二話 なんだ、ただの夢か…

「ああああああああああああああ!?」


 全身を焼き尽くされる灼熱の感覚に悶え、布団を跳ね飛ばして飛び起きた。

 ベッドのスプリングがきしみ、枕が落ちる。


「え? あれ、これ、あれ、火、あれ、あー、あー……、あぁ」


 混乱して周りを見回すが、そこは見慣れた自室だった。窓の外からカーテン越しに差し込む薄明かりはまだ青っぽく、太陽が登りきっていない。空気は冷たく、青臭い草の匂いの代わりにするのは消臭剤のミント臭。

 心臓が胸から飛び出るほどめちゃくちゃに拍動していた。額を拭えば汗がべっとりと滲んでいる。


 状況はすぐに飲み込めた。夢を見ていたのだ。良い夢だった。あまりにもリアル過ぎて現実と夢のどちらが夢なのか起き抜けに混乱するぐらいには現実味があった。

 しかし、夢だった。

 ドラゴンに焼かれて死ぬ貴重で衝撃的な体験が引き金になってうっかり起きてしまったらしい。

 ああ、まだ充分ベッドで粘れる時間なのに。せっかくの明晰夢が……


 いや、まあ、でも。

 明晰夢なんてそんなものだ。夢はいつだってなんてことない理由で覚めてしまう。トイレに行って用を足した夢の直後の起床じゃないのがせめてもの慰め。

 さよなら夢。こんにちは現実。


 でも、ああ、惜しかった。明晰夢なんて見ようと思っても早々見れるものではない。本当に惜しい事をした。なぜ目覚めてしまったのか。

 ベッドの上でぐずぐずと布団をかき寄せ丸めて抱き抱え、もう一度眠りに入り続きを見ようとしたが、目が冴えてしまってウトウトすらできず。


 やがてカーテンの隙間から日差しが差込み、目覚まし時計が鳴り、否応無しに現実の容赦ないルーチンに戻らざるを得なくなった。

 ああ畜生め。














 夢の話は話題にしやすい。

 が、夢というものが往々にしてあまりにも荒唐無稽だからか、幼少時ならまだしも、高校生にもなるとよほど面白い夢でもない限り口に出すのを控えるようになる。本当にそういう夢を見たのか作り話なのか分からないし、夢を見た本人だけ理解できるようなクッソつまらん話をされたら半笑いで引き気味に曖昧な相槌を打つしかない。

 だから話題にしやすいが、話題になる事はなく、授業の合間にクラスメイトとの雑談で昨日見た夢の話をする事もしなかった。


 夢の中でめっちゃ動物創って、最後はドラゴン創って焼き殺されました。

 面白くもなんともない。いや個人的には全俺が涙する感動巨編だったが、それを語って面白いかといえば全然そんな事はないわけで。

 昼休みに弁当をつつきながら、誰かに熱く語りたいが生ぬるい空気になるだけだろううなと判断して先月北海道の動物園で死んだパンダの剥製が経営難を理由に競売にかけられているという話題に華を咲かせていると、向かいに座る長宗我部がタコさんウインナーを捕食しながら言った。


「そういや昨日見た夢の話なんだけどさあ」


 お前が語るのかよ。


「すげー広い海にいてさ、地平線、水平線? の向こうになにも見えないぐらいのダダっ広い海でさ。まあ溺れてるのさ。泳いでも泳いでも全然陸が見えてこなくてさ」

「へえ」

「それで寒くてさ、やべえ死ぬ死ぬって焦んの。まあ死なないんだけどさ。やべえやべえって思ってたら流木が流れてきてそれ掴んで一息ついたのな」

「ははあ」


 長宗我部はペラペラ夢の話をしてくれたが、案の定意味不明で全く面白くなかったし笑いどころもなかった。

 しかし気分よく話しているので強引に遮るのも憚られる。うるせえ鱗も尻尾もない欠陥生物は黙ってろ! という言葉はそっと心にしまっておいた。

 まあ最後に空から太陽が落ちてきて海が全部蒸発して自分も塵になったというオチは夢らしくぶっ飛んでいてそこそこ良かった。


 日常に特筆すべき事が何もないのは当然の話で、特に何もなく一日が終わった。学校がテロリストに占拠される事もなければ、突然街に火の手が上がりサイレンが鳴り響いて校門にゾンビが押し寄せる事もない。そういうのは漫画やアニメだけで間に合っている。ドラゴンが現実に存在しないのは現実的に考えておかしいし間に合っていないが嘆いても仕方ない。


 長宗我部も俺も帰宅部なので、終業後は徒歩の長宗我部に合わせて自転車を引きながらダラダラ帰る。

 信号待ちの間、自分のカバンを俺の自転車のカゴに突っ込みながら、長宗我部は少しためらって言った。


「今日どうした? なんかあったん? 朝からちょっとアレだけどさ」

「え、なんで分かった? エスパー?」

「いや明らかため息多いからさ」

「マジで? そんなにはぁはぁ言ってた?」

「喘ぎ声みたいに言うのやめろ。はぁよりフゥゥ~みたいな」

「あー、そういう」

「それはどうでもいいんだよ。そんで?」

「ああ、大した事ない、いや主観的には大した事あったんだが話してもクッソつまらんだろうから黙ってたんだけど。簡単に言えばスゲー良い夢みてあれはいい夢だったなって引きずってた」

「はあ……」


 反応が鈍い。ほらみろこうなるから黙ってたんだ。別に隠す事でもないが、俺にとっては一大事件でも、長宗我部にとっては何が良かったか伝わらない。


「何? クラスで一番の金持ちで美少女のお嬢様とチョメチョメする夢とか?」

「ウチのクラスに金持ちもお嬢様もいないだろ。俺は下半身で考えないから」

「違うのか。じゃあなんだ」

「ドラゴン創って焼き殺される夢みた」

「……それがスゲー良い夢?」

「そう。なんかもう、こう、リアルよりリアルだったねアレは。明晰夢ってやつ? 控えめに言って黄金体験だった」

「お前のその性癖はちょっと分かんねーわ」

「触覚を持たぬ者には分かるまい……」

「なんで邪気眼風なんだよ。お前も持たぬ者じゃん」


 せっかく話に出たからと細かく昨日の夢について語ってみたが、イマイチ盛り上がらなかった。そりゃそうだ。その代わりに長宗我部が来月受験予定の船舶免許取得試験についてアツく語りはじめる。先月は危険物取扱免許を持っていたし、昔からコイツはこういう事に熱心だ。小技というか技能というか、そういうものを身に付ける事に血道を上げる変な性癖を持っている。

 もっとも、長宗我部に言わせれば夏休みを丸々かけて物理エンジンでドラゴンの翼の動きの完璧なシミュレートをする俺も同じ穴の狢らしい。解せぬ。


 家の前で長宗我部と別れ、帰宅。

 夕食までダラダラゲームをして、宿題をして、テレビを見て、風呂に入って、寝る。


 ベッドに入る時に特に何かをしたわけではない。

 また明晰夢を見る事を期待したわけではない。

 何も特別な事はしなかった。


 しかし、俺はいつの間にか、再びあの草原に立っていた。

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