第5話 マッドサイエンティスト

 フルートも随分慣れて、最近やっとマッピだけの練習から、楽器をつけた練習にグレードアップした。今はまだ難しい曲はやらないけど、それでも曲らしい曲をやらせて貰えるようになった。

 こうなってくると俄然楽しい。楽器屋さんに行ってフルートの曲集なんか買って、家で練習することも増えた。早く上手になって、先輩たちと一緒に難しい曲にもチャレンジしたい。


 七月を目前にしたある日、顧問のナガピー(担任だけど)がみんなに新しい楽譜を配った。特別な入手経路を使って手に入れた曲の楽譜なんだって。まだ一般公開されてない新譜らしい。だからデモ演奏なんかも当然ない。自分の音が間違ってるかどうかのチェックもできない。慎重に譜読みしなくちゃならないらしい。

 でもナガピーはなんだか得意げだ。「みんなが世界初の演奏者になるんだぞ。凄いだろう?」って。この世界のことはまだよくわかんないけど、きっと凄いことなんだろう。

 それにしてもナガピー、いったいどんな経路で入手したんだか。もしかしてナガピーって、作曲家とかとつながってたりする凄い先生なのかな? そうは見えないけど。


 譜面を見てびっくりした。五拍子だったんだ。この世に五拍子の曲なんてものがあるのさえ知らなかったよ。もちろん部長はいろいろ知ってて「変拍子の代表と言えば『展覧会の絵』の『プロムナード』でしょー」なんてさらっと言ってたけど。

 何枚かめくって行って、だんだん自信がなくなってくる。五拍子どころじゃない、三拍子になったり、半拍だけっていうのかな、八分の一拍子が一小節割り込んでいたり、なんか凄い楽譜だ。これ、あたしたちがやるのか……。

 先生の説明では、コンクール用ではなくて文化祭用だって話だから、十一月までに仕上がっていればいいらしいんだけど。とにかくド素人の一年生をドン引きさせるには十分すぎる譜面だった。


 初めて見る『凄い譜面』に頭を悩ませ、気分転換に音楽室を出ると、隣の電子工学部に宇宙人・山科の姿が見えた。

 真剣な目ではんだごてを握って、何かの基盤をはんだ付けしてる。色とりどりの線が彼の周りに無造作に散らばり、さながらマッドサイエンティストの様相だ。それがまたよく似合ってる。これで白衣なんか着てたら、もうそれだけで科学者っぽい。山科って一体何考えて生活してるんだろうな。どんな脳みそしてるのか見てみたいよ。

 そう言えば、中間テストのこと森園と話してた時、「漢字が覚えられない脳の作り」って言ってたな。本当にそういう脳があるのかもしれないな。あたしなんかきっと「大事なことは覚えられない脳の作り」なんだよ。はぁ、やれやれ。


 彼の科学者然とした横顔を眺めていたら、はっと思いだしたことがあった。

 そうだ、すみれ組の時だ。

 彼は幼稚園の頃からあんな感じだった。みんなが外でブランコやら三輪車やらお砂場遊びに勤しんでいる時、彼はいつもブロックを組み立てていたんだ。雨の日もお天気の日も、暑い日も寒い日も、いつだってブロックをやっていた。三年間毎日だ。


「ゆうとくんもおにごっこしよう」って何度も誘ったんだ。でも『ゆうとくん』は顔を上げてあたしを一瞥して「しない」とだけ言ってずっとブロックをしてたんだ。

 一度「何を作ってるの」って聞いたことがあった。そのとき彼は何と言っただろうか。覚えてないことから想像するに、きっとあたしには理解できなかったんだ。


 あたしがぼんやりと見ていたら、視線に気づいたのか、山科がこっちを向いた。目が合ってしまって、軽く手を振ると山科が「なに?」と聞いてきた。「別に」と言おうとして、思いとどまった。聞きたくなったんだ。


「ねえ、幼稚園の時さ、毎日何か作ってたよね、ブロックで。あれ、何作ってたの?」


 山科は唐突な質問であるにもかかわらず、全く動じる様子を見せずに「ああ、あれね」と言った。


「可変ギアだよ。当然あの頃はそんな言葉は知らなかったけど。災害救助用ロボットの設計をしてたんだ。おばあちゃんちが地震の被害に遭ったから。でも幼稚園にはあのソフトブロックしかなかったから、せめてギア部分の構成だけでも考えられないかと思ってさ。今考えると、どうでもいいことを考えてたなとは思うけど、あの時の下地があるから、今いろんな構造が考えられるようになったんだと思えば、無駄なことは一つも無かったって思えるかな」


 聞いて理解できるようなことじゃなかった。でも、「わかんない」って言ってはいけないような気がした。わかんないことをわかったふりはできないけど、「わかんない」って言葉は、彼には凄く、なんていうか、突き放すっていうか、拒絶してるように聞こえるんじゃないかって、そんな気がした。

 だから、あたしは、自分にしては珍しいほど言葉を慎重に選んだ。


「そっか、難しいこと考えてたんだね。続き、頑張ってね」


 あたしは山科の邪魔をしちゃいけないなということだけがよくわかってそこを立ち去ろうとしたんだけど、なぜか山科に呼び止められた。


「フルート。吹いてるの誰?」

「え?」

「フルートだよ。誰が吹いてるの?」


 山科から楽器の名前が飛び出すとは思わなかった。


「あたしだけど」

「ああ、桑原だったんだ。桑原ピッコロ吹ける?」

「へ? あ、まだ吹いたことないけど」

「同じだから。フルートと。練習しといた方がいいよ」

「なんで?」

「そのうちに必要になるから」


 もっと突っ込んで聞きたかったけど、またよくわからない説明をされそうだったから聞くのはやめた。


「うん、わかった。練習しとくよ。じゃあね」


 あたしは相変わらず真顔の山科に微妙な笑みを返して、第一音楽室に戻った。

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