18話 俺のドラゴンは最高なんだ!
あらゆる幻獣には魂の欠片、つまりMPが入っている。幻獣はほんの少しではあるがMPを自ら生産し、操れるのだ。千体の幻獣が敵に回るとなると、俺とニクスのMP総量を余裕で超える。
MPだけではない。家を押しつぶすほど巨大なクラーケンの触手は俺の胴回りより太く、俺達を三周包囲できるほど長い。あれは筋肉の塊だ。殴られれば即死する。蒼天犬の索敵能力は逃走を許さないだろう。ユニコーンやカーバンクルの回復能力はこちらの反撃を無意味にする。河童の知性はこちらの行動を読み、封じてくるだろう。
これはもう、絶対に勝てない。
アリスの言うと通り、子供の癇癪だったのかも知れない。ここでアリスに勝っても何が変わる訳でもない。ムカついたから、という理由で殴りかかり、それさえ失敗した。
俺の味方をしてくれたニクスはこれから
もう逆らう気力も失せた。戦力差だけではない。俺の愛した幻獣がクソ野郎に奪われ、唯々諾々と従っているという事実に心が折れた。
「ニクス」
「ん?」
「
「……うん」
「俺も働く。高校通いながらか辞めるかは分からんが。二人でひと部屋借りて家事分担すれば、まあ、なんとか暮らしていけるだろ。有栖河財閥が邪魔してくるなら外国に高飛びしてもいい。俺の叔父さんが外国にいるんだ。きっと面倒見てくれる」
「ん、ありがとう。家事は得意だから期待して」
「失敗して野垂れ死ぬかも知れん。あのままアリスに従ってた方が良かったと思う日が来るかも知れん。俺に任せろとか、幸せにしてやるとか、絶対大丈夫なんてカッコイイ台詞は言えないが……どんな事になっても一緒にいる。信じてくれ」
「ヒプノスは最高にカッコイイよ。私もずっと一緒にいる」
静かに言ったニクスが手を伸ばしてきた。俺は手だけ人間に戻し、それを取った。
ニクスの体温が分かる。決意が分かる。
現実でも夢でもアリスはどうしようもないほどの力があった。どうあがいても一般人は金持ちに勝てないし、誠実な人間より卑怯者の方が強い。残酷な摂理だ。
しかしそのアリスでも、人の心までは支配できない。
「そんなに悲観する事は無いわ。力の差は分かったでしょう? 今からでも頭を下げればそれなりの待遇で迎えてあげる。私は心が広いから、ニクスも許しましょう。罰は与えるけど」
「断る」
「嫌です」
俺達は即答した。ここでアリスの靴を舐めるぐらいなら最初から殴りかかっていない。
「そう。そう! あなた達、やりなさい!」
アリスのヒステリックな叫び声に、幻獣達が動き出す。俺達は身構え……空を見上げた。幻獣達もピタリと止まった。
辺りが暗くなっていた。太陽を隠す巨大生物の影になっていたのだ。
一瞬後、地響きと共に幻想の支配者が数匹のゴブリンを踏み潰して地に降り立った。その存在するだけで沸き起こる熱気に当てられ干からびそうになったクラーケンが慌てて後ずさる。
ドラゴンが来た。
「騒がしいな」
「……ええ、この二人が私とあなたの取引を邪魔しようとしたの」
君臨する真の支配者と告げ口する自称支配者は並べてみると哀れなほど格が違った。全てが違う。
負けるならドラゴンに負けたかった。こんなまがい物にさえ勝てないとは。自分が情けなくなる。
ドラゴンはそうか、と言い、俺達を見て、幻獣達を見て、アリスに目を戻した。
「中々面白い催しをしているようだな」
「愉快では無いわね。格の差も分からない愚か者に罰を与えるところよ」
「ふむ。我が手伝ってやろう」
「ええ、お好きに」
どうやらドラゴンもリンチに加わるらしい。アリスの軍門に下った幻獣に嬲られるより、まだ救いはあるだろうか。
投げやりに言ったアリスは後ろに下がり、
背中を突き飛ばされたよろめいた。
「何を――――」
振り返ったアリスは言葉を失った。雲雷猿が毛を逆立ててアリスを睨んでいた。蒼天犬は牙を剥き出し、ゴブリンは棍棒を脅すように見せつける。
敵意に満ちた千対の瞳がアリスを包囲していた。俺達の包囲は解け、完全に放置されていた。
……なんだこれは。どういう状況だ? ワケが分からんぞ!
