15話 若者の深刻な人間離れ

 当然だが、不法侵入は犯罪だ。RPGの主人公達は息をするように不法侵入を繰り返しているが、現実でやれば一発逮捕である。更にそこから退学、停学、クビ切り、罰金、懲役、近所の悪い噂、経歴の傷などコンボが繋がる。小学生なら叱られて済む事もあるが、俺ぐらいの年齢になると厳しい。

 有栖河屋敷侵入計画は慎重に立てる必要がある。ニクスと話した後に捕まるならいい……いやよくないが、最悪ではない。最悪は侵入途中で発見され、豚箱にぶち込まれる事だ。それだけは避けたい。

 幸い昨日から赤点補習ゼロの夏休みに突入した。作戦を練る時間はいくらでもある。


 自室でクーラーをガンガンに効かせて有栖河屋敷周辺の拡大地図を睨んでいると、長宗我部が遊びに来た。

 部屋に入るとすぐに手土産のアイスを投げて寄越し、ベッドであぐらをかく。こいつ自宅よりくつろいでやがる。


「明、八月の真ん中らへん空いてる? 沖縄行こうぜ、沖縄。石垣島の……それどこの地図だ? 沖縄か?」

「有栖河屋敷だ。長宗我部はやっぱ裏から侵入した方がいいと思うか? 塀高いが」


 ペンで印を入れながら意見を聞くと、長宗我部は激しくむせた。ベッドにこぼれたアイスの汁をティッシュで拭きながら言う。


「それマジでやる気か? やめとけ、マジでやめとけ」

「もうこれ以外方法が無い」

「そんな事は……あるかも知れんけど、なんでそこで不法侵入に行くんだよ。思いついても選ぶなよ。犯罪だぞ犯罪。しかも侵入の目的が『会って話す』ってお前、成功しても失敗しても通報されるやつじゃねーか」

「大切な事なんだ。俺にとっては」

「死ぬぞ社会的に!」

「物理的には死なない。止めないでくれ、俺は本気なんだ」

「本気だってわかってるから止めてんだよ! あ゛ー! クソがっ! いいからやめとけ!」


 長宗我部が発狂している。

 一体なぜそんなに取り乱すのか。短絡的に犯罪に走ろうとしているわけでなし、死ぬわけでもなし。


「大丈夫だ、俺だって無策じゃない。不法侵入……住居侵入罪はワシントン条約破るより刑罰軽いんだ。ちゃんと調べた」

「何ドヤ顔してんのお前。何も解決してねーぞ。俺の話を聞け、真面目に」


 長宗我部がアイスを横に置き、真面目な顔で俺の正面に移動して座り直した。

 不真面目にしていたつもりはないが、俺も姿勢を正す。


「いいか? ドラゴンだ幻獣だって明は言ってるけどな、それは夢なんだよ。全部夢だ。しかもなんだ? ニクスちゃんと話すために犯罪犯すってなんだよ。これが幻獣のためなら俺も分かる。明が幻獣に人生賭けて来たのは知ってるからな。でも夢の中でちょっと知り合った奴と話すためだけに人生棒に振るのはやめろ。ノリと勢いに飲まれてないか? 頭茹だってるんじゃないか? そのほんの少しの会話に、本当に、人生台無しにするだけの価値があるのか?」

「…………」

「もう幻獣は創ったんだろ? ドラゴン創ったんだろ? 森も山も湖も創ったんだろ? 幻獣誘拐されたなんつっても聞いた感じじゃ端っこちょっと削られただけじゃねぇか。気にするなよ。そりゃな? ニクスちゃんが何でそんな事したのか気になるだろうさ。ムカつくだろうさ。でも相手にするだけ損だ。ほっといたら幻獣どんどん盗まれるけどな、構ってたらもっと嫌な思いする事になるだろうが。なあ明、世の中こんなもんなんだよ。悲しいけどな。セコい奴が得して、頑張った奴が損して泣き寝入りするんだよ。でもいいじゃねぇか、お前は一億ぐらいのスゲー事したんだ。10とか20なんてみみっちい泥棒でコソコソしてる奴なんて相手にするな」


 だからさあ、と、長宗我部は震える声で言い、俺の肩を掴んだ。


「頼む、明。考え直してくれ。俺はこんな事で友達の人生を終わらせたくない。まだ一緒にバカやりたいんだよ」


 長宗我部の言葉は心に来る物があった。

 真剣な言葉だった。こんなに正面から言葉をぶつけてくれる友達を持ってる奴が世界に何人いるだろうか。

 俺だってまだ長宗我部とバカな事をやっていたい。手製パラグライダーで崖から飛び降りるのも、岩盤にぶち当たるまでひたすら山の斜面を掘るのも、付き合ってくれるのは長宗我部ぐらいだ。それを放り投げて、刑務所に入って臭い飯を食いながら青春を思い出すなんて想像するだけで欝になる。


