四話 ナイトメア流自己紹介


「悪意」


 オウム返しに繰り返すと、ナイトメアは深々と頷いた。


「そうです。先輩の楽園には悪意が足りない。この楽園において、何かを殺すのは餌のためであり、自衛のためであり、生きるためである。そこには悪意が見えません。何の意味も意義も無く殺し苦しめ陥れる、そんな生き物がいなければなりません。この楽園は美しい。美しすぎるほどに。もっと救いようが無いほど穢れた存在があるべきです。それがあってこそ対比で他の幻獣が輝く」


 抑揚の無い声音で熱弁をふるうナイトメア。

 ふむ。言いたい事は分かった。確かに悪意は楽園にはないものだ。だが俺は首を横に振った。


「それは違う、悪意なんてものに囚われるのは人間だけだ。幻獣に悪意が全く無いとは言わんが。ここは楽園であって、現実リアルの模倣ではない。人間を創造クリエイトしなかったのはそういう人間の欠点を持ち込まないためだ」


 あとは人間という生物に一切魅力を感じないからだ。人間はすぐに利己的に自然を貪って破壊する。まあ人間が自然を貪り尽くし砂漠と化した大地で自滅したとしても、数千万年もあればより強靭に回復するポテンシャルが自然にはあるわけだが。人間よりも巨大隕石のほうがよほど危険だ。

 しかしわざわざ人間という目に見えた破滅因子をこの楽園に持ち込む事もない。悪意も不要だ。そんなものが無くても充分幻獣生態系の生命サイクルは回転するし、むしろ悪意をぶち込んだら回転がグラつく。


「悪意は無い方がいい」


 静かに同意したニクスの言葉には重みがあった。

 アドバイスは嬉しいが、採用する訳にはいかない。


「そうですか。私のこの情熱が伝われば必ず同意しただけると思うのですが。ふーむ」


 否定すると、ナイトメアは手を顎に当てて唸り始めた。

 俺達は顔を見合わせた。こいつのスタンスがよく分からない。俺と同じように自然や幻獣が好きで、ナイトメアなりに楽園をより良くするために悪意を持ち出してきたのか。それとも悪ぶった言葉を使いダークな自分カッコイイをしたいだけなのか。


 ナイトメアは腕を組み、長々とぶつぶつ言っている。随分悩んでいるようだ。声をかけても反応しない。完全に自分の世界に入っている。

 いい加減待ちくたびれ、今日はそっとしておこうかと思い始めた時、ナイトメアが切り株から立ち上がって言った。


「やはりこういう事は体で学ぶのが一番でしょう。では拷問しますね」

「!?」


 ナイトメアの言葉を脳が理解する前に、俺達は蹴り転がされた。虚空からロープを取り出し、手馴れた動きで瞬く間に縛り上げられる。

 抵抗しようとしたがなぜか体が痺れたように動かなかった。ニクスも同じなようで、目を白黒させている。

 わけがわからない。何がどうなっているんだ?


 口に猿轡を噛まされ無言の目線で抗議すると、ナイトメアはペンチを取り出してカチャカチャと音を鳴らしながら言った。


「上辺だけの言葉は虚しい。やはり行動と体験こそが人の心を打つ。私が悪意をもって先輩を拷問すれば、先輩も悪意の良さを必ず理解できるでしょう。これは先輩のためです」


 絶句する。こいつとんでもない理論をぶち上げてきやがった。

 いや待て真に受けるな。ナイトメア流の冗談という可能性痛ァアアアアあ゛アああああア゛ア゛ア゛ア゛!


「まだ鉤爪を一本むしり取っただけですよ。痛いですか。苦しいですか。何の罪も無いのに理不尽な拷問を受ける気分はどうですか。私が憎いですか」


 激痛が走るが、体の自由が利かず痙攣する事しかできない。ロープで縛られているからではなく、そもそも全身に力が入らない。

 どういう事だ? なぜ動けない。なぜこんなに痛いんだ。ナイトメアはどうしてしまったんだ。

 視界の揺れを押さえ込み、目玉だけを動かしてナイトメアを睨みつける。カラスのような不気味な仮面に阻まれ、表情は全く分からなかった。


 視線を落とし、草の上に転がったココナッツの殻を見て気づく。こいつ、一服盛りやがった。最初からこうするつもりだったのだ。

 騙しやがった! ふつふつとマグマのような怒りが湧き上がってくる。


「その目は怒っていますね。なるほど。苦痛に奮起するタイプでしたか。その反骨心、良いと思います。頑張ってへし折りますね。よいしょ」


 缶ジュースのプルタブを起こすように何気なく、ナイトメアは二本目の鉤爪を無理やり剥ぎ取った。指が爆発したかと思った。心臓の鼓動に合わせて血が溢れるのが分かる。剥き出しになった爪の下の皮膚を乱雑にペンチで擦られ、俺は猿轡でくぐもった悲鳴を上げた。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 体が防御反応を示し勝手に丸まろうとする。しかし麻痺のせいでそれさえできない。外敵ナイトメアに無防備に体をさらけ出す事しかできない。

