17話 夢はあるけど希望はない
長宗我部と合流し、家に帰る道すがら有栖河屋敷での出来事を報告する。黙って相槌を打っていた長宗我部は段々顔を歪め、話し終えた時には頭を抱えていた。
「マジか。マジか……」
「けっこうハードな人生だよな。聞いてるこっちがキツかった」
「俺が犬臭い思いしてる間にそんな事してたのかテメーはよぉ。イチャイチャしてメアドもらって来ただけじゃねーかクソ羨ましい!」
「あ、そっち?」
「別れる時絶対キス待ちだっただろ。もう押し倒してくりゃあ良かったんだよ!」
「正直ニクスに角が生えてたら危なかったな」
「しっかし面倒な事になったな。警察沙汰回避しても全然解決しそうにないぜ」
「ん? ボスが黒幕なんだから、後は叩きのめせば終わりだろ?」
「終わらねーよ、なんで急に脳筋になった? ネトゲでもよくあるだろ。ゲーム上で嫌がらせされて、ゲーム上で仕返ししたって反省はしない。所詮ゲームなんだから。
「じゃあリアルでボコればいいのか」
「中一女子をタコ殴りにしたら普通に逮捕だわ。財閥令嬢って事考えたら下手すりゃひっそり海に沈められるぜ」
「……おお」
なるほど、ぶっ飛ばす(物理)ができないのか。ボスの正体が汚いオッサンで、嫌がるニクスの弱みを握って命令しているならムショ入り覚悟で殴り込みをかけるところなのだが。
13歳、財閥令嬢、ニクスの恩人、となると手を出し難い。無法地帯の
「じゃあどうする。説教でもするか?」
「目標が世界征服だぜ? だいぶ頭がアレな相手だ。明の話なんて真面目に聞かないだろ。敵認定されてるしな」
ニクスと話が通じたからといって、ボスと話が通じるとは限らない。「言葉のやりとり」はできても「話」ができる気がまるでしなかった。
そもそもボスは何もかもが気に入らない。ニクスを顎で使って自分は高見の見物。勧誘、交渉は人任せ。勧誘に失敗したらすぐに強硬手段。穏便に話し合いで済ませる気も失せる。
どんな悪人面か拝みに行くぐらいはしてもいいが。
あまり話し込まない内に俺の家の前に着いたので、一度解散にする。なにしろ目立たない服装とはいえ、服を一枚捲ればロープやトランシーバー、胡椒爆弾だ。職質に捕まったらまだ補導が有り得る。足音を立てないように廊下を渡って自分の部屋に入り、鍵を閉めてからやっと心臓が落ち着いてくれた。
小道具を机に隠してベッドに飛び込むとすぐに眠りに落ちたが、精神的に疲れ果て、
ニクスとメール通信が開通したのは大きかった。
『おはよう。今日は夜の9時頃からドリームランドに入る予定です。ヒプノスは何時頃入りますか。お返事下さい』
『夏休みだし何時からでもいける。ボスが何を企んでいるか教えて欲しいがその前にボスの呼び方をどうにかしたい。奴は俺のボスではない。何と呼べばいい?』
『お嬢様はボスと名乗る前には【アリス】でした。下の名前で呼ぶと怒ります。虐めないであげて下さい』
『なるほどな。下の名前は夢子ちゃんか(笑)』
『調べたの。呼ばないであげて下さい。お嬢様の機嫌が悪くなると、私の食事が水だけになります』
『今どんなぱんつ履いてんの?』
『このメールはガベさんでしょう。人のスマホを勝手に使うのは良くないと思います』
『すまんガベはアオウミガメの甲羅で殴っといた』
『昨日は(も)無視してごめんなさい』
『面倒だからドリームランドの事はいちいち謝らなくていい。この怒りは全部まとめてアリスに叩きつける(殺)』
『リアルで犯罪者にだけはならないで下さい。ヒプノスが悲しいと私も悲しいです。お嬢様にもあまりひどい事はしないであげて下さい。ドラゴンとお嬢様』
『途中で送信してしまいました。失礼しました。ドラゴンとお嬢様ですが、昨日から不戦交渉をしています。前々からドラゴンとお嬢様の間で話があったのです。ドラゴンは芸術の素養があまり無いそうで(自分を創る時に芸術を学んでいなかったヒプノスを馬鹿にしていました。私はドラゴンを好きではないです)、お嬢様にリアルの芸術作品をドリームランドで創って献上しろと命令してきていました。お嬢様は色々な芸術に触れてきた人なので、そういう物をドリームランドで再現するのはとても上手です』
『芸術は感性に依存するから……ドラゴンに芸術適正を与えてやれなかったのは人生最大の失敗だと思ってる(´・ω・)』
