第1章-4 何に対してイライラ?
「レイカさん、お疲れ様です。今日も晴れて良かったですね。」
せめて場所を変えてスズヤさんを回避しようとした努力も空しく、目の前には相変わらず爽やかな笑顔でスズヤさんがいた。
まあ、しょうがない。バイオリンの君の音が聞こえてくる範囲でしか場所替えをしていないから、突き止められてしまうのも無理はない。しかし、ここはいつもの場所からは死角なのに、なんだって探られてしまうのか。営業で鍛えた足と勘というものなのだろうか。ここまでして近づく理由は何なのだろう、私に本当に気があるのか無いのか?
「ええ、本当にいい天気。」
今日もバイオリンの君の音楽が聴けないのは確定だ。あのアクティブな姿が観られなくても、せめて音だけでも聴きたかったのに。ひどくガッカリだが、彼は気づいていないようだ。
なんなんだろうなあ、この人。
ミカちゃん曰く私は何者かの嫌がらせを受けているらしい。鈍いから全然気づかなかったが、こんな調子で私が全然応えていないのが相手を苛立たせたらしく、昨日はパソコンで作成したと思われる「彼とは別れろ。」という紙がデスクとロッカーに入っていた。別れるも何も付き合っていないのだが、少なくともスズヤさんのことを好きな誰かからは悪意を向けられているのは確かだ。
ミカちゃん情報では彼女がいると聞いたから、怪文書の主はその彼女なのか、それとも複数いると言われている元カノなのか。
悩んでも仕方がない、今日は家で作ってきたお弁当を広げはじめた。昨日は夕飯を作りすぎたのだ。
「あれ?今日はレイカさんはお弁当なんですね。家庭的なんだなあ。食べてみたいなあ。」
露骨な言葉でも褒められると悪い気がしない。本当にイケメンは罪だ。
「そんな褒めてもあげませんよ。彼女さんに妬まれちゃう。」
私はとりあえず牽制球を投げてみる。
「え?彼女?いませんよ、そんなの。正確にはこないだ別れちゃったんですけどね。」
球は大きく逸れてしまったようで効いてない。というか、まあ、彼女はいないってこの場では言うよね。それとも本当に今はいなくてあの怪文書は元カノの誰かなのか。
「いつかレイカさんの手料理食べてみたいなあ。」
普通に考えれば好意を持たれてる台詞だし、ウキウキする所だけど、勘弁してください。怪文書の主に聞かれたら、それこそお弁当にカミソリでも仕込まれかねない。
返事に詰まっていると、何かを察したのかスズヤさんは顔を覗きこむようにして話しかけてきた。
「レイカさん?元気無いですね。何かありましたか?」
スズヤさんのせいで、なんてことは言えない。彼が原因ではあるが、彼自身には関わりがないことだ。
「あ、話したくないなら今はいいですよ。でも何でも話してくださいね、僕は味方ですから。」
また爽やかスマイルで話しかけてくる。何をもって味方なのか、連日の甘い言葉も続くと胃もたれする。今日はランチを早く切り上げよう。今日もバイオリンの君の演奏が聴けないが、しょうがない。これ以上はいろいろ耐えられそうにない。
「すみません、午後イチで課長に提出する見積書の校正をするので、今日は早めに切り上げます。」
「あ、そうなんですか。じゃあ、また。」
ちょっと虚を突かれたような顔をしてスズヤさんもあわただしく片付けを始めた。同じ方向へ歩いてくるかと思ったが、また取引先と連絡なのだろう。電話を操作しながら反対側の方へ歩いていった。
私も会社へ戻るべく、歩き始めた。ちらっと噴水近くを見たが、バイオリンの君はいない。毎日いないという訳ではないが、スズヤさんが現れて以降、会話に気を取られて聴くことに集中できない。それもカウントするとバイオリンの君の演奏が聴けない日は今日で土日除いて13日連続となる。
嫌がらせよりも演奏が聴けないことの方がイライラしていた。あのアクティブで楽しそうな演奏をいつになったら落ち着いて聴けるのだろう。もうすぐ梅雨になるし、聴ける日数がさらに減ってしまう。いっそ、土日もここへ来た方が時間を気にせずに聴けるかもしれないな。
とりあえず、口実に使った見積書の作成を本当に行うか。現実に切り替えないと。
「確か引き出しに課長の添削が入った見積書があったな。清書しないと。」
私は独り言をつぶやき、ちょっと小走りに会社へ向かった。
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