第17話 編曲

 その日の部活の時間、驚いたことに相馬先輩と山科が仲良く並んで、何やらお喋りしながら音楽室に入ってきた。みんなそれぞれにパート練習をしている時間だから、誰も相馬先輩や山科のことなんか気にしていないけど、あたしは気になって気になって仕方がない。

 なんで山科が相馬先輩と一緒に入ってくるんだ? しかも相馬先輩、なんだか生き生きしててとっても楽しそう。あたしには関係ないのに、それがなんかモヤモヤする。


「気になったところですぐ止めて貰っていいから」

「それじゃあ流れが止まってしまうんで、最後にまとめて言いますよ」


 何の話だろう。真由も気になったみたいであたしの方に視線を送ってくる。仕方ないからちょっと首を傾げて『わからない』って意思表示をして見せると、真由もユーフォを吹きながらちょっと肩を竦める。


「ちょっとみんな合わせるよー」


 相馬先輩の一声でみんな集まってくる。何故か山科はそのまま指揮の横に座ってる。何やってんだ? 相馬先輩に呼ばれたのか?


「今日はね、アドバイザーに来て貰ってるから。紹介するね、一年の山科君。隣の電子工学部なんだけど、音楽に精通してて私より詳しいから、ちょっと聴いて貰うことにしたの。みんなそのつもりで。じゃ、山科君よろしく」

「はい」


 山科は相変わらず飄々としていて、何を考えてるかわからない。


「じゃ、アタマからね」


 相馬先輩がタクトを構える。その瞬間、山科の目つきが変わった。その鋭い視線に、あたしの心臓が跳ね上がる。

 ドキドキしながらピッコロを構える。相馬先輩があたしに視線を送り、ゆっくりとタクトが空を切る。

 この曲はあたしのピッコロでスタートするんだ。出端でしくじったらテンションが一気に下がってしまう。慎重なレガートで次のフルートにつないでいかなきゃならない。


 なんとかあたしのピッコロからバトンタッチした先輩のフルート、これがまた超絶難しい。こんな譜面書いたの誰だよって作曲者に文句言いたくなる。だけど、この曲の金管セクションが凄くカッコいいんだ、そこにつなげるために、あたしたち木管は何が何でも美しく渡さないといけない。


 フルートにクラが入る、Esクラのソロからオーボエへ。柔らかくユーフォとの掛け合いソリ。ストリングをイメージしたクラとサックスから、パーカッションが少しずつ入って次第に盛り上がっていく。ティンパニ、サスペンデッドシンバル、バスドラム、そこから一気に金管セクションが吠える。

 メロディと対旋律が追いかけっこするように絡み合い、隙間でホルンの咆哮が刺さる。ティンパニとシンバルが金管と戦い、木管が底を支える。


 散々盛り上げておいていきなりのゲネラル・パウゼ。テンポが変わり、三・四パターンで繰り返される七拍子舞曲展開。

 トライアングルがシンコペーションで入り、タンバリンが短いトレモロを引き連れて刻みに入る。妖しげなアラビア音階でゆるく上昇と下降を繰り返すフルート、艶めかしいサックスのメロディ。


 ふと、相馬先輩の横で微動だにせずスコアを見つめている山科が目に入った。彼は今、何を考えているんだろう?

 しばらくして演奏が終わり、相馬先輩がタクトを置いた。


「山科君、どうだった?」


 山科はしばらく考え込んでいてなかなか言葉を発しなかった。


「悪くはないです。細かいことを言い出したらきりがないので、今は全体の話だけですけど。うーん、なんて言ったらいいかな、逆に細かいことはいくらでも言えるんですけど、全体の話となるともうこれは編曲の話になっちゃうので」

「編曲?」


 相馬先輩が山科の顔を覗き込む。部員もみんな山科に注目してる。


「はい。これ、原曲はオケなんです。それで、吹奏楽アレンジになってるんですが、本来これピアノが入るんですよ。ストリングパートをクラやサックスに渡したとしても、ピアノだけはどうにもならないんです。その部分がどうしても薄っぺらくなってしまう。楽団のせいじゃなくて、スコアのせいなんです」


 言いながら山科はピアノの蓋を開けてそこに座った。


「例えばCに入ったところ、ここにはピアノのスケールがずっとバックに入ってるんです。Dではドミナントモーションの役割を担ってる。それが抜けちゃってるんですよ。試しにそこ、ピアノ入れますからCから振って貰えますか」

「うん、わかった。みんなCから入るよ」


 相馬先輩と同時にみんなが楽器を構える。山科が指揮者を視界の隅に捉えてるのがわかる。タクトが動き出すと同時に、先ほどのクラとサックスにピアノのスケールが乗る。いや、逆だ。ピアノのスケールにクラとサックスが乗ってる。パーカッションが入ってきて金管メインのD、ピアノがスケールから和音連打に変わる。ドミナントモーションってのは聞いたことないけど、コードの変わり目がスムーズに且つダイナミックに変わったのはあたしでもわかる。


 ふと山科が左手を挙げて、開いた手で空を摑むようにすっと握る。ストップの合図だ。相馬先輩は山科が手を挙げると同時にそれを読み取り、彼とほぼ同時に「止め」の合図を出す。演奏がぴたりと止まる、さすが相馬先輩だ。


「今の感じわかりますか? これが原曲なんです」

「これめちゃめちゃカッコいいじゃん! 山科君、原曲聴いたことあるの?」

「いえ、演奏自体はここの吹部が初めての楽団の筈です」

「じゃあなんで知ってるの?」


 山科が何か言おうとして目を伏せた。そんな山科に相馬先輩は畳みかけるように疑問を投げかけた。


「ねえ、まさかと思うけど……この作曲者のユウト・ヤマシナって……」


 え? ゆうと?


「僕です」


***


 そりゃー知ってるよな、作曲者本人なんだから!

 おかしいと思ったんだよ。デモ演奏は聴いたことが無い、どこの楽団も演奏したことが無い、それなのに山科は知ってる、原曲にピアノが入ってることも良く知っていて、すぐに弾ける。あのナガピーが特殊なルートで入手したスコアを何故か山科も持ってる。


 ――当たり前だよ、出どころが山科なんだから!


 しかも、これを聞いちゃった相馬先輩が黙っているわけが無くて、電工の合間でいいからピアノ弾きに来てくれとか言い出して、文化祭は山科のピアノ入りでやることになってしまった。山科はイマイチ乗り気じゃなさそうだったけど、相馬先輩の情熱的な説得によって「うん」と言わされてしまった感じだ。先輩も最後の舞台だから最高の演奏で締めくくりたいんだろうっていうのはわからなくもない。


 山科の性格から言って、「電工の合間でいい」と言われても、きっと合奏を最優先して、パート練習の時に電工の方をやるんだろうな。なんかもう手に取るようにわかるよ。


 あたしは山科と一緒に演奏できるのを嬉しく感じるとともに、どうにも何かモヤモヤするものが胸の奥底に残るのをも同時に感じた。そのモヤモヤの正体はあたし自身にはわからなかったんだけど。

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