『そんな事はないです。ヒプノスがとても頑張った事と、ヒプノスがとてもドラゴンを好きという事を私はよく知っています。自信を持って下さい』
『愛と呼んでくれ。それで不戦交渉がどうしたって?』
『ヒプノスの すみませんお嬢様に呼ばれました。今から入ります』
『やろうぶっ殺してやる!』
『本当にごめんなさい』
『ニクスには言ってない。あいつどういう神経してんの? しれっと盗掘品で交易してんじゃねーよヴォケ! 俺の怒りは有頂天になった!』
『ごめんなさい。ヒプノスも見たようですが、ヒプノスが創ったミスリル鉱脈から採掘した鉱石を精錬して、装飾品の製作に使っています。私は詳しくないですが、ネックレスやドラゴン像、兜、剣を創っているみたいです。ドラゴンはお嬢様が創りだす意匠を気に入ったようです。ミスリル製品の定期納品と引き換えに、幻獣の誘拐に手出しをしないという方向で話がまとまってしまいそうです』
『やばい。俺も何か創れって命令されてたけど全然やってない。今思い出した』
『ドラゴンはその事も言っていました。怒っているみたいです』
『ちょっと土下座してくる』
『焼かれた(*´ω`*)』
『森の遠くの方で火柱が見えました。大丈夫ですか』
『踏み潰された(*´ω`*)』
『地震が起きたのはもしかしてそれですか。すごく痛そう。怖いです』
『よくわからんが死んだ(*´ω`*)』
『もうやめた方がいいと思います。睡眠時間は大丈夫ですか』
『クソ眠い』
『ニクスはなんでメールだと敬語なんだ?』
『ネットリテラシーです。私はこれが正しい作法だと勉強しました。何かおかしいですか』
『悪くはない。あと気になってたが!とか?の打ち方知らなかったりする?』
『「はてなまーく」「びっくりまーく」で変換しても出てきません。絵文字のはてなとびっくりは出ます』
『疑問符と感嘆符な。覚えよう。どの機種でも!と?は文字入力と同じ要領で直接入力できるはず』
『恥ずかしい!』
『めっちゃ恥ずかしがってるように見える。かわいい(かわいい)』
『実際のとこニクスの反抗心はどれぐらいなんだ? 恩さえなければさっさと家を出て一人暮らししたいというなら手伝うが』
『一人暮らしは考えた事がありますが、難しいです。私の保護者は旦那様で、旦那様はお嬢様に私について一任なさっています。私の衣食住、生活全てがお嬢様の管理下にあります。小遣いはありません。私の部屋にあった魔術道具は全てお嬢様に申請してお嬢様が購入したものです。だから一人暮らしを始める頭金がありませんし、未成年なので、保護者の許可がなければ動けません。ヒプノスが手伝ってくれるのはとても嬉しいですが、高校中退二人では生きていくのも厳しいでしょう』
『アリスのスタンスが分からん。部屋見た印象だとけっこうポンポン買ってくれてるみたいだが』
『お嬢様は小学生の頃は金銭感覚が壊れていたので。最近は帳簿をつけてしっかり考えているみたいです。申請が通らなくなりましたが、これで良かったと思っています』
『ニクスとしてはアリスと割と上手くやってる感じか?』
『とても窮屈ですし、嫌な事も多いですが、酷い生活では無いです』
『ゴリラ並の寛容さだな』
『言いたい事はわかりますが、何でも動物に例えるのはやめませんか?』
『窮屈というと例えば?』
『私の服と髪型と化粧品は全てお嬢様の指定です。24時間常にお嬢様の呼び出しを受け3分以内に到着できる場所にいなければいけません。もちろん命令には服従です。あとはドアマン、ダンスパートナー、荷物持ちぐらいでしょうか?』
『13歳のやる事じゃねぇぞ! 訴えたら勝てるだろ!』
『旦那様の弁護士団はとても優秀なのです』
『くたばれ財閥(#^ω^)』
『アリスの拠点はどこにあるんだ』
『リアルの有栖河家と同じ位置にあります。また謝らないといけないのですが、森から切り出した木と山から切り出した石材で拠点を建ててあります』
『木と石ぐらいなら許す。有栖河屋敷のあたりはけっこう探したが見つからんのはどういう事だ?』
『お嬢様が居る時はお嬢様のヴィジョンで透明化のバリアが張ってあります。ドラゴンには見破られましたが』
『透明看破と魔力視はデフォ』