 経験した事のない激しい痛みに、脳裏に「恐怖」がチラついた。


 視界の端で転がされたニクスが身動ぎし、目配せしたのが見えた。それを見て、痛みに混乱していた脳に僅かな冷静さが戻る。

 ああそうだ。何を盛ったのか知らないが、俺達は夢見人ドリーマーだ。姿形は自由自在。ネズミに化けて縄抜けしても良い。ロープを消し去ってもいい。自分の肉体を再創造すれば毒も消え去る。こんな拘束、なんの意味もないのだ。

 ニクスとタイミングを合わせて反撃に移ろうとすると、ナイトメアは振り向きもせず、俺の三本目の鉤爪にペンチを噛ませながら淡々と言った。


「ニクスさん、先輩を助けに入ってもいいですが、ニクスさんか先輩のどちらかが抵抗、逃亡をはかったらその時点で私も逃げます。その後適当な幻獣を捕まえて先輩の代わりに拷問にかけますね」


 俺は固まり、ニクスも動きを止めた。

 ナイトメア三本目の鉤爪を剥ぎ取る。今度はゆっくり時間をかけて。俺は悲鳴を噛み殺し、激痛でぐらぐら揺さぶられ歪む思考の中でナイトメアの言った言葉の意味を咀嚼する。

 俺達が抵抗すれば、ナイトメアは逃げる。ナイトメアが逃げれば、幻獣が拷問を受ける。

 逃げなければ、このまま拷問。逃げれば幻獣が拷問。

 どうあがいても拷問!


 このクソ野郎……!


 ナイトメアは血と肉がこびりついた鉤爪を俺の口の端に押し込んできた。吐き気がする。自分の血肉の味にも、こいつの本性にも。

 ナイトメアはペンチを消し、今度は五寸釘を取り出した。それを手で弄びながら嘯く。


「いいんですよ、抵抗しても。苦しいでしょう、痛いでしょう。こんな辛い事は幻獣に押し付ければよいのです。いいではないですか、有象無象の幻獣がいくら苦しんでも」


 そんな訳がない! このド外道、全部分かって言ってやがる!

 ああ畜生、俺が幻獣にどれだけこだわっているか、他でもないこの俺がナイトメアに教えてしまっている。それを最悪の方法で逆手に取られた。


 五寸釘の先端がゆっくり、ゆっくりと目玉に近づいてくる。本能的に後ずさろうとするが、体が動かない。目をつぶってしまいたい。目をつぶるのが恐ろしい。

 ナイトメアは目玉に触れるか触れないかの位置で釘を止めた。


「うーん、逃げませんね。かなり恐怖を煽るはずなのですが。普通は理性では分かっていても体が逃走を選びます。やはり先輩は並の精神力ではない。体を張って幻獣を守ろうというその意志力。恐怖に抗うその勇気。いや、敬服します。私が幼稚でした。肉体的苦痛を与えれば悪意は伝わると勘違いしていました。先輩のような素晴らしい精神力をお持ちの方にはただ無為なだけだったのですね」


 そう言って、ナイトメアは釘を目に無造作に突き刺した。言っている事とやっている事が違う。狂ってやがる!

 俺の知る痛みという概念を超えた激痛が脳を焼く。たまらず、妄創イメージで目を直した。今更鉤爪も直せる事を思い出し、そちらも直す。痛みは引いたが、恐怖が引かなかった。

 ナイトメアの拷問と支離滅裂な述懐でまともに頭が働かない。


「ああ、私はなんという馬鹿な事をしてしまったのでしょう。私の審美眼も鈍ったものです。先輩のような人種……オオアリクイには、直接拷問するよりも恋人が苦しむ様を眺めさせた方がより大きな苦痛となる。そんな簡単な事にも気付けなかったとは」


 ナイトメアは釘を持ち、縛られたニクスににじり寄った。ニクスは恐怖に目を見開き、身動き一つできず全身から冷や汗を流している。

 お前っ、お前ぇえええええええええええええ!


 もう分かった。こいつは正真正銘のド外道だ!

 言葉に耳を貸したら負ける。最初から俺達を痛めつける事しか考えていなかったのだ。


 そうとわかれば甘んじて拷問を受ける理由などない。混乱していた頭が冴え渡る。

 こいつは敵だ。ぶっ飛ばす。

 ロープを消し去り、体を創り直して麻痺を解除。ナイトメアの横っ面に拳を叩き込んだ。ぎゃあ、と棒読みの悲鳴を上げ、もんどりうって倒れたナイトメアはヒビの入った仮面を押さえて抗議する。


「ああっ、痛い。何をするのですか。先輩がすぐに暴力にふるう畜生だったなんてショックです」

「うるせーよ!」


 俺もナイトメアが拷問大好きド外道だとは知りたくなかった。夢見人ドリーマーは頭がおかしいというが、それにしても限度というものがある。ナイトメアはボーダーラインを余裕で踏み越え走り抜けていた。


