昨日見た夢の話なんだけど

クロル

一章 夢見る人々

一話 俺のドラゴンは最強なんだ!

  もしも時間を止められたら、試験の答案を盗み見たり始業ギリギリまで寝たり動物園に侵入してペンギンを冷蔵庫に入れたりしたい。

 もしも使い切れないほどの大金を手に入れたら、新しいパソコン買ってンまい棒を大量発注して部屋を埋めて大型水槽買ってピラルク飼いたい。

 あんな夢こんな夢いっぱいあるけどみんなみんなみんな夢に過ぎない。荒唐無稽なもうそうを叶えられるのは夢の中しかない。21世紀に生きる男子高校生には、普通夢を現実にするだけの財力も権力もありはしないのだ。行動力すら無い事が多い。日本人の傾向として事なかれ主義というか、周りから浮くほど強力に自分の主義主張を押し通そうとするのを嫌う事が多い。

 

 その点、夢は良いものだ。夢の中ならなんだってできる。頑張らなくていいし、何をしても目立たない。

 パンチ一発で星を粉砕し、無限に黒毛和牛ステーキを食べ、アメリカグマと縄張り争いできる。なんだってできるが、夢は制御できない。人は自分で見る夢は選べない。が、何にだって例外はある。

 明晰夢めいせきむというものがある。夢の中でこれが夢だと自覚し、夢の内容を自分の意志で変更できる特別な夢の事で、誰でも見る可能性がある。滅多に見れないが、明晰夢の中では誰でも何でもできる。神にだってなれる。


 その滅多にない明晰夢を、俺は見ていた。どこまでもつづく丘陵、背の低い青々とした草が風になびき、太陽が柔らかく照っている。イギリスの田園風景を思わせる牧歌的な光景だ。草の青臭さに、自分の心臓の鼓動まで感じる圧倒的リアル。草原に人魂のようなものがちらほら漂っているのは一体どういう潜在意識の現れなのか知らないが、それがまた現実感と非現実感を同時に実感させてくれる。

 そう、ここは夢の中。


 ペンギンが見たい、と思えば、ペンギンが出てきた。白い柔そうな腹、黒い背中、喉元とクチバシの橙色のアクセント。ボテッと足元に落ちたキングペンギンは、俺を見て驚いたような鳴き声を上げるや否や、腹這いになってフリッパーをばたつかせ逃げていった。

 だ、出せる、出せるぞ! なんだって出せる!


「エゾシカ!」


 枝分かれした角を持つ偶蹄目が現れ、じりじり後退した後一目散に逃げて行く。 


「トキ!」


 日本を象徴する鳥が群れを成して大空へ羽ばたいていく。


「お、おおおおおおお……!」


 神! 俺は神になった!

 イリオモテヤマネコを大量召喚して贅沢な獣臭さを堪能し。

 一度はしてみたかったスカンクの分泌液を浴びて悪臭に悶える。

 これが神の力!

 心が震える。素晴らしい。涙すら出てきた。まあスカンクの分泌液は下手すると失明するぐらいだから。それだけではないが。


 数十分か、数時間か。思いつく限りの動物を召喚し、やってみたかった事をやりまくり、見たかった物を見まくる。やりたい放題だ。なんだってできる。現実世界に神というものが実在するなら、毎日毛皮と鱗に囲まれてさぞ幸せな事だろう。

 しかし貴重なシーラカンスのエラ呼吸シーンを観察した後、ふと我に返った。


 夢は覚めるものだ。次にいつ明晰夢を見られるか分からない。ここは夢でしかできない事をしておくべきではないか。

 貴重な動物、珍生物を創るのは良い。絶滅してもう現実では見られない動物を創るのはもっと良い。

 だがここが夢の中なら。実在しない生物、幻獣すら創れる。


 昔からずっと幻獣が好きだった。夢にまで見るほど恋焦がれ、そして今夢を見ている。あまりにリアリティが高かったものだから、半分現実気分で実在生物ばかり創っていたが、ここで幻獣を創らない手はない。

 創る生物はすぐに思い浮かんだ。


 ドラゴンだ。


 ドラゴン、幻獣の王。

 家よりデカい見上げるような巨体。隕石すら弾く鱗。一息で湖を干上がらせるブレス。一振りで城を粉砕する尾。音より速く飛翔する翼。全ての賢者を平服させる英知。揺ぎ無い傲慢さ。何ものにも屈しない誇り高さ。鋭く逞しい角。覇気が凝縮した黄金の瞳。無限に溢れ出る魔力。人類史より長い寿命。


 ヒカリモノが大好きで!