『最近は拠点の横に幻獣用の厩舎や牧場も増やしています。そのぶんバリアの範囲が広くなっているので、見つけやすいと思います。お嬢様の居ない時ならバリアもありません。幻獣を取り返すなら手伝います』
『そうしたいが絶対ニクスの立場悪くなるだろ』
『大丈夫です』
『リアルで自分の命綱握ってる相手に逆らって大丈夫な訳がない。上手い方法考えるから待っててくれ』
『ごめんなさい』
『それは見飽きた』
『ありがとう!』
『それでいい』
『捕まった幻獣を片っ端から逃がし続けてればウンザリして諦めるんじゃないか?』
『もう飼い慣らされてる幻獣が多いです。逃がしてもお菓子や漫画に釣られて戻ってきてしまうと思います』
『ファック!』
『幻獣達はとても馴染んでお嬢様に懐いています。河童が私も食べた事無い一粒2000円するチョコをスナックみたいに食べていました。心が折れそうです』
『正気とは思えんな。一粒で小型水槽買える』
『最近ユニコーンが前脚で私の頭を撫でてニコニコする事が多くなりました。何かの習性ですか?』
『ナデポとニコポだそれ! 変な事覚えやがって。ニクスに発情してんだよ。前脚折ってやれ』
『折りました』
『よくやった』
『「ツンデレもよいものだ」と言って喜んでいました。気持ち悪いです。生理的に無理』
『奴はもう駄目だな』
『旦那様? はアリスとニクスがドリーマーだって知ってるのか』
『知っています。知っているだけです。信じてはいないみたいですね』
『父親から「人のものをとったら泥棒!」という教育を期待できたりはしないのか?』
『しないでしょう。旦那様の性格だと、社名に傷がつかず利益になるなら泥棒もOKと言いそうですね』
『やっぱり財閥はクズ』
『人間的にはアレですが、社長としてはなかなかの方ですよ。清濁併せ飲む器量があるんです。好意的に見ればですが』
『娘が濁り過ぎてるんだよなあ』
『お嬢様は調教を済ませた幻獣をドリーマーに売り、代わりに雇用契約を結ぶつもりのようです。木材や石材食材も売るつもりみたいです』
『は? 詳しく』
『お嬢様の受け売りですが。普通のドリーマーはイメージしか使えないので、ドリームランドに入るたびに欲しい物を創りだす必要があります。毎日の限りあるMPを節約するため、日をまたいでも消えない住居や家具はかなりの需要があります。特にイメージで創れない幻獣はペットや移動用の騎獣として、現実換算で五千万円は堅いそうです』
『幻獣が好きだから盗んだんじゃなかったのか?』
『違うみたいです。帳簿に取引額の見積もりをメモしていました』
『有栖河屋敷の玄関開けておいてくれないか? あと金属バット持った不審者が入ってきても無視してくれ』
『落ち着いて!』
『交渉が中断しました。お嬢様がドラゴンを怒らせて蒸発しました。なだめてきます。さっきから日本中に聞こえるぐらいの声で悔しがって泣いています。聞こえてないよね?』
『ざまあ!』
『交渉がまとまりました。お嬢様がドラゴンが注文した美術品を日に2品納品する事と引換えに、ヒプノスがクリエイトした全域での自由な狩猟権を得る事になったそうです』
『おい待て』
メールを始めて二週間。夏休みも折り返しを過ぎた。何の解決策も思いつかないままじわじわ楽園から幻獣達が消えて行き、焦燥ばかりが募る。
そこにこのメールである。俺はすぐにベッドに潜り込み、
いつのもリザードマンに変身し、アリスの屋敷へ走る。アリスがドラゴンの庇護下に入ってしまったら本格的に打つ手が無くなる。なんとしても乱入してぶち壊しにしなければ(使命感)。
気がはやり、二足歩行がもどかしくなって四つ足で疾駆する。ドラゴンは途方もなく傲慢だが、同じぐらいプライドが高い。契約を結べばそれを違えるような事はしない。交渉内容に合意しただけなのか、調印まで進んでしまったのか。ニクスにメールで確認を取る時間も惜しかった。それに合意でも調印でもどちらにせよカチ込みをかけるのだから同じ事だ。
「ヒプノス」
「ん? ニクスか」
慌てた様子で虚空から忽然と現れたニクスに、足を止める。急ブレーキに草原の草と土が舞った。
「ここから先は通せない」
「ん? ……なぜだ」
