16話 夢の神と夜の神
硬直から解凍したニクスがカーテンを閉めた時は窓をぶち破るべきかと迷ったが、ニクスはジャージを羽織ってすぐに窓を開けてくれた。
「あの、声で分かるけど、一応覆面とって見せてくれる?」
「ああすまん」
Tシャツ頭巾を脱いで顔を晒すと、ニクスはほっとした様子で俺が部屋に入るための場所を空けた。が、俺は逃走のために窓の桟に腰掛けるだけにする。ニクスはジャージの胸元を弄りながらもじもじと言った。
「えーと……その、久しぶり」
「ああ。久しぶり、ニクス。悲鳴上げないでくれて助かった。悪いなこんな夜中に。あとすまん、下着で寝る派だとは思ってなかった」
「それは忘れて」
「あっはい」
おいどういう事だ一瞬ドラゴン並の圧力を感じたぞ。ニクスはドラゴンだった……?
バカな事を考えつつ、興味に負けてニクスの部屋を見渡す。牛の頭蓋骨や蝋燭が並ぶ棚、藁人形が置かれた勉強机、洋書が詰まった本棚、壁に貼られた解体新書ポスター、魔法陣模様のカーペット。女の子らしい普通の部屋だ。うむ、おかしい所は何もないな!
とにかく、やっとニクスに会えた。逃げようという素振りはなく、むしろ歓迎ムードだ。ほっとしたような、悟ったような、妙な感情を混ぜた複雑な顔をしている。
これは想定外だった。最善でもドン引きだと思っていた。最悪は絶叫&窓から突き落とされる。
もしかするとニクスは俺が来る事を予想して……いやそんな事はどうでもいい。重要な事じゃない。
「ニクス。話が聞きたいんだ。聞いたら帰る。話の後なら通報してくれても良い。いややっぱ通報はやめてくれ。しかし身の危険を感じるなら通報しても」
「大丈夫、通報はしないから。なんとなくね、こうなるような気はしてた。でもヒプノスなら
「泥臭いエントリーで驚いたか」
「……わ、ワイルドだな、って」
「まあワイルドでもマイルドでもいい。んん、なんでこんな話になってるんだ? 俺が聞きたいのはニクスがどうして幻獣を盗んでるのか、だ。どんな理由でも怒らない。ただ、本当の事が知りたいんだ。話してくれないか」
俺なりの精一杯の真剣さを込めて、ニクスをまっすぐ見て頼んだ。ニクスも、俺をまっすぐ見返して、答えた。
「全部話すと長くなるけど、いい?」
「夜明けまでに頼む」
「ん。そこまで長くはないよ」
軽く頷いて、ニクスは語りだした。
「私は家族がいなくて、九歳まで孤児院にいたの。北海道だったんだけど、冬はすごく寒かったな。全部真っ白になって、毎日雪かきでヘトヘトだった。私が居た孤児院は年長の人の虐めが酷くてね。大人が見てないところで殴ったり蹴ったり突き飛ばしたり、物を盗ったり。辛かったなぁ……毎日オヤツがあったんだけど、全部取られて一回も食べれなかった。
それで、現実が辛かったから、私は
知ってる?
その孤児院にあった絵本に悪い魔女が出てくる話があって、私はおままごとでいつも悪い魔女の役で……ごめんこの話は関係ないかな。
九歳の冬に私は
それで何日か
それから私はずっとこの屋敷でお嬢様の使用人みたいな事やってる。お嬢様の宿題手伝ったり、話し相手になったり、一緒に遊んだりね。
去年ぐらいからかな、お嬢様が
それでこれから
……怒らないで聞いて欲しいんだけど、ヒプノスが
正直さ、私も最初は勧誘目的が大きかったんだけど、ヒプノスと一緒に居るのが楽しくて。ほら、私ってずっとお嬢様のお世話してて友達いなかったし。ヒプノスはびっくりするような事教えてくれるし、面白いし、私の魔法をいいねって言ってくれるし。お嬢様は酷いんだよね、『杖より銃の方が強いじゃない』とか! 『魔法陣より地雷よ』とかさ!
