第10話 デモ演奏
翌日、お昼休みにナガピーがあたしのスマホを職員室から持ってきた。
「昼休み終わったら職員室に持って来るんだぞー」
何もみんなの前で出さなくたって、あたしが自分で取りに行くのに。当然のように凜がこっちに首を伸ばしてくる。
「何、どうしたの、あれ」
「ああ、うん……ちょっと練習のためにね。昼休みに山科にあたしのピアノのとこ弾いて貰って、録音しようと思ってんの。それ聴いて覚えて、自分が弾いたのと違ってないか確認しようと思って」
「え、山科、弾けるの?」
「昨日弾いてくれた」
それからはもう大騒ぎ。みんなさっさとお昼ご飯食べて、まだかまだかと山科を急かし(でも山科は相変わらずマイペース)一年五組がほぼ全員音楽室に集合してしまった。
あたしだったらこんなに囲まれた状態では、絶対に緊張して『ネコふんじゃった』さえ弾けないだろう。だけどそこは宇宙人・山科、昨日と同じ感じで椅子の高さを調節し、スタートの合図を待っている。
「めくるタイミング大丈夫?」
「ちょっと自信無い、指示出してくれる?」
「いいけど、そこだけピアノ聞き取りにくくなるよ。なるべく小節の途中で言うようにはするけど」
「了解。じゃ、行くよ。……スタート」
あたしは録画ボタンを押し、譜面を睨んだ。
山科は一呼吸おいて、あたしにちらっと視線を送ってから弾き始めた。
驚いた。昨日とまた演奏が違う。昨日は今日のに比べて『ただ弾いただけ』って感じだった。それでも十分凄いと思ったのに、今日はレガートとかスタッカートとか、昨日よりずっと明確に弾き分けてる。メリハリがついて軽快な感じが一層色濃くなった。
ふと見ると、みんなが息を詰めて聴いている。昨日のあたし、あんな感じだったんだろうな。
「ここにトゥ・コーダ」
山科が弾きながら教えてくれる。うん、昨日の晩、ちゃんと下調べしといた。コーダの場所も確認しといた。
「今日はリピートするよ」
「うん」
「1カッコ。戻って!」
急いでリピートに戻る。山科の演奏はブレない。
歌が二番に入ったところで、合唱部の子たちが小声で歌い始めた。あくまでも邪魔にならないように。こんな風に重なるんだ、凄い! 身振り手振りで歌いながらパート分けを決めて、ちゃんとハモリ始めた。曲になってる。合唱が出来上がってる!
「2カッコ。ダ・カーポ来るよ」
「はい」
楽譜が飛ぶところ、緊張する。見落としたら置いて行かれてしまう。
「戻って」
急いで譜面をめくる。山科がちらっとこっちを見て口角を上げる。ジャストタイミングだったんだ。山科が笑ってくれるとあたしも嬉しくなる。
合唱が伴奏にぴったり合っていて、聞いていて気持ちいい。山科のピアノと合唱部の二人、上手い人だけでやると、こんなにぴったり息が合うんだ。
「もうすぐトゥ・コーダ」
緊張する。さっき確認した場所だ。譜面の端を持つ手が震える。
「コーダ」
山科の淡々とした声が響く。合唱部二人の歌もいい感じで盛り上がってくる。
――そこに輝く夢があるから。そんな歌詞だったんだ……。
山科が軽くソファミレドってユニゾンで弾いて、勢いでパンって顔の高さまで手を挙げたのを見て、やっと演奏が終わったことに気づいた。急いでスマホの録画を止めると、山科が今までに見たことないような笑顔を見せてくれた。
みんなから一斉に感嘆の声と拍手が上がる。
「凄い、山科ってピアノ弾けたんだ!」
「めちゃめちゃうめえじゃん!」
「こんなに弾けるなら、なんでピアノ弾ける人って聞かれたとき立候補しなかったんだよ」
「最初から山科が手を挙げてれば良かったんじゃないの?」
「何、もしかして目立ちたかったの?」