「この先にはボスの屋敷と幻獣の厩舎があるから。あっ、しまった、これは秘密なんだった。でもヒプノスは一直線にここまで来てたし、最近はよく屋敷にドラゴンが出入りしてたから、ドラゴンを追えば透明化の結界で隠されていても場所の予想ぐらいはできるよね。ドラゴンからボスと芸術品と幻獣の取引内容が決まって明日契約するって聞いたの?」
「お、おう。そんな感じだ」
「そこまで分かってるなら仕方ない。ここまで来たなら一度ボスと話してみるといいと思う……ん、許可も出た。特別だって。一応見張りに同行するから、私がもしも、もしも! よそ見してても変な事はしないように」
意図を汲み取って会話のフリで状況説明してくれたのはナイスアシストだが、演技が雑だぞニクス!
「ところでなんで四つん這いなの?」
「本能だ」
「そっかぁ……」
「おい納得するなよ冗談だ」
素で引かれた。一体俺をなんだと思っているんだ。
しばらく歩くと、ぬもっとした膜のようなものを通り抜けた感触があった。振り返るとなだらかな丘陵の向こうに森の梢と山脈が見える。外からのみ中が見えないようになっているようだ。
バリアを通り抜け、そこに現れたのは城というには無骨に過ぎる要塞と、それに併設した牧場だった。
水が張られた深い堀に囲まれ正方形をつくる、巨人でも破壊は難しいであろう高く分厚い城壁。城壁から突き出て見えるものは何もなく、内部は一切分からない。
その隣にある牧場は木の柵でぐるりと囲まれ東屋が点在し、そこでユニコーンがイヤホンを付けて目を血走らせノートパソコンを凝視していたり、サングラスをかけ葉巻を咥えたコミミカーバンクルが数匹集まってトランプをいていたり、ルーン熊がだらしなく寝転がりスナック菓子を貪ったりしている。
臭い! 人間臭いぞ貴様ら! 野生のプライドはどうした! すっかり調教されやがって!
ゴブリンがゴブリンを球に使い、ゴブリンをバットにして、寝転んだコブリンをベース代わりに踏みつけるゴブリン式野球をしているのを横目に、イライラしながら跳ね橋を通り要塞内部に案内された。
内部はまだ建設途中らしく、基礎や骨組みしかない建物が多かった。しかしそのどれもが、なんというか、近代的な軍事施設を思わせる。土嚢が積まれ的が置かれた射撃訓練場と思しき区画すらあった。メールで「かなり本格的な拠点」と聞いていたが、こういう方向性とは思っていなかった。ファンタジーに近代軍事を持ち込むあたり、発想が中学生らしい。焼き払わなければ(使命感)。
人間の科学という名の汚物を一掃する決意を固めていると、どうやら着いたらしい。こじんまりとした木造のログハウスに通された。
「ようこそ私の拠点へ、ヒプノス。私は寛容だから、あなたのような無法者でも歓迎してあげるわ」
いきなりふざけた事をぬかしやがったアリスは、石製の重厚なテーブルについた小柄な少女だった。黒髪を肩にかかる程度のショートカットにして、迷彩柄のヘルメットを被り、迷彩柄の軍服を着ている。象に踏まれるだけで地面のシミになりそうな小さな体躯と反比例するように、目つきは鋭く、絶対の自信に溢れていた。野生動物に例えられるような特徴は何もない。牙と尻尾を失う代わりに傲慢さを身に付け、何の面白みも輝きもないクソ雑魚生物に零落した典型的な人間、といった感じだ。長宗我部なら「また美少女かよ!」と叫びそうな容姿をしている事は分かるのだが、目を離した五秒後には記憶から消えるだろう。つまりゴミクズ。
歓迎するといったのは一応嘘ではないらしく、アリスが指を鳴らすと、テーブルを挟んだ対面の椅子がひとりでに引かれ、ティーセットが現れた。もったいつけた演出しやがる。
イラつく俺の背中をたしなめるように撫でてから、ニクスはアリスの斜め後ろに控えるように立った。
方や軍服。方や魔女娘。異物と異物をぶつけたような光景だったが、不思議と噛み合って見えた。それに何か見覚えがある。
記憶を探り、ニクスとセットになった事でギリギリ脳内の記憶が掘り起こされた。三ツ門学院でニクスと一緒に居た少女とよく似ている。つまり、
「有栖河夢子の見た目をそのまま使ってるのか」
「……なるほど、
それはフリなのか。
全力で不興を買い占めに行こうかと思ったが、アリスの背後でニクスが必死で首を横に振っているのを見えてやめておいた。
「馬鹿なのか?
