第16話 革命

 今日は久し振りの音楽の授業がある。この前クラスが険悪なムードになって以来だ。凜も真由もめちゃめちゃ怒ってたし、ちゃんと授業に参加するだろうか。

 あたしはどうにもこうにも気が滅入ってしまって、山科の姿を探した。だけどこんな時に限って山科の姿が見当たらない。山科も居ないし、気は重いし、音楽室に行くのがとても億劫でどうしても足が前に進まずにいると、富樫に後ろから肩を叩かれた。


「そんな顔すんな。まとまんないのはきっと今だけだよ。行こうぜ」


 富樫に背中を押されて、渋々音楽室に向かう。


「桑原が元気出さないと。どこのクラスもそうだけどさ、指揮者とピアノ伴奏がムードメーカーになるんだからさ。桑原がそんな顔してたら誰もついて来ねーぞ。山科だって何言われても堂々としてるじゃん」

「山科は強いよ。あたしはあんなに強くなれない」

「うん、あいつは強いよ。なんかいつも自分を抑えてるみたいだ。あいつが本気出したらマジでヤバいと思う。それくらい凄いものを持ってる。……だけど桑原は普通の人でゲロよわ。だからこそ俺らがついてるんじゃん」


 そうは言ってもね。富樫の存在はありがたいけど。

 あたしの曖昧な返事に、富樫が言葉を継いだ。


「なあ、山科がな、さっき俺に言ったんだよ」

「え、何?」

「革命を起こそうって」

「は?」

「一年五組に革命を起こすんだって。あいつ、ボサッとしてるようで、とんでもない野望持ってんだぜ」


 山科が、革命? 彼に最も似合わなそうな言葉だ。


「森園が言うならわかるけど、山科が?」

「俺もそれ思ったけどな」


 階段を上りながら、ピアノを弾いている時の山科の横顔を思い出す。


「あいつ、合唱を通して一年五組を一つにする気なんだよ」

「なんかそれも皮肉だね。山科が頑張れば頑張るほど、バラバラになっていってる」

「うん、悲しくなるほど空回りしてるよな。でも俺、あいつの頑張りをなんとか実らせたいんだよ。頑張ってる山科見てると、俺も頑張ろうって気持ちになれるからさ。あいつは俺の起爆剤なんだ」

「そうだね。山科って、見てるだけで『頑張ろう』って気持ちにさせてくれるよね」


 そんな話をしながら階段を上って音楽室の角まで来たとき、それは唐突に始まった。


「何だ?」

「山科かも!」


 刺さる和音、怒涛の勢いで駆け下りていく短音階、情熱的な高音部。これは!


「これ、ショパンだよ! ショパンの『革命のエチュード』!」

「え、『革命』?」


 二人同時に走り出したにもかかわらず、音楽室の入り口であたしたちは立ち竦んでしまった。圧倒的な音の前に、そこから一歩も入ることができなかったんだ。

 だけどそれはあたしと富樫だけじゃなかった。次々と音を聞きつけてやって来たクラスのみんなが、音楽室に入ることなく、全員廊下でその音に聴き入っていた。


 その時、あたしはふと思い出したんだ。

 幼稚園の時だ。もうすぐ卒園っていうときに、『ゆうと君』が幼稚園のピアノで何か難しそうな曲を弾いたんだ。あたしが「その歌、なあに」って聞いたら「ぎろっくのそなちね」って言ったんだ。あたしはその『ぎろっくのそなちね』っていう響きから、外国のお城の舞踏会で演奏されるような曲のことだと思ったんだ。そうだよ、あたしは七年前にも彼のピアノを聴いてたんだ。


 その時ボソッと誰かが呟いた。


「あれ、何弾いてんだ?」

「ベートーヴェンじゃない?」

「違うよ、ベートーヴェンって交響曲の人だよ? リストじゃないの?」


 富樫がみんなを見渡して言った。


「あれはショパンの『革命のエチュード』って言うんだ。意味、分かるだろ? あいつが今、何をしようとしてるか」

「……革命?」

「五組は今日から変わる。みんなで変えようぜ」

「本気で言ってんのかよ」

「俺は本気だ。でも山科が一番本気だ」

「俺も変える」「私も」


 森園と凛が即座に反応した。

 今日は誰も笑わなかった。あの山科の本気の演奏を聞いて笑える奴がいるなら笑ってみろ、あたしがぶん殴ってやる。


 演奏が終わり、山科は椅子の背もたれに寄り掛かって両手をだらんと下におろした。そのまま天井を見つめてボーっとしてる。

 全く空気を読まないナガピーが、後ろから拍手しながらあたしたちを押しのけて、音楽室に入っていった。


「お~、素晴らしいショパンだったなー、山科。ところでみんなそんなとこで何やってんだ? さっさと音楽室に入れ~」


 山科がやっとあたしたちに気づいて、椅子から立ち上がった。


「みんな何やってんの? なかなか来ないから待ってたのに」

「バカ、お前の演奏に圧倒されて、誰も入れなかったんだよっ」


 富樫が山科にゆるくヘッドロックをかけながら文句を言ってる。


「え、そうだったの? ごめん」


 その山科が富樫に肩を組まれながら、ナガピーに提案した。


「先生、今日から自由曲やりませんか?」

「おお、いいぞー。山科がみんなを引っ張れ。山科の好きなようにやっていい」


 山科は力強く頷くと、とんでもないことを言った。


「課題曲をやったおかげで、みんなの音域が大体わかりました。誰がどの辺りの声域かもほぼ把握できてます。それで昨日、自由曲を一年五組バージョンにカスタマイズしてきたんですけど」

「何それ」

「意味わからん」


 だろうな、あたしにもわかんない。


「このクラス専用の編曲をしてきたってことだよ」


 えええ?


「そんなのあり?」

「校外に出したら著作権とか引っかかると思うけど、校内だけでやる分には問題ない筈だよ」

「山科、それでやる気なの?」


 彼は静かに振り返るとあたしを真っ直ぐ見て言った。


「僕の本気、見せてやるよ」

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