輩は僕の尊敬する先輩だよ。僕を煽るネタに先輩を使うのは許さない」
急に真顔になった山科に、冷やかしてた連中が慌てる。
「な、なんだよ、冗談だよ」
「冗談でも先輩を馬鹿にするな」
山科、怒ってるの? 相馬先輩をネタにされたから?
富樫が急いで割って入る。
「山科、あいつは先輩を馬鹿にしたんじゃないよ、ちょっとしたジョークだって」
「ジョークで言っていいことと悪いことがある」
「青木、お前山科に謝れ。山科も今は一旦下がれ」
山科が何か言おうとして黙った。富樫の顔を立てたのだ。なのに、青木はそのあと言ってはいけない一言を放ってしまった。
「おい富樫、そいつに空気読めって方が無理だろ。アスペは空気読めねーんだぜ」
富樫の顔色が変わった。山科の肩を押さえていた手を放し、ゆっくりと声の主を振り返った。その富樫の顔を見て、青木がヘラヘラとした薄笑いを顔にへばりつかせたまま硬直した。
「てめえ、もういっぺん言ってみろ!」
身長にして頭一つ分大きい富樫が、青木の胸ぐらを摑んだ。凜が口元を両手で押さえて息を詰める。
「富樫やめて!」
思わず富樫に縋り付いて、何人かで青木から引き剥がした。青木は青い顔をしながらも、まだ薄笑いを浮かべている。
怒りに震える富樫にしがみついていると、山科がすっと前に出た。そしてとても穏やかな声でこう言ったのだ。
「いいよ、富樫。本当のことだから。僕はアスペルガー症候群なんだ」
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