「それは下層市民の理屈よ。いずれ世界の支配者になるこの私が顔を隠してどうするの? この世に顔を隠す国家元首なんていないわ。他人の目と噂に怯える下層市民とは格が違うのよ、格が! それにあなたも私の高貴で美しい顔を拝めた方が嬉しいでしょう?」
全く恥ずかしげもなく言い切り、自信満々に平らな胸を張るアリスに唖然とする。
なんだコイツ、本気で言ってやがる。厨ニ病なんて生やさしいものではない。もっと振り切れた何かだ。ニクスの話より三倍酷いぞ!
どれだけ自意識過剰なんだよ、と白い目で見ていると、アリスは立ちっぱなしの俺を尊大に見上げて言った。
「私と話すつもりがあるなら座りなさい。礼儀を知らないの?」
「断る。お前は敬意を払うに値しない。一人で勝手にふんぞり返ってろ」
「……まあいいわ。それで? 何の用? 反省して私の組織に入る気になったのかしら?」
「は?」
お前は一体何を言っているんだ。アリスはにこやかに虚空から雇用契約書を取り出し、ヒラヒラ振った。
「私は大人だから、今謝るならこれまでの無礼は許してあげるわ。私の組織に相応しい待遇で迎えてあげる。契約内容は私が吟味してあるから、あなたはサインするだけで」
「うるせぇ! コモドドラゴン投げんぞ!」
「コ、コモド? 何?」
どこまでも自分本位なアリスに怒りが湧き上がってくる。言わせておけば勝手な事を。詫び入れるのはてめぇの方だろうが!
「人が創ったモン勝手に盗んで汚しやがって。しかもそれを売りさばくだあ? 馬鹿にするのもいい加減にしろ! 無礼? 反省? パーかてめーは! お前が腹見せ服従ポーズで謝るんだよ! ニクスにもだ! 知ってるぞ、お前ニクスを奴隷扱いしてるだろ! 人間なら人間らしく人権守ってろ! それができないならお前は人間ですらない! 分かってるか? 今のお前は人間でも動物でも無い生ゴミだ! なぁーにが財閥令嬢だ! ゴミに金と地位与えても腐らせるだけだ! このゴキブリ以下のカスが!」
「こ、このっ……!」
額に青筋を浮かべたアリスは椅子を蹴飛ばして立ち上がり腰のガンホルダーに手を伸ばしたが、歯を食いしばり、深呼吸して、ニクスが起こした椅子に座り直した。
一度目を閉じ、口を開く。
「その子供みたいな反抗はそろそろ止めたらどうかしら」
「あ?」
また意味不明な事を言い出したアリスに、思わず
「あなたの知能でも理解できるようにわかりやすく教えてあげる。ニクスはね、昔私が酷い孤児院から救ってあげたの。あのままだとずっと幸せとかけ離れた暮らしだったでしょうし、死んでしまっていたかも知れない。それを私が助けてあげたんだから、ニクスの人生は私が好きにしていいのよ。そうでしょう?」
「え、えーと」
同意を求められたニクスは、視線を俺とアリスの間で彷徨わせ、躊躇いがちに答えた。
「……成人までは奉仕させて頂きたいと考えています」
「まあそうね。成人したらちゃんと給料あげるわ」
アリスは頷いたが、話は通じていない。
ニクスは成人になり保護者が不要になったら家を出るつもりなのだ。それまでは辛い目に遭わされても恩を返そうという健気な献身だ。
従者の肯定(?)で調子を取り戻したらしいアリスは自信に満ちすぎた口調で続けた。
「あなたは幻獣を盗まれた、汚されたと言うけど、見解の相違ね。私達はただ、動物を狩猟しているだけ。人間らしく知恵を使ってね。無駄に血を流していないのだから感謝して欲しいぐらいだわ。それに私はいずれ
屁理屈に聞き飽き、俺はテーブルを踏み越え、コモドドラゴンをフルスイングしてアリスを強かに殴った。