「ちょっと何? どうしたのあなた達」
「愚か者に罰を与えるのだ」
「は、はあ? きゃっ!」
アリスはルーン熊の野太い腕に掴まれ、地面に押し倒された。頭を掴まれ、顔面をぐりぐりと地面に擦りつけられる。
俺もニクスも状況について行けない。何が起きているんだ。ドラゴンはアリスの味方なのではなかったのか。
ドラゴンは地面に強制的に這いつくばらされたアリスを見下し、冷酷に言った。
「愚か者め。良い夢は見れたか? 借り物の力で支配者を気取りさぞ愉快だったろうな?」
「……そう、これはあなたの仕業なのね。今すぐ私を開放しなさい。取引を無効にするわよ!」
「それは強迫しているつもりか? 取引などどうでも良い」
ドラゴンはアリスの脅しを一笑に伏した。
「始めから貴様は我の手の上で踊っていたのだ。疑問に思わなかったのか? 貴様に噛み付く幻獣がいない事を。貴様が与える物全てを喜んで受け取る事を。貴様の命令に従順である事を。全て、この我が、そうしろと命じていたからだ。幻獣は須らく我の創造物。我が命ずれば白も黒となる」
「な、なんでそんな事を」
「貴様のような奢り高ぶる人間は徹底的に打ちのめしてやらなければ己が矮小な屑である事を自覚できぬ。全てを支配したつもりだったのだろう。さぞ満足したであろう。当然だ。全て我がそうなるよう取り計らったのだから。貴様は何も成しておらぬ。何も得ておらぬ。幻の果実をもいで愚かにも喜んでおっただけの事だ。このちっぽけなあばら家も砂上の楼閣に過ぎぬ」
そう言ってドラゴンは首をぐるりと回し、強烈なブレスを吐いた。熱風が吹きすさび、一瞬にして砦は焼け焦げた更地と化した。
アリスは過呼吸を起こしたように喘ぎ、言葉を絞り出す。
「あ、あなたは財宝が欲しいのでしょう! 私を」
「黙れ、耳が腐る。貴様がこれまでに献上した品を検分し、我は既に芸術の何たるかを学習した。用済みだ。己が牙も爪も持たぬ欠陥生物である事を自覚するがいい」
絶句したアリスをドラゴンは更に追い詰めていく。完全に心を折りに行っていた。独壇場だ。ドラゴンの一言一言を聞くたび、アリスの顔が面白いように白くなっていっていた。
ざまあ見ろ、という気持ちの前に畏敬混じりの恐怖が沸き起こる。ドラゴンを敵に回すこの恐ろしさ!
