第29話 桜岡公民館
土曜日は午前中しか音楽室が使えなかった。多分、午後から文化祭の準備があるからだろう。でも、午前中だけでも合わせられたのは収穫だ。この数時間で完璧に曲が仕上がったからだ。
最後なんか相馬先輩は振りながら泣きそうになってた。自分のイメージ通りの音になって感激したって、あとから聞いた。この調子なら、月曜日の本番も上手くいくだろう。相馬先輩の吹部卒業に相応しい、華やかな曲に仕上がって良かった。
今日は土曜日ということもあって、結構みんなスマホを持って来てた。もちろんこの曲を録音するためだ。
みんなの楽譜には山科のカデンツァの部分は譜面として書いてあるわけではなく、ただの『一小節休み』で『ピアノカデンツァ』としか書いてないんだ。タイミングをしっかり日曜日のうちに叩き込んでおくんだろう。
楽器を片付けながら、今日も山科は相馬先輩と帰るんだろうなと思ってチラチラ見ていたけど、彼は相馬先輩を断ってあたしを誘ってきた。クラスの合唱のことで話があるのかもしれない。どんなことであれ、少しでも彼に頼られるのは嬉しい。いつも山科に頼ってばっかりだから。
結局、あたしと真由と山科と三人で学校を出たのに、真由ってばわざとらしく「ごめん、LINE来て、急用できちゃった」とか言って、ニヤニヤしながら走って帰っちゃった。クラスの話なんだから、一緒に帰ったらいいのに。なんかすぐにあたしと山科を二人にしようとするんだよね。
でも山科はそんなことは一向に気にしていないようで「竹田、塾でもあるのかな」とかすっとぼけたこと言ってる。こいつ、ホントに鈍いな。まあ、そんなとこがいいんだけど。
「桑原さ……」
「はっ、はいっ!」
変なこと考えてたから、おかしな返事をしてしまった。でも、山科で良かった、そんなこといちいち気にする人じゃない。
「五組がこのまま本番迎えても、もしもみんながバラバラでも、桑原は自分の演奏をして。僕がなんとかしてバランス保つように歌うから。でも僕は声変わりしてないからさ、低音部はどうにもフォローできないんだ」
「わかった。ピアノでなんとかフォローする」
「できる?」
「できるかじゃないんだよ、やるんだよ」
山科は一瞬ぽかんとして、すぐにプッと吹き出した。
「そういうの、僕は好きだよ」
「だって山科の真似したんだもん」
「え? 僕の真似?」
きょとんとしちゃって。自分で言ったんでしょ、もう。
「覚えてないの? あたしが無理って言った日、山科が『責任持って教える』って言ってくれたじゃん。あの日、森園が『弾けるのか』って聞いたら、山科が言ったんだよ『弾けるのかじゃない、弾くんだよ』って」
「あれ、そうだっけ。責任持つって言ったのは覚えてるけど」
「もう! あたしは山科の言ったこと、ちゃんと全部覚えてるんだからね!」
あたしが膨れてみせると、ごめんごめんって謝ってる。とんでもないことは覚えてるのに、自分の事は案外覚えてないんだ。
こうしていると、ごく普通のちょっと頭良いだけの男子。あたしには山科がアスペルガーだろうがギフテッドだろうが関係ない。山科がそこにいてくれればそれでいい。
二人で笑っていたら、ほぼ同時にあたしと山科のスマホがLINEの着信を知らせた。思わず二人で顔を見合わせてスマホを確認し、ほぼ同時に叫んでしまった。
「富樫から?」
「森園」
「なんだって?」
二人でお互いのスマホを交換して見せあうと、同じ内容のお知らせが来ていた。
『今日、午後一時半から桜岡公民館の大会議室を押さえた。一年五組は全員集合。ピアノ伴奏者は絶対来いよ。ピアノのある部屋、無理言って押さえて貰ったんだからな。見たら必ず森園に返信すること!』
「うそ……公民館とってくれたの?」
「そうみたいだね」
呆然とするあたしの横で、山科がふんわりと笑った。
「森園はちゃんと自分の仕事をした。ここからは僕たちの『仕事』だ。しっかりお昼ご飯食べて、本気出して行こう」
「うん」
あたしたちはさっきまでとは別人のように、元気良く帰途についた。
***
午後一時半。あたしは迎えに来てくれた山科と一緒に、桜岡公民館の大会議室のドアを開けた。驚いたことに、五組は全員揃っていた。後はピアノ伴奏者の到着を待つだけだったらしい。
「ごめん、待たせちゃった?」
恐る恐る入っていくと、森園が笑顔で出迎えてくれた。
「いや、ピアノには一時半って言った筈だから。みんなは下準備があって一時に集合かけたけど」
え? そうなの?
「ここ、佐々木が押さえてくれたんだぜ。どうしてもピアノが必要だからって言って、この部屋をとってた団体に交渉して、譲って貰ったんだ」
えっ、佐々木が? あんなに山科のこと毛嫌いしてたのに?
「俺は別に……ピアノが無いと合わせられないから。それに向こうの団体はピアノ必要じゃないらしかったから。そもそもここの会議室借りようって俺に言ってきたの、青木なんだぜ」
言い訳するように佐々木が言うと、青木も慌てて両手を振った。
「いや、俺はただここの会議室にピアノがあったはずだって言っただけでさ、ここならタダで借りられるし、どうかなって森園に相談してたら、佐々木が『俺がとっておく』って自分から言いだしたんだよ」
「え、あ、いや、俺は……」
そこに富樫がくるくる回りながら割り込んできた。
「はいはいは~い、わかったわかった。佐々木と青木のお陰でゲットしたこの会議室、時間を無駄にはできないだろ。とっとと練習始めようぜ! なっ、森園!」
「そうだな。桑原、すぐ弾けるか?」
「うん!」
あたしはリュックをピアノの横に置いて、譜面を出した。
山科をチラッと見ると、佐々木が彼の横に立つのが見えた。
「山科、俺が悪かったよ。なんかいろんなこと上手くいかなくてイライラしてた。お前に八つ当たりしただけなんだ。ほんとごめん」
「え……いいよ、僕はほんとに空気読めないから」
「そんなことねえよ。なんでもできるお前にちょっと嫉妬してたんだよ」
何と返事したらいいのかわからないっていう顔してる山科に助け船を出すように、あたしは伴奏を弾き始めた。山科はあたしに視線を送ってから、佐々木の方を見て、ただ困ったようにニコッと笑った。
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