アリスを叩きのめしても事態が解決しない事は分かっている。既に幻獣は取り返しのつかないレベルで汚染され、ドラゴンも契約内容に同意した。
しかし、アリスを殴れば俺がスッキリする。ニクスは全く不思議な事に何かに気を取られてよそ見していた。
「ほ、ほら、こうやってすぐに暴力に訴える。野蛮さ、知性の無さのしぶっ!? ちょっ、痛っ、やめっ、生臭い!」
五、六回殴ったところで、突然アリスの姿が消えた。どこに逃げたのか見回すと、ログハウスの入口でコモドドラゴンの粘液がついた頬を気持ち悪そうに拭っていた。
「淑女の扱いがなってないわね。私は光の速さで動けるの。不意打ちされなければ――――」
「オラァ!」
「――――この通り。もう当たらないわ」
再び殴りかかるが、アリスは当たる前に消え、今度は天井の梁の上に足を組んで現れた。コモドドラゴンを投げつけるが、また避けられる。
アリスは物分りの悪い子供に言い聞かせるような、癪に障る調子で言った。
「ねぇヒプノス。私の配下になるのに何が不満なの? あなたは確かに
「ふむ……」
確かにあまりにアリスが神経を逆撫でしてきて、頭に血が上っていたところはある。
冷静になって考える。
考え、結論が出た。
「エキノコックスでも食ってろ、人間」
「んん……? まあ断るのね、分かったわ。野蛮なのは好きではないのだけど、あなたのような蛮族が出た時のためにこんな格好をしているのよ。言葉で分からないなら、力づくであなたを征服してあげる。泣いて謝るまで体に教えましょう。まさか逃げないわよね?」
「やっすい挑発だな。泣いて漏らすまでしこたま殴ってやる!」
「外でやりましょう。ニクスも来なさい。二度と逆らう気が起きないように痛めつけてやりなさい」
「え……」
「返事!」
「ひっ!」
「ニクス、大丈夫だ。行け」
そもそも俺がスカッとするために殴りたいだけなのだ。ニクスが俺に味方してくれれば嬉しいが、今は敵に回っても仕方がない。なにしろニクスには生活がかかっている。
ログハウスの外に出て仕切り直す。悠然と仁王立ちするアリスは、小さな体に不釣り合いに大きなゴツイ銃を空中から取り出した。
俺は暴れる
そしてニクスは……
……俺の横に立った。ローブと杖が消え、代わりにアリスそっくりの迷彩服とヘルメット、ライオットシールドに変わる。髪の色も黒になり、ポニーテールがほどけてロングになる。そして俺を守るように身構えた。
何してるんだお前。俺についたらお前、
目を丸くしているアリスに、ニクスは決然と言った。完全に目が据わっていた。
「お嬢様、申し訳ありません。友達とは戦えません」
「……だから私と戦うの?」
「いいえ、これは戦いではありません。諫言です。お嬢様がここまで曲がってしまう前に、もっと早くこうするべきでした。なのに私は自分の身がかわいくて。良くない事だって分かってたのに、言えなくて。お嬢様に忠実にもなれなくて、中途半端で。こうなってやっと……」
言葉を詰まらせるニクス。最初は驚いていたアリスだったが、段々顔が険しくなっていった。
「そう。つまり私のする事が気に入らないから暴力で言う事を聞かせるのね。そんな子だとは思わなかったわ。ヒプノスの影響かしら」
「
いつもと同じ声で、叫んでいる訳でもない。しかし、ニクスの言葉はとてもよく響いた。
ニクスは俺のために、家族でもない、ただの友達のために、自分の人生を賭けていた。
あれほどこだわっていた杖を捨て、ローブを脱ぎ去り。ここにいるのは
ニクスはこの夢の世界で、現実と戦おうとしている。ニクスの決意を思うと、熱い気持ちがこみ上げてきた。
アリスはイライラした様子で言った。