「貴様の罪はこの世界を軽んじた事だ。
「そ、それはヒプノスもニクスも同じでしょう!」
「いいや、奴らは貴様とは違う。ヒプノスは現実でも可能ならばそうしたであろう。ニクスも同様の覚悟がある。我は全てを聴いていた。故に理解できる」
ドラゴンは首をもたげ、アリスの耳元で囁いた。
「貴様は何者にも劣る、屑だ」
アリスは呆然自失し、表情が抜け落ちた。無理もない。ニクスに離反され、手に入れたと思った幻獣は幻で、全てを失ったのだ。いや、最初から何も持っていなかった事を突きつけられた。
ドラゴンは満足そうに吐息を漏らし、首を戻して宣告する。
「現実に戻れば我から開放されると思うな。この時から貴様が
真っ白になっていたアリスの顔に生々しい恐怖が刻まれた。
アリスにも身に覚えがあるのだろう。
全てアリスの自業自得だ。しかし流石に哀れになった。睡眠は生物に必須の生理現象である。数日の徹夜程度ならば眠いで済むが、それが数週間、一ヶ月ともなれば、発狂して死に至る。
「夢も見られぬ眠れぬ夜を過ごせ。夢を恐れよ。我を畏れよ。そして狂い死ぬが良い」
ルーン熊がアリスを離し、後ろに下がった。動かないアリスにドラゴンが顎を開いた。莫大な熱量を凝縮した塊が生成されていく。
衝撃に備えて俺は身構えた。夢で殺し続け、現実でも殺す罰は過酷なものだが、止めようとして巻き添えを食っても堪らない。そんな好意はなかった。
これで決着だ。
俺はそう思ったが、思わなかった奴もいた。
ニクスが足をガタガタ震わせながら、アリスの前に立ちふさがったのだ。何してるんだお前。今日は奇行が多いくないか?
ドラゴンは顔を歪め、ブレスを中断した。
「どうした人間。ああ、貴様自身の手で殺したいのならば許す。その方がそのゴミも苦しむであろう」
「ここで殺してしまうのは仕方が無いと思います。でも
「……ほう?」
「ひっ!」
ドラゴンの唸り声と共に、濃密な殺意が撒き散らされた。円を作って様子を見ていた幻獣達が次々と失禁し、逃げ出し、気を失っていく。俺も漏らしかけた。
「よせニクス! お前も死ぬぞ! 現実で死ぬ! ドラゴンはマジでやる!」
「わ、私はお嬢様に救われたから! ここで助けないと私は人じゃなくなる!」
「人間なんてクソだ! いいだろうが人じゃなくなっても!」
「よくないっ! ドラゴン様、私を認めて下さるのなら、私に免じてどうかお嬢様の減刑を! 反省の機会を下さい! 私が必ず、必ず正してみせます!」
「調子に乗るなよ
ドラゴンの顎に再び火が灯る。ニクスは完全に腰が引けていた。足だけでなく全身をガタガタ震わせ涙を流し、呼吸がおかしい。
それでもアリスの前から引かなかった。
俺はドラゴンの前に飛び出し、ニクスを引きずり戻そうとした。ドラゴンはニクスもアリスと同罪と見なしつつある。こんな屑と心中するなんて馬鹿馬鹿しい。
恩がどうした。そんなもの、もう返しきったはずだ。むしろ返しすぎた。
「ニクス! いいから、どけ!」
「ごめんヒプノス、一緒にいられる時間、短くなりそう」
「……いいえ。どきなさい、ニクス」
テコでも動かないニクスだったが、後ろから思わぬ援護が入った。アリスが立ち上がっていた。酷い汗をかき髪がべっとり頬に張り付き、死人のような顔をしている。しかし震えはなく、堂々と立っていた。
「私は負けたの。ニクスの仕事は私の手足となって動く事。支配者である私の仕事は責任を取る事よ。ここで私を庇うのはあなたの仕事ではないわ。ニクス、どきなさい」
アリスの言葉に迷いは無かった。
本気で言っていた。本気の目だった。
アリスは間違いなく屑だが、潔い屑だった。
「お嬢様、考え直して下さい。あのドラゴンはやると言えばやります! 下がって下さい!」
「ニクスはヒプノスの味方をすると決めたのでしょう。中途半端は辞めなさい。私に人望が無かったと諦めさせて。ここでニクスの献身にしがみつけば、私は支配者ですら無くなるわ。ほんの少しでいい、誇りを持って死にたいの。だからどきなさい、