「腐ってる」


 俺と同じく拘束を解いて立ち上がったニクスがストレートに吐き捨てた。全くだ。

 俺達も大概だが、ナイトメアはこの歪みきった精神を抱え現実リアルで一体どうやって生きているのだろうか。精神病院にでも入っているのかも知れない。もしくはヤクザか、逃亡中の犯罪者か。

 そう考えると現実リアルでの報復が怖いが、幸い俺もニクスも現実リアルと姿を変えている。身元の特定は難しいだろう。


「幻獣を拷問するとか言ってたな。その前にお前を拷問してやる」


 こいつは悪意の塊だ。何をどうしても害悪を振りまく。大人しく従っても抵抗しても誰かが拷問されるというのなら、当然抵抗する。

 そしてその抵抗は激しければ激しいほど良い。

 スズメバチの群れに滅多刺しにされ、スカンクの臭液を浴び、カメムシの汁を鼻に刷り込まれれば音を上げるだろう。ヒプノス流拷問術を見せてやる……!

 不意打ちが無ければてめぇなんてなあ!


「二対一だ。逃げられるものなら逃げてみろ」

「あ、じゃあ現実リアルに戻りますね。また会いましょう。おやすみなさい」


 抵抗できないように腕を押さえつけようとすると、ナイトメアは忽然と姿を消した。

 静かな草原にそよ風が吹き、草むらを揺らしていく。穏やかな太陽の下に、俺とニクスだけが残された。ナイトメアは影も形もない。

 ニクスが周りを見回して言った。


「あれ? 逃げられた?」

「……逃げられた」

「ええ!? 何か考えてたんじゃないの!? 囲まれたら現実リアルに逃げるでしょ!」

「す、すまん。頭に血が上ってた」


 ニクスは頭を抱えてしまった。

 やってしまった。これは俺が悪い。あえて言い訳をさせてもらうなら、考えたところで現実リアルへの逃亡を阻止する方法など無いという事なのだが。

 しかしあんな腹立つド外道に殴りかかるなという方が無茶だ。


「ああもう! これで危険人物野放し! ヒプノスの幻獣も酷い目に会うだろうし!」

「うぐ……いやどうしようもなかっただろ。俺達が何やっても何を言ってもあいつは拷問、拷問、また拷問だ。そういう奴だ」

「確かにそんな人だったけどね、もう少しやり方がさ、現実リアルについて探りを入れるとか」

「過ぎた事言っても仕方ないだろ。前向きに考えようぜ。これからどうするか、だ。あんなクレイジーな奴ほっとけないだろ?」


 夢世界ドリームランドに悪質な通り魔がうろついているようなものだ。夢世界ドリームランドには法律も警察もない。ナイトメアを取り締まる公権力は存在しないのだ。俺達がなんとかしなければならない。鉤爪三本と目一個の恨みもある。


「そうだね。あの感じだと現実リアルでも危険人物っていうか犯罪者だろうし。んー、ボスに頼んで現実リアルから探りを入れてみようかな。最近このあたりに引っ越してきたって言ってから、それが手がかりになったり」

「それ本当だと思うか? というか絶対俺達をかく乱するための嘘だろ。ナイトメアの言葉ほど信用できないものはない」

「うっ……」


 体格を隠すゆったりとしたローブに、仮面、合成音声。顔も、性別も、肌の色さえ分からない。分かったのは性格がド畜生だという事だけだ。

 薬を盛る手口も周到だった。わざとにおいと味が強いココナッツを使い、薬の混入を誤魔化した。会話で薬が効くまでの時間を稼いだ。今思えば、あれだけ楽園を褒めたのも上げてから叩き落とすためだとしか考えられない。

 口も頭もよく回る。厄介な奴だ。


「幻獣を守るための対策も立てないとな」

「それはドラゴンがやってくれるんじゃない? 誘拐であれだけ怒ってたんだから、拷問なんてされたら黙ってないでしょ」

「いや、どうだろう」


 アリスの言葉を認めるのは業腹だが、ドラゴンは幻獣の支配者であって、守護者ではない。アリスほど大規模かつあからさまに侵略を仕掛けたならとにかく、小物の幻獣を一匹や二匹拷問にかけただけで制裁にやってくるとは考え難い。もちろん、話を通しておくのは必要だろうが。

 頭の痛い話だった。アリス問題が片付いたと思ったら別の意味で厄介な奴が来た。その名の通り悪夢ナイトメアのような奴だ。


 ふと、モユクさんの言葉を思い出した。『夢世界ドリームランドに夜が来る』とは、きっとナイトメアの事を指していたのだ。

 ナイトメアについて何か知っていたのだろうか。それならそうとはっきり言って欲しかった。なぜ詩的で思わせぶりな言い回しをしたのか。一度しっかり話を聞く必要がある。

 モユクさんはアリスの沖縄の別荘でネット環境を借りているはずだ。そこを通せば連絡はつくはず。奉納品を回収しに来たドラゴンともアリス屋敷で会える。何はともあれアリスだ。


 俺達はひとまずアリスに警告を出しに行く事にして、アリス屋敷へ向かった。

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