「損得計算もできなくなったのかしら。ヒプノスの味方をして一体何が変わるの? 今は一時の感情に流されて良い気分かも知れないけれど、目が覚めればまた
「それが分からない事がお嬢様の欠点です」
「……霞。こちらへ来なさい」
「嫌です」
「私は来なさい、と言ったの。三度言わせたら食事を水だけにするわ。あなたの部屋のガラクタも全て処分する」
「い、嫌です」
「本当に怒るわよ。来なさい!」
「嫌です!」
ぶちん、と何かが千切れる音が聞こえた気がした。
アリスの姿が消える。ニクスは素早く反転し、俺の背後に盾を構えた。一瞬間を置き、発砲音と共にライオットシールドに無数のヒビが入る。
「ヒプノス、あれは89式5.56mm小銃! 射程は100mだと考えて! 人間に当たれば一発で動けなくなる!」
「対策は!?」
「耐えて反撃! 光速移動はあとニ、三回しか使えないはず!」
俺は頷き、反撃に備えるべくスカイフィッシュをすぐ
アリスは大金持ちであるため、恐らく価値感が一般人とはかなり違う。「金を積めばなんでも手に入る」というような認識は特に厄介だ。物にあまり価値を感じていないという事は
しかしそれでも限界はある。俺のMPが50。ニクスが18。合計68。アリスのMPは分からないが特別多くも無いらしいので、MP比較で俺達は優位に立っている。
アリスは建設途中の建物の陰から陰に移動し、断続的に遠距離から銃撃してきた。ニクスが何度もライオットシールドを
一度逃げ。
二度逃げ。
三度逃げる。
ニクスは長年の付き合いのお陰か、アリスの行動を驚くほどよく読み、銃撃を的確に防いだ。俺に何発か通ったが、爬虫類の皮膚は軟弱な人間の皮膚とは違う。致命傷にはならず、すぐに変身し直して全快した。
ニクスのMPもそろそろ厳しい。が、アリスは三度光速で移動した。もう光速回避はない。
「どっせぇい!」
タイミングを見計らい、
アリスは回避できなかった。攻撃されそうなのは察知したらしく、避ける素振りは見せたのだが、右肩に赤い液体が飛び散るのがはっきり分かった。
地面に落ちて痙攣している
「力づくで俺を征服するとか言ってたな。これから俺はお前をこの
「ええ、逃げないわ」
もうまともに抵抗できるMPは残っていないはずだが、アリスの表情には余裕があった。
俺が手心を入れるとでも思っているのだろうか。やるぞ俺は。13歳の雌猿ならまだしも、13歳の少女に手加減する理由は全くない。
「そうか。まあ一対ニだ。恨むなら自分の人望の無さを恨め」
「あ」
さあフルボッコタイムだ、と
何かと思えば、小さなホイッスルが転がっているだけだ。小銃はアリスの手ですぐには掴めない位置に投げ捨てられている。青ざめる理由が分からない。
「あれがどうした?」
「ヒプノス、一度引こう!」
ニクスが俺の腕をぐいぐい引っ張ってくる。よく分からないが、撤退した方が良いらしい。
それでも一発ぐらいは入れておこうと
「!?」
乱入者を見て、俺は絶句した。
「私は幻獣を『調教』したのよ。例えば……呼べばすぐに来るようにね」
アリスを庇うように前に立ち、俺に牙と敵意を剥き出しにしているのは、大型の犬の幻獣――――蒼天犬だった。
蒼天犬を皮切りに、砦の壁を這い上りクラーケンが現れ、砦の門を叩き壊してルーン熊が現れる。ユニコーンが。ゴブリンが。雲雷猿が。
群れを成して現れた幻獣達はあっという間に俺達を何重にも包囲し、アリスを守るように壁を作った。
コミミカーバンクルに傷を癒され立ち上がったアリスは、歪んだ笑みを浮かべた。
「千対ニよ。人望が何だったかしら?」
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