 しかし。

 右も左も分からない夢世界ドリームランドで、俺に親身になって教えてくれたのはニクスだ。一緒に森を駆け回り、ユニコーンを撫でて、逃げ回り、笑い合ったのはニクスだ。

 ニクスは友達だ。今も。


「すまん。俺も、友達とこのままなし崩しで別れたくないんだ。ニクスとキッチリ話して、決着をつけたい」

「……クソ、こんな事になるならニクスちゃんと話せなんて言うんじゃなかった」

「いや、良いアドバイスだったよあれは」


 長宗我部は深々とため息を吐き、両手を上げて降参のポーズをとった。

 すまんな。苦労かける。


「ああ、もういい、分かった。こうなりゃ俺も最後まで付き合ってやるよ」

「はっ?」


 ちょっと待てどうしてそうなる。お前犯罪反対派じゃなかったのか?


「いや長宗我部は大人しくしとけよ」

「つれない事言うなって。散々アドバイス聞いてきて、あれが楽しかったとかあれが良かったとか楽しそうに話して、最後は引っ込んでろってそりゃ無いんじゃないか?」

「うっ……」

「こうなりゃゴールが豚箱だろうが企業の闇だろうが一蓮托生だ。知ってるか? 網走刑務所の飯は一汁三菜で普通に美味いらしいぞ。ハッハッハァー!」


 長宗我部は自分で言って爆笑しているが、目が本気だった。

 釣られて俺も笑う。

 完璧に空笑いだったが、とりあえず元気は出た。

 犯罪がなんだ。かかって来いよ公権力! 長宗我部と二人なら何も怖くないぜ!(震え声)
















 10分前までは泣くほどやめさせたがっていた長宗我部だが、やると決めると動きは早く的確だった。有栖河屋敷の地図を前に額を突き合わせ作戦を練る。


「よっしゃ、まずは下調べだ。屋敷の構造は外観から可能な限り絞り込むぞ。間取りは俺が予想する。二級建築士の模擬試験経験が火を吹くぜ」

「庭にはドーベルマンが一匹いる。これはなんとかできる。犬より監視カメラが問題だな。そもそもカメラが設置してあるかも分からん」

「デカイ屋敷だと大体見せ札用のこれみよがしなカメラと本命のガッチリ隠したカメラがあるな。任せろ。持ってて良かった防犯整備士資格」

「屋敷に出入りする人間の把握は必須だな。家族の他に料理人とか家政婦とかいるかも知れん。人数、行動パターン……夏休みで良かったな。時間はたっぷりある」

「侵入は普通に夜だな。人目が、って屋敷回りの人通りも分からないんだよな。そこも調べるか。侵入ルートは道路と隣家から見えにくい位置取りで」

「ニクスの行動パターン把握はどうするか。一人になった所を襲っ……会いたい。ニクスの部屋は最低でも特定しないとどうにもならん」

「いっそ盗聴機仕掛けるか? 送迎の車とかにさ。盗聴だけなら犯罪にならないんだぜ。下調べ段階でバレてもしらばっくれられる」

「ゲッス! でもグッドだ。侵入の途中で見つかった時のためのセーフティーも必要だな。とりあえず顔は隠して」


 ノリノリで地図に書き込みを入れていく。正直めちゃくちゃ楽しい。

 日本有数の大企業、有栖河財閥の屋敷へ侵入作戦! 燃えなかったら雄ではない。

 これが若い有能な雄ライオン率いる群れに長年連れ添った雌を奪われ、古い相棒と共に奪い返しに行く老ライオン、なんてシチュエーションなら最高なのだが、残念ながらキャスティングは全員人間だ。片手落ちである。


 下調べはこれまでのグダグダっぷりがなんだったのかというほど順調に進んだ。スムーズな役割分担。お互いやれる事は大体分かっているし、二人で悪巧みをするのはこれが最初ではない。流石に法律をぶち抜くのは始めてだが、危ないラインは何度か超えてきた。

 崖っぷちに向かって全力疾走しているかと思うと、破滅的な楽しさがある。崖から堕ちる覚悟があれば躊躇はない。精々高く跳んでやろう。もしかしたら何かが間違って崖の向こう側へ着地できるかも知れない。


 有栖河屋敷の住人の行動パターン把握。そこから割り出される侵入時刻。

 近隣の家屋から死角となり、監視カメラを潜り抜ける侵入ルートの設定。

 侵入時の装備準備。仕掛けた盗聴器の回収も忘れずに。


 そして驚くほどアッサリと作戦決行の晩が来た。事が簡単に進み過ぎて有栖河財閥の陰謀を疑うレベルだ。

 作戦が露見しないように細心の注意を払っていたのは事実だが。財閥の暗部もフィクションに出てくるようなレベルではなかったという事だろうか。

 実行犯は俺。見張り兼補佐として長宗我部がつく。


 夜中に腹減ったからコンビニに買い出しに行ったんです、という設定でブラブラと真夜中の有栖河屋敷へ向かう。人気の無い時間帯を選んだのだから当然だが、人通りは全然無い。昼間に熱されたアスファルトは冷めはじめ、生ぬるいコンクリートジャングルは虫の音一つ聞こえない。