 スレイしに来た勇者を喰い千切り!

 怒りの咆哮に世界が怯える!


 そんな絶対者を、俺は見たい。


 鱗の一枚一枚。瞳の虹彩。尾の長さ翼の湾曲角の鋭利さ舌の厚さに至るまで、しつこくねっとり完璧に想像する。

 俺は幻想ファンタジーを信じていない。魔法や超能力、ゴーストに予言。あればいいのにと心底思っているが、同時に存在しないと確信している。壁のシミや写真のブレを霊の仕業と誤認する奴は、偽物の幻想を本物の幻想に仕立て上げているだけで、本物の幻想を探索し検証し立証する努力をしていない屑だ。本物の幻想に対する侮辱ですらある。本物の幻想が存在するのなら、だが。


 俺は幻想を信じていないが、幻想が大好きだ。特に幻獣。

 絵に描き、3Dモデルを作り、粘土模型を作り、もし実在するならどういう体格なのか構造なのか生態なのかを考察し考証し体系化しノートにびっしり書き込んできた。

 幻獣を夢にまで見るほど執着し、そして今、その執着が形を成す。夢の中で。


 いでよ、ドラゴン。


 どんな金属よりも頑強で、絹のようにしなやかな骨が虚空に現れる。これを完璧に妄想するために、俺は恐竜博物館に通いつめ何十時間も舐めまわすように骨格標本を観察した。

 骨に包まれ寄り添うように生々しく脈動する内臓が現れる。これを完璧に妄想するために、俺は精肉業者の方に頼み込み何十時間も見学し、ネズミや魚やトカゲを捕まえ自分でも解体した。

 内臓と骨を覆うように強靭な筋肉が現れる。これを完璧に妄想するために、俺は医学書を読みあさり、スポーツジムでアスリート達を観察し、カエルの足に電気を流して筋肉の収縮を調べた。

 筋肉を覆う表皮と鱗が現れる。これを完璧に妄想するために、俺は恐竜図鑑の彩色デザイナーの画集を買い集め、何十種類もの爬虫類の鱗を擦り切れるまで撫で回してきた。

 角が生え、尾が伸び、翼が広がり、爪が輝く。これを完璧に妄想するために、俺は動物園とサファリパークで生の猛獣を朝から晩までずっと眺め、飼育員を拝み倒して欠けたり抜けたりした爪牙を貰った。

 精巧な模型のようなドラゴンに生命が宿り、底知れない覇気が吹き上がる。これを完璧に妄想するために、俺は各業界のトップ、カリスマ達に会う機会を全て逃さず、頂点のなんたるかを肌で感じてきた。


 地響きをたて、ドラゴンが重々しく草原に降り立つ。体から発せられる熱気で周囲の草はたちまち萎れ、黒ずみ、炭化して塵になった。

 ドラゴンは頭を上げ、火の粉が混ざる鼻息を吐き、その全生物の支配者たる金色の瞳を開けた。

 途端に、空気が何倍にも重くなったかのようだった。凄まじい威圧感。生命の躍動。


 知性溢れる高圧的な瞳をギョロリと動かし、ドラゴンは広大な草原と、目の前のちっぽけな俺を睥睨している。そこには明確な観察と値踏みの意思があった。

 最強最優の幻想が、ドラゴンが、動いている。生きている!

 頬を涙が伝った。

 例え起きれば消え去る夢でも、嬉しかった。幻想ゆめの中にしか、幻想ドラゴンは存在できない。


「この爪! 鱗! 牙ッ! つえー! ドラゴンTSUEEEEE!」


 ドラゴンに駆け寄り、ぐるぐる周りを回ってそこにあるだけで放射される溢れんばかりの熱波を堪能する。

 ああ~、近づくだけで肌が乾燥して萎びていくゥゥゥゥ!

 これでブレス吐いたらどうなってしまうんだ!

 どうなって! しまうんだ!


「ブレス! ブレス! ブレス吐いて下さいよぉ! こう、ブアアアアッとなぎ払って! 焼き尽くせェって感じで!」


 ドラゴンの前脚を引っ張って催促しようとすると、前脚に触れる寸前に背中に衝撃が走り、気づけば地面に尻尾で抑え込まれていた。


「ほげっ?」


 間抜けな声を上げて見上げ、はっとする。

 俺を見下ろすドラゴンの瞳には、はっきりと怒気が宿っていた。

 あっ……


「馴れ馴れしいぞ、人間」

「ぐああああーっ!」


自他共に認める幻想の支配者に舐めた口を利いた俺は、灼熱のブレスに焼かれて蒸発した。

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