第28話 7センチ

 それから一週間、五組は全く合唱の練習をしなかった。森園がまさかのボイコットに出たのだ。彼曰く「山科を受け入れずに、俺の話も聞く気が無いなら、俺は知らん」ということらしい。まあ、そうだよね。あれも嫌これも嫌って言うなら、別のやり方お前が考えろって普通は思うよね。

 だけどさ、だけど、あと三日だよ? 本番月曜日だよ? 今日はもう金曜日だよ? 誰も何も言わないの? みんながみんな、誰かが何か言うのを待ってるの?


 今日のHR、ナガピーが言ったんだ。「どうだ、文化祭の合唱は進んでるか?」って。その時森園はいけしゃあしゃあと「完璧ですよ。全校生徒を感動で泣かせて見せますよ」とのたまったんだ。信じられない。完全に分裂してて、誰一人練習しようって言わないこのクラスが『完璧』だって。どういうつもりなんだろう。


 しかも森園、あたしにも山科にも、もちろん凛や富樫にも、「絶対にみんなに練習しようって声をかけるな」って言ってたんだ。ピアノ担当やクラス委員、凛みたいな文化委員は責任があるから動かなきゃって思うけど、だからこそみんな責任のある人にお任せで、自分に関係ないって思ってるんだ、だから絶対にチラッともその話をするな……って。

 森園の言う通りにしてたら、結局一週間誰も何も言わず、あと三日に迫ってしまった。本当にどうする気なんだろう、森園……。


***


 吹部の方は相馬先輩もかなり慣れてきて、あとは山科のカデンツァ(※1)を入れるのみってとこまで来てる。吹奏楽アレンジでは省略していたらしいんだけど、相馬先輩が「なんかここ、寂しいね。ピアノのカデンツァでも入ると締まるんだけど」って言いだして、実はそこにカデンツァがあったんだって山科が白状したんだ。

 そんなこと、素人のあたしたちじゃ全く気付けないよ。相馬先輩だからこそそこに気づけたんだろうなって思うと、もうどうやってもこの二人には太刀打ちできないって思っちゃう。この二人は吹部の中でも『雲上人』扱いだよ。


 そして、そのカデンツァ。はっきり言って山科、神なんじゃないかと思った。何なのこの人、めちゃめちゃ凄い。プロなの? あたしはこの凄さを人に説明するほどの言葉を持ってないから、説明しろって言われても困るんだけど、とにかく凄すぎる。

 今日はたまたま帰りが山科と一緒だったから(相馬先輩がいなくて)そこツッコんでみたんだ。


「ねえ、山科は相馬先輩みたいに音高行くの?」

「えっ、音高? 行かない行かない。なんで音高?」

「音大行くと思ったから」


 そしたら、山科ってば明るく笑ってこう言ったの。


「僕は音楽は趣味でやってるんだよ。ピアノも作曲も。音楽やりたいなら吹部入ってると思わない? 僕は電子工学がどうしようもなく好きなんだ。だからそっちの道しか考えてないよ。普通の大学に行って、電子工学を学んで、オケのサークルに入って作曲しながら指揮を振れたら最高かな」


 めちゃめちゃ具体的で笑っちゃうよ。


「でも、ピアノ凄く上手じゃない。ピアニストになろうとは思わないの?」

「まさか。本当にピアニストになる人たちはこんなもんじゃないよ。僕は演奏家のレベルじゃない。作曲家の演奏レベルだよ。移調奏(※2)とか即興演奏は得意だけど、演奏家の表現力には程遠いよ」

「へえ~、そんなもんなんだね。あたしには十分凄いけど。もう神レベルだけど」


 山科がくすくす笑ってる。あ、やっぱり背、伸びてる。


「ねえ山科、春より随分、身長伸びたよね」

「え? そうかな」

「うん。春はあたしの目の高さと山科の目の高さ、ほとんど変わらなかったもん。今は目の高さに口がある」

「七センチ伸びたよ」

「凄い。あたし二センチ」


 身長の比べっこして、ちょっとドキドキしてる自分に気づく。何やってんだろう。変な奴とか思われてないかな。


「男子は中学に入ってから伸びるってよく言うよね。僕もそれなんじゃないかな。もう少し背が伸びたら声変わりするのかも」

「もう始まってるんじゃない?」

「そうかもね」


 チラッと隣を見ると、山科の首にはっきりと喉仏が見える。こんなに華奢でも女子とはやっぱり違う。やだな、なんでこんなに山科のことが気になるんだろ。


「明日さ、本番前の最後の合わせ、もちろん来るでしょ?」

「当然だよ。日曜日は練習無いんだから、明日合わせないともう合わせる日が無い」

「山科、吹部じゃないのに土曜日も吹部に『出勤』だね」

「僕の曲だしね。自分の曲を生演奏なんてなかなかやって貰えるもんじゃないし、あの曲のデビュー戦だから何が何でも成功させたいしね。それに相馬先輩はこれで吹部卒業だしね。音高受験するときの手土産にできるからね」


 あ……そういうことか。音高を受験する相馬先輩が、この指揮の録音を持って面接に行くってことか。山科、そこまで考えてたんだ。

 そんな話をしてる間に、分かれ道に来ちゃった。もうちょっと一緒に居たいけど。


「じゃ、また明日ね」

「うん、桑原もピアノ頑張って」


 その日、初めて山科と別れるのを寂しく感じた。




※1:カデンツァ

ソロの楽器がオーケストラ(この場合吹奏楽)の伴奏を伴わず、即興的な演奏する部分のこと。


※2:移調奏

楽譜を見て、別の調に変換しながら演奏すること。ハ長調の楽譜を見ながらヘ長調で演奏することなどを指す。

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