「女子がさ、たまに話してるんだよな。喧嘩して友達やめたとか、あの子可愛いから友達になりたいとか、スゲー軽い事みたいにさ。わっかんねーよな。喧嘩しても許せるから友達で、気が合うから友達なんじゃねーのかっていう」

「あー、あるある。お前らオシドリかってな」

「ん? オシドリは仲良いんじゃないのか? オシドリ夫婦って言うだろ」

「実はあいつら毎年雄雌とっかえひっかえしてる」

「マジかよオシドリ最低だな」


 普通の高校生がするような他愛ない談笑をしながらさり気なく有栖河屋敷に接近。屋敷の前に到着すると同時に、長宗我部は持っていたコンビニ袋の中身を道端にぶちまけた。ドーナツやおでんがバラバラと盛大に散らばり、道を汚す。


「ああ~、しまった落としてしまったあ~。これは通行の邪魔になるなあ。時間かかりそうだけど片付けないといけないなあ。それが善良な市民の義務だからなあ」

「じゃ、侵入する。見張りよろしく」

「OK悪徳市民」


 俺は二枚重ねに来ていたTシャツを一枚脱ぎ、頭巾のように被って顔を隠した。業界ではニンジャカブリの名を馳せる携行性隠密性抜群の覆面だ。

 次に首にかけていたタオルを靴に巻き、消音と足跡対策。トランシーバーのスイッチをONに。指紋対策と滑り止めに手袋をはめ、炭素繊維ワイヤーを確認。ズボンのポケットにはもしものための胡椒玉とスタンガン。


「ヤバいなと思ったらすぐ言えよ。騒ぎ起こすから」

「手間かけて悪いな。後で礼は弾む」

「気にすんな、友達だろ? どうしてもってならあのドラゴンの模型くれ、小五、小六? の時の夏の自由研究のやつ」

「ん、んんんんんんんんんんんんんんん……! わ……分かった……! もっ、もって……もってけ……!」

「悩み過ぎだろ。まあ実際欲しいけどいらねーよ、アレくれるって言葉聞けただけで満足だわ」


 ほら行け、と手をヒラヒラ振って見送られ、俺は屋敷の反対側へ回った。監視カメラの死角をとり、トランシーバーで長宗我部に連絡を入れた。数秒して、四足獣が遠ざかっていく音がする。今頃長宗我部が犬笛でドーベルマンの気を惹いているはずだ。音に気づかないほど熟睡しているのが最善だったのだが、まあ犬笛に引き寄せられたのなら問題はない。


 ドーベルマンが居なくなった隙に、壁をよじ登って屋敷の裏庭に侵入を果たす。

 さあ、いよいよ見つかったら言い訳ができなくなってきた。


 嫌な汗をかきながら、姿勢を低くして裏庭を横切り、動体感知式防犯ライトの効果範囲を避けて屋敷の壁に取り付く。見上げると、真上の二階の部屋(ニクスの部屋)の電気は消え、カーテンが閉まっていた。寝ているらしい。

 トランシーバーで長宗我部に途中経過を報告し、カウボーイが投げ縄を投げる要領で雨樋にワイヤーを引っ掛ける。軽く引っ張るが、外れる事はなさそうだ。

 あらかじめワイヤーには結び目を作ってあるため、それに足をかけて登攀。自宅の雨樋で夜な夜な何度も練習した甲斐あり、簡単に登頂に成功した。

 目の前にはニクスの部屋の窓!


「よ、よし……!」


 唾を飲み込み、そっと窓をノックする。もう心臓の音がうるさすぎて気付かれているかも知れないが。

 しばらく待ったが、反応がない。窓に耳をつけて聞き耳を立てると、微かに人の気配が感じ取れた。快眠中らしい。

 安眠妨害するべく強めにノックする。

 今度は反応があった。耳を澄ますまでもなく、布団が動く音がする。


 俺の手はどうしようもないほどガタガタ震えていた。

 ドラゴンと相対した時とは別種の恐怖があった。ここからはどうなるか本当に分からない。


 窓の掛け金を外す音。そしてカーテンが動き――――


「ひっ!」

「静かにっ! 俺だ、ヒプノスだ! 話をしに来たんだ!」


 下着姿のニクスが窓に張り付いた覆面の男の姿を見て絶叫しなかったのは幸運だった。

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