なんか嫌な流れになってきた。って言うか、なんでそっちに話が流れていくの? それが信じらんない。
だけど、山科は相変わらずのマイペースだ。
「弾けるっていうのは、ラ・カンパネラとか幻想即興曲を人前で弾いて恥ずかしくないレベルのことだと思ったから。ピアノの先生に『この程度でピアノ弾けるなんて人前で言うな』って言われてたし」
山科が答えると、
「合唱のピアノ伴奏じゃん、常識で考えればわかるだろ?」
「いや、先生の言うのが常識だと思ってたから」
「常識の基準は人それぞれだからさ、青木」
富樫が横からフォローする。けど青木はそこにちょっとカチンと来たようだ。
「てかそれくらい普通だろ。空気読めよ。お前アスペかよ」
酷い。そういう言い方って無い。
これにはさすがに真由も、ムッとするのを隠そうとしなかった。
「ちょっと、それってあんまりじゃない? せっかく山科が協力してくれるのにさ。山科に失礼だよ」
「竹田の今の発言は、それこそアスペを差別してるよな。竹田は心の底でアスペを馬鹿にしてるってことだろ」
「そうじゃないよ、空気読めないからアスペとか、それってアスペの人にも失礼だし、山科にも失礼だよ」
「てかそれ差別発言」
「ちょっと、青木も真由もやめてよ」
「山科空気読めないし、ホントにアスペなんじゃね?」
あたしは山科をちらっと盗み見た。彼は表情一つ変えずにみんなの言い争いを見ている。さっきあんなにいい顔で笑ってくれたのに。滅多に笑わない山科があんなにいい笑顔を見せてくれたのに!
なんだか無性に腹が立ったあたしは、無意識に怒鳴りつけていた。
「ごちゃごちゃうるさいよ! 山科がせっかく弾いてくれるって言ってんのに、その態度って何。山科が居なかったらうちのクラスの合唱は成り立たないんだよ?」
「桑原ちょっと待てって」
「うるさい、待たない!」
「おい桑原」
富樫があたしの腕を摑んだ。あたしはそれにさえ腹が立って、思いっきり振り払ってやった。
「なんなのそれ、どいつもこいつも……。山科を馬鹿にするならあたしも弾かない! あんたたち勝手にアカペラで歌えばいいじゃん!」
「桑原!」
言ってるうちに、悔しくて悔しくて涙が出てきて、あたしは楽譜を乱暴に摑んで音楽室の出口に大股で向かった。ドアまで来たところで、誰かがあたしの腕を摑んだ。あたしは涙をぼろぼろ零しながら、振り返ってそいつを睨みつけた。
山科だった。
さっきと全く同じ表情のまま、あたしをじっと見つめて静かに口を開いた。
「僕は全然気にしてない。ピアノ、練習しよう。僕と桑原にしかできないんだから、できることをやろう」
あたしの腕を摑んでる山科の手は、華奢な体のわりに大きくて力強くて、放してくれる気なんか全く無さそうだ。嫌だと言ってもきっと「うん」というまで放さないんだろうって思った。悔しいけど、でも、でも山科の方がずっとずっと悔しい筈だ。
「……わかった。山科がそう言うなら練習する」
あたしが渋々了承すると、小さな声が聞こえた。
「なんだよ、カッコつけて」
「うるせえぞ! 誰だよ、文句あんなら俺に言え!」
まさかの森園が怒鳴った。森園は山科のこと目の敵にしてたのに?
「なあ、山科。クラス委員長として俺からも頼む。自由曲、山科に弾いてほしい。課題曲の桑原の面倒も見て欲しい」
森園が真正面から山科に言うと、彼は何度か小さくうなずいた。
「大丈夫。僕が自分で責任取るって言ったんだ。投げたりしないよ」
あの森園が山科に付いた。だけど、クラスの雰囲気は今までで一番険悪になった。
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