こほん。うん、それで……ヒプノスが全然組織に入る気無いから、お嬢様がヒプノスは敵だって言い出してね。『怪獣懐柔作戦』なんて作戦で幻獣を盗む事になった。あ、笑っていいよ。
……ごめん、ヒプノスには絶対言うなって口止めされてたから、言えなくて。ヒプノスが怪しんでドラゴンに相談しに行ったって知った途端に、もうヒプノスには会うなって。
私もそんなの酷いって思ったよ? 裏切れ、もう会うな、なんてさ。でもお嬢様の言う事には逆らえない。ヒプノスはおかしいって思うかも知れないけど、私にとってお嬢様はずっと恩人だから。お嬢様は私を孤児院から出して『幸せ』を教えてくれた。お嬢様がいなかったら、きっと私は夢の中で夢も見れなかったから。だから、私は……
ごめん。本当に……ごめんなさい。幻滅、したよね……。あはは、絶交かな……」
話を結び、涙声で震えるニクスへの俺の感想は一言だった。
「話が長いッ!」
「ご、ごめん!」
要するに全部ボス=お嬢様が悪いが、恩があるから従っている、という事だ。余程複雑な事情なのかと思って聞いていれば、20文字で済む話を長々と。
「ごちゃごちゃ人生語らなくても一言『ボスに言われて仕方なくやりました』でいいんだよ! それで俺は納得する。それをお前、わざわざ嫌な思い出を自分で掘り返して抉って、マゾなのか? これじゃ俺が友達泣かせて無理やり話を聞きだした畜生みたいだろうが! すまんな辛い事思い出させて! ちょっとでも疑った俺が悪かった! ニクスはホント人間にしておくには惜しいぐらい良い奴だ!」
「う、うん? ありがとう……? えっと、まだ友達でいてくれるって事?」
「俺はそうしたいと思ってるが」
そう返すと、ニクスはパッと笑顔になった。まだ目の端に涙は残っていたが、俺まで嬉しくなるような気持ちの良い笑顔だった。
不覚にもドキッとする。
寝癖がついて乱れた髪が月明かりに照らされラッコの毛皮のような光沢を出している。瞳はフクロウのように理知的で、顔立ちはホワイトタイガーのように美しくも凛々しい。蛇のようにしなやかでほっそりとしたスタイルは自然と目が吸い寄せられるようだ。
惜しい、惜し過ぎるぞ。なんでニクスは人間なんだ……! 人間じゃなかったらとっくに惚れている。いっそ人間でもいいやと血迷いそうになるぐらいだ。
「はー、すっきりした。つまりボスをぶっ飛ばせば全部解決するんだな!」
「え? いや
「ん……?」
どういう事だ、と聞こうとして、俺は部屋の外の音を拾った。廊下から誰かがこちらに来ている。
ニクスもすぐに気付いた。大慌てで隠れて、隠れて、と手振りで合図して、自分は部屋の扉に飛びついて鍵をかけた。俺は窓から急いで離れ、雨樋に手をかけて部屋から見えない位置にぶら下がる。
ほんの一拍後、ガチャガチャとドアノブを回そうとする音がした。
「あれ? 霞ー? いないの? 起きてるんでしょ?」
「はいお嬢様。少々お待ちください」
ニクスは聞き覚えの無い少女の声に礼儀正しく答えた。ガタガタと物音がして、数拍置いてドアが開く音がする。
「いるじゃない。どうして鍵なんて掛けてたの」
「御覧の通り魔術儀式をしていて」
無茶苦茶な言い訳だった。普通は発狂したと思われるようなセリフだったが、お嬢様らしい声は納得したように言った。
「また? 別にいいけどあなた仕事はどうしたの? 今日はバジリスクとってくる予定でしょう。なんで
「……それが途中でドラゴンに見つかり殺されてしまって。
「ああ、ドラゴンは早め何とかしないといけないわね。鬱陶しくて仕方ないわ。アレはもう作ってるの?」
「はい。少しずつですが」
「ならいいわ。アレ渡せばドラゴンも大人しくなるでしょう。んー、起きてるなら入れるようになるまでデザインについて話しておきましょうか。私の部屋に来なさい。そういえばなんでジャージなの?」
「……こういう機能的な服の方がお嬢様はお好きかと」
「分かってるじゃないの………………どうしたの? ほら、来なさいよ」
「部屋を片付けてから行きます。まだ儀式の途中で」
「床に適当にガラクタばらまいたみたいにしか見えないけど、こんなのが儀式なの?」
「ちゃ、ちゃんと意味があるんです。例えばこの蝋燭はペパーミントの抽出液を練り込んであって、火を付けた時に出る刺激臭が」
「うるさい。先に行ってるからさっさと片付けて来なさい。秒でね、秒で」
高慢な声と足音が遠ざかって行く。足音が聞こえなくなると、窓からニクスが顔を出した。
「ごめん、今日はもう無理みたい」
「嫌味な声した奴だったな。気に入らん。
「あっちだといつもカメラと通信機持たされてるから無理。これ私のメールアドレス。ここにメールしてくれれば通じるから」
そう言ってニクスはアドレスを走り書きしたメモ用紙を渡してきた。片手で受け取り、ポケットにねじ込む。話に集中して忘れていたが、トランシーバーから長宗我部の「そろそろ戻って来い、おい、聞こえてるか」という声が繰り返し漏れていた。やばい。急がないと帰り道でドーベルマンに噛み殺されそうだ。
懸垂下降で降りようとすると、ニクスが話しかけてきた。
「ヒプノス」
「ん?」
上を見上げると、ニクスは頬を赤くして、はにかんだ笑みを浮かべて言った。
「会いに来てくれて、本当に嬉しかった」
俺は答えず、黙って一気に下まで降りた。ロープを回収して頭巾をかぶり直し、撤退しながら深呼吸を繰り返す。
長宗我部に合流するまでには顔をどうにかしたい。今、絶対気持ち悪いニヤケ顔になっている。
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