アリスはそう言って凄んだ。ドラゴンとは比べるべくもないほど小さな体。心も小さい。やる事も小さい。だが支配者を自称するだけのプライドがあった。
俺は「幻獣」。
ニクスは「魔法」。
どうやらアリスは「支配者」のこだわりを持っていたらしい。
しかし、ドラゴンには
アリスは突然見えない力で宙に浮き、放たれたドラゴンのブレスによって跡形もなく消し飛んだ。一瞬の事で、ニクスの伸ばした手は届かなかった。
アリスは消え、心に敗北を刻まれた。
幻獣達はいつの間にかいなくなり、遠くに森へ帰っていく後ろ姿が見えた。パソコンやタバコ、菓子はその場に捨てられ、踏みにじられている。
悪は消え、全てが元に戻ったのだ。
しかしニクスはポロポロ涙をこぼし、俯いていた。
ニクスは今何を思っているのだろうか。複雑過ぎて俺には分からない。だから黙って抱きしめた。
俺の胸の中でニクスが泣いている。それが酷く悲しかった。
俺はずっとアリスをぶっ飛ばすだけで事態は解決しないと考えていた。
どうやら、ぶっ飛ばしても解決しないらしい。
翼を広げて飛び立とうとしているドラゴンは、俺に話しかけてきた。
「浮かない顔をしているな、ヒプノス」
「ああ、なんというか……上手くいかないもんだな。結局俺は何もできなかった。ドラゴンが全部やってくれた。俺がいる意味なんてなかったと思うとな」
「仮にも我が創造主が無意味な自虐をするな、腹立たしい。我は貴様に
ドラゴンはそう言って牙を剥き出した。威嚇の仕草ではなかった。もしかしたら笑ったのかも知れない。
現実は厳しい。色々な事が複雑に絡み合い、なかなか思うようにいかない。
しかしここは夢の中だ。現実ではない。夢の中でぐらい、夢を語ってもいいのではないだろうか。
ハッピーエンドをトゥルーエンドに。
まだ俺にはやる事がある。俺はドラゴンに語りかけた。
「ドラゴン、お前は全ての支配者だろう」
「当然だ」
「その支配者がアリスを殺して終わりか? アリスの捨て台詞を聞いただろ。心は折れたが誇りは折れてないぞ」
「何が言いたい?」
「アリスを支配しろ。支配者を支配して、誇りを折ってやれ。誇りを持たせたまま殺すな。殺すのは誇りを折って本当に全てを奪ってからの方が良い」
「…………」
ドラゴンは沈黙した。
俺は黙って沙汰を待った。ニクスも泣き止み、固唾を飲んで判決を待っていた。
やがて、ドラゴンは重々しく口を開いた。
「考慮しよう。だが、人間如きが我に命令するな」
「あっすみませぐああああああああーっ!」
俺達は焼き払われ、強制的に現実に戻された。
夢はひとまず終わった。ニクスは現実で、アリスと話合うだろう。アリスは見えていなかった現実と向き合えるだろうか。
俺も夢に夢中で手を付けていなかった夏休みの課題をそろそろ片付けなければいけない。
ようこそ、現実へ。
今日も夏の日差しが厳しい。卵が焼けそうなアスファルトを汗を垂らしながら歩き、俺は喫茶店に逃げ込んだ。
冷房が効いた喫茶店は天国のようだ。クーラーという発明は人間の数少ない良いところの一つである。
店内を見回すと、奥の席でニクスが笑って手を振っていた。接客に出てきた店員に待ち合わせをしていると告げ、ニクスの方へ向かう。
ニクスの対面に座り、とりあえずアイスコーヒーを注文する。ニクスの隣に座ったアリスは目の下にクマを作りぶすっとしていたが、死相は出ていなかった。相変わらず傲慢そうで、メニューの一番高いパフェを注文していたが、どこか吹っ切れたような雰囲気を感じる。
店員が下がる。ニクスは口を開きかけたが、隣の席に他の客がいる事に気付き、一度口を閉じた。
やがて上手い話の枕を思いついたのか、ニクスは話しはじめた。
「昨日見た夢の